カラオケ

テレビ番組で歌手が歌を歌う際に、バックバンドを従えずに、録音された伴奏を使って歌う場合があります。この伴奏が録音されたテープのことを、ボーカルが空のオーケストラのテープという意味で「空オケ」と呼んだのがカラオケの語源だそうであります。空オケのテープは、歌手がテレビ局へ行く際に持参する仕組みだったようです。まあ、1960年代、70年代の話ですね。

酒を飲みながら歌を歌うという風習は、古今東西に存在するわけですが、録音された伴奏でもって歌わせるという飲食店は日本では一般的ではなかったようです。例外とも言えるのが、太平洋戦争に従軍した経験のある人たち向けに軍歌を歌わせる飲み屋というのが戦後存在しました。
カラオケという商品も存在していたのですが、おもにお座敷宴会用だったようです。

現在のように、映像に歌詞がダブるような形式のカラオケは、VHD対レーザーディスクという企画争いの際に、パイオニアが新たな販売経路として「絵のでるカラオケ」というのを売り出したのが最初のようです。これを機に、カラオケパブやらカラオケボックスが全国にできていくことになります。

その後はカラオケ端末と中央コンピューターを高速通信回線で結ぶという手段で、歌謡曲の新曲がでてから、カラオケで歌えるようになるまでのタイムラグがなくなるという技術革新がありました。

長い前振りでありましたが、家族でカラオケに行って参りました(一家で行くのは初めてです)。
子供たちがストレスで爆発しそうだったので、どこかに連れて行こうとは思ったのですが、動物園に行くにはまだ陽気は寒く(そして時間は午後遅すぎ)、お風呂にはちょっと前に行ったばかりだし、アウトドアではなくてインドアで楽しめる施設というのが、カラオケしか思いつかなかったのです。

店はどこにしようか迷ったのですが、野村克也監督を応援しようということで(?)シダックスにいたしました。

次女はカラオケルーム初体験であったので、その狭さと大音響にビビってしまい、開始5分後には「帰りたい」を連発して困らせてくれました。しかたないので、忍たま乱太郎・おじゃる丸・とっとこハム太郎・童謡・ジブリのアニメなどでご機嫌を取ったら、最後にはマイクを離さないぐらいのご機嫌となってくれました。まあ、おかげで自分の歌いたい歌はあまり歌えませんでしたが・・・。

ドリンク+ピザを食べて2時間で4千円弱というのは、高いんだか安いんだかわかりません。

貯蔵庫

ある時、僕が実家に顔を出しているときに、兄がこう言いました。

「我が家の冷蔵庫は、食物が腐るまで保存しておくための貯蔵庫である」

我が家の冷蔵庫も似たような状態であります。
冷蔵庫という物は調理前の食材を保存しておく恒温槽であります。時には、調理後かつ食事前の食事を保存しておくために使われることもあります。そして、食事後の残りを次の食事まで保存しておく貯蔵庫でもあります。

しかし、その「残り物」は次の食事には登場せずに、冷蔵庫の奥の方へと押し込まれてしまうことがあります。それは「残り物ばかりではなんだから」と新しいおかずを調理するからであり、我が家の場合には隣に住んでいる義父義母が「食事が偏るといけないから」と作りすぎたおかずを分けてくれる結果、我が家でもおかずが余ってしまうことが原因であったりします。

そして、冷蔵庫のさらに奥の方には、さらに年代をさかのぼるおかずが貯蔵されていることも珍しくありません。これを「おかずの地層化」と呼びます。時には、地層の奥深くより「価値あるおかず」が発掘されて食卓を彩る可能性もなくはないのですが、たいていは「さわらぬ神に祟りなし」という金言が適用される状態であります。

きちんとおかずが地層化している場合には、一番手前、もしくは上のおかずが最新であることが保証されているわけですが、冷蔵庫の使用者がずぼらである場合には、どれが最新であるかの情報は、冷蔵庫の主たる使用者である主婦しか把握しておらず、他の者が触れるのは、とってもデインジャラウスになってしまう場合があります。

さて、一家の主婦が風邪(あるいはウツ)で寝込んでいる状態の時には、夫たる者そのピンチヒッターを務めなくてはなりません。この際に、主婦の

「冷蔵庫の中の物を暖めればいいだけだから」

という甘言に騙されてはいけません。冷蔵庫の中で一番手前で発見した「お、こいつはうまそうだな」という容器を電子レンジで温めると、数分後にはキッチンがさながら「生ゴミ入れのペールの中」の様な異臭に包まれ、一気に食欲を失った上に、何もかもやる気を失ってしまう危険性すらあります。
冷蔵庫の中を覗き込みながら、ここ数日、何をどのような順番で食ったかを正確に思い起こせるようでなければ、一人前のピンチヒッターとは呼べません。

しかしながら、結局はカビが生えるまで保存され、生ゴミペールの中に捨てられ、容器を「おぞぞ」という思いをしながら洗わねばならぬとわかっていながら、なぜに残り物を冷蔵庫に腐るまで保存し続けるのでありましょうか? 冷蔵庫というのは、中に物が入っていればいるほど、冷却効率が下がり、電気代は上がり、地球はあったまるという箱であります。

なぜ、このような行為が我が家においても、また実兄の家においても繰り広げられているのでありましょうか? やはり、「もったいないお化け」の呪いなのでありましょうか。

買う予定のないダイエット食品のチラシであるとか、もちろん買う予定のない車のカタログであるとか、用がないのに取ってある物が、身の回りにいろいろところがっています。そういったものでも何日間か時間が経過すると、「捨ててもいいかな」という気持ちになるから不思議であります。

きっと、物は捨てられる前に、ある場所に一定時間とどまらなければならないようにできているのでありましょう。

復帰

風邪を引いて更新を休んでおりました。
ご心配をおかけしまして済みません。
何も書いていなくても、カウンターの数字だけはあがっていく・・・「何も書いてなくてごめんなさい」という、なんだか申し訳ない気持ちは沸くのですが、まあそれが更新意欲につながらないのが、心身共に不調な状態というものであります。

体温計で測ってみると、36.9度ぐらいで推移しておりました。
この数字を人に言いますと、「そんなん微熱のうちにも入らない平熱ではないか」とバカにされるのがオチであります。ところが僕は平熱が35.5〜35.8度ぐらいでありますから、この熱でも平熱より一度以上高熱なのであります。

小学校の頃に人間の平均体温は36〜37度と教わりましたし、僕も確かにそのころはそれぐらいの体温でありました。それが成人した後には風邪でもひかない限りは、体温計の数字が36度を超えることはなくなりました。異常なのかと思いきやそうでもないらしく、あるときに内科医に低体温の理由を質問してみたところ、
「運動不足で血流の悪い人間は、体温が低いのも珍しくはない」
という答えでありました。

高橋留美子の『めぞん一刻』を読破しました。昭和の時代のストーリーであります。携帯電話も出てこないし、街にコンビニエンスストアもありません。大学生だというのにアパートの部屋には電話もなく、共同のピンク電話が置いてあるだけ。僕が大学に入学した頃は、アパートや風呂のない学生は当たり前に存在していました。それが数年で、新入生がアパートに電話を引いているのが当たり前の時代になったものでした。平成とかバブル景気とかいうものがきていたのでした。
この『めぞん一刻』は新刊で持っていたのですが、連続飲酒時代に布団の中で酒を飲みながら読んでいて、嘔吐が我慢できずにゲロまみれにして捨ててしまった過去があります。そのことを思い出すので、なかなか再び手に入れずにいたのですが、久しぶりに読んで面白かった。

ホームグループ

ホームグループのミーティングへ。
遅刻しそうだったので、高速道路を使ってしまいました。休職中だというのによい身分であります。にもかかわらず、やっぱり遅刻してしまいました。

人数9人というのは、新記録更新なのではないのかな。
遠くの県からやってきてくれたAAメンバーが参加してくれていました。彼は地元ではグループのチェアマンもしているのだとか。

僕らのグループは昨年12月から開催曜日を変えたのですが、それを反映させた新しい案内地図はまだ用意していませんでした。こんな田舎のミーティングへ来る人は滅多にいないから、しばらく放っておいても大丈夫だろうと油断していました。
が、天網恢々疎にして漏らさずでありましょう。
やっぱり地図の更新をさぼってはいけないのね。

彼は、古い地図に従って前の曜日に病院へ行き、そこで「今は村の公民館でやっている」と聞いてそこへ行き、そこで「曜日が変わった」と聞いて、やっと本日ミーティング場にたどり着いてくれたのでした。

が、彼の持っていた地図を見て僕はびっくりしてしまいました。それは、ピンク色の紙にオフセットで印刷された半端じゃなく古い版の地図で、たしか長野オリンピック以前の地図であったからです。

このにぎやかな雰囲気が続いてくれますように。

そういえばバレンタインディだったんですね

結局のところ入院したものかどうか、自分では決められないので、医者に決めてもらうことにして出かけました。

僕は、日内変動が激しいタイプで、うつの時には昼間は何もする気になれずに寝ています。夜になると多少ましになって活動するので、昼夜逆転になりがちです。今朝は、そのまま寝ずに出かけました。

銀行に寄ったついでに、ジャンボ宝くじを買いました。最近僕が買うのは一枚だけです。そりゃ一等前後賞のことを考えれば、最低でも3枚買うのがベターだと思っています。しかし高額当選なんて所詮ppmオーダーです。「ひょっとしたら当たるかもしれない」という当選日までの夢を買うだけなら1枚で十分というのが信条です。

医者に相談すると、「入院させた方がいい場合」は以下の5通りだそうです。
a) 自殺の恐れが強いとき
b) 環境から離したいとき
c) 家族の方が疲れ切っているとき
d) 患者が仕事で長く休んでいるとき
e) 外来治療でなかなか改善しないとき

うつ病だからa)の希死念慮はないわけじゃありませんが、それほど強くはありません。b)の環境から離すといっても、もう仕事は休んでいるわけです。それももう一ヶ月経ちましたが、うつ病の休業としてはd)にあてはまるほど長くはありません。
僕が毎日家にいることに、妻はうんざりしていたようですが、先週・先々週とくらべれば落ち着いてきていて、c)を理由に入院という希望は取り下げました。

抗うつ薬をだいぶ増やしたのが原因でしょう、副作用が出てきました。僕はたいていどの抗うつ薬でも量を増やすと「鼻の粘膜が乾く」という症状が出ます。おかげで一日に何回か鼻血混じりの鼻くそをほじくる羽目になります(汚くてすんません)。これはこれで、ずいぶんうんざりさせられる症状です。しかし、副作用が出てきたので主作用のほうも効いてきている気がしないでもありません。

「あと一ヶ月このまま様子を見て、投薬治療がはかばかしくないようなら入院することにしましょう」

という結論になりました。
ちなみに、大学病院への入院は最長35日。費用は20万円ほどだそうです。

帰宅後、ディジカメを持って散歩に出ました。

ニックネーム

僕のAAスポンサーが、今の僕と同じぐらいの長さのソブラエティの頃でした。
彼は長年慣れ親しんできたAAニックネームを、本名に変えました。
理由はライバル心とかいろいろあったのだろうと思います。
名前を呼ぶときに、新しい名前がすぐに出てこなくて、古いニックネームで呼んでしまうこともしばしばでしたが、やがて慣れました。

しかし、彼は一年もしないうちに「ニックネームを元に戻す」と宣言しました。
理由は「新しい名前にしてから、ろくなことがなかったから」だそうでありました。

肝炎での入院、うつでの入院、失業、人間関係の悩み、新しく始めたAAグループの行き詰まり・・・。たしかに端から見ていても、難儀なことが続いていました。

「だからって名前にこだわってみても」と思ったのですが、それは本人の自由であります。

去年の5月、僕は自分のニックネームを本名にすることに決めたとき、頭に思い浮かんだのが、このスポンサーのニックネーム騒動でした。「自分も元に戻す羽目になったりするのは嫌だな」とは思っていたのです。

しかし、この一年の不調はいかばかりでありましょうか。僕はやっぱりあのスポンサーのベイビーであったということでありましょうか。

というわけで、ニックネームを元の「ひいらぎ」に戻そうと思っている今日この頃です。

(あ、そういえばバースディ用に色紙を回してくれるって言っていたから、伝えとかないとな)。

いろいろお騒がせして申し訳ないです。

安穏

猫にはトイレの場所をしつけることができます。が、ネズミはどうもそうできないようです。
ハムスターはなぜかえさ箱の中にフンをします。モルモットはケージのなかで好きな場所にフンも小便もします。当然したのすのこが汚れます。すのこの下に敷いた新聞紙は、飼い主であるところの妻が2〜3日に一回は取り替えています。しかしすのこは、ここしばらく取り外して洗うことをしませんでした。
するとすのこの汚れがモルモットの腹部に移り、モルモットをケージから出して散歩させようとすると部屋が汚れてしまうことになりました。
そこで、すのこを洗い、モルモットは入浴されることになりました。もっとも、その詳細は僕が昼間寝ている間に、妻と娘たちによって行われたので、よくわかりません。
モルモットは色は白くなったけれど、なんとなくボサボサであります。

吉野家が一日限りの牛丼復活をするというので、一家で食べに行きました。が、夕刻だったので、すでに売り切れでした。しかたなく、ラーメン屋に行くことにしたのですが、鰹だしのラーメンは皆に不評でありました。

入院するかどうかは、まだ決めていません。

低調

精神科医へ。

「デプロメールを一日300mgに増やしてみようか? でもまだ200mgにして5日しかたってないから、次回にしましょう」
「300mgにして一ヶ月たっても改善していなかったら、入院治療しましょう。今すぐでもいいけど」

この医院にかかってもう10年が経とうとしています。三環系の薬はおおかた試したはずですし、SSRI/SNRIも一巡してしまいました。デプロメールから始めて、それがいまいちぱっとしなかったのでトレドミンに変え、トレドミンで焦燥感が強く出たのでパキシルに変え、パキシルで下半身に影響が出たのと、今回の休職騒ぎでまたデプロメールに戻し、それも次回には限界まで増量することになります。

「入院してじっくりウツの治療をしてみませんか?」と医者はききました。
「それは薬物療法以外のことをするということですね」
「ええ、電気けいれん療法を試してみる価値はあるとおもいますよ」

大学病院の精神科で電気けいれん療法(ECT)を試してみるというのは、それなりに魅力的ではあります。

いつ入院してもいいように、AAミーティングのバスケットは仲間に預けました。あとは決断するだけか・・・。

読んだ本と見たアニメ

・阿佐田哲也『東一局五十二本場』。

6才年上の兄が高校生だったときに、兄の本棚から借りて読んで以来なので、実に30年ぶりぐらいの読書でした。やっと本を読む気力はできたものの、中の牌譜を眺めて手の内を想像したりするところまで頭が回りません。
そういえば、阿佐田哲也を読んだのは麻雀を覚える前で、麻雀を覚えた後は阿佐田哲也を読んだことはないのでありました。この間にすでに亡き人になっているとは。
「朝だ、また徹夜だ」というのがペンネームの元になったという話は本当でしょうか?

・『ちょびっツ

以前見たものをもう一度見る。アニメはアニメでそれなりに楽しい。

・『魔女の宅急便』

ジブリのアニメがテレビで放映されるのは見たのですが、テレビ版は結構カットされているのですね。原作が福音館書店出版だとは知りませんでした。

・『新世紀エヴァンゲリオン

最初から見直しているのですが、今回こそは最後まで見ようと思っています。

・『serial experiments lain

妙に間延びしたストーリィ。思わず「日本でスリラー仕立てのものを作るとまたこれだよ」と言いたくなってしまいます。

・『PERFECT BLUE』

古いけど佳作。佳作だけど古い。

PHS

NTTとDDIがPHSのサービスを開始したのが1995年の7月でした。

翌96年の4月には、僕の住んでいる街でもPHSのサービスが始まっています。もっとも僕はそのころ病院の中でしたが。

当時は携帯電話がアナログからディジタルに切り替わる頃で、具体的にどれくらいの金額だったかは覚えていないのですが、携帯電話の料金は趣味で持つには高すぎるものでした。
たとえば当時NTTの携帯電話には「ドニーチョ」という料金プランがありました。これは土日と夜をもじった名前で、その名の通り土日は全日使えるものの、平日は夜だけ(夕7時から翌朝8時まで)しか使えないプランであります。平日昼間は電話をかけることも受けることもできないという不便なものでしたが、基本料金が手頃だったために、これで契約している友人も多かったのです。
それだけ全日使える料金プランが高価だったということでしょう。

そこへ登場したPHSは、基本料金が2700円、通話が1分10円と手頃な値段でした。当時の我が家の家計にとっては基本料金もバカにならない金額でしたが、「仕事にも使うから」とか「会社でケータイとか持ってないの俺だけ」という論法で家人を説得して、手に入れました。

当時は周囲にPHSを使う人も多かったのですが、携帯電話の料金の値下げが繰り返されるのにつれて、次第に携帯に切り替える人も増えていきました。そんななかでも僕はかたくなにPHSを使い続けました。4台買い換えて、そのたびに電話番号も変わり、そのたびに「女性関係のトラブルでは?」と周囲に揶揄されるはめになりました。

しかし、自動車運転中の通話でハンドオーバーに失敗して切れてしまうとか、メールの料金が携帯電話にくらべて何倍かであったとか、細かな不満がたまって、結局僕も携帯電話に乗り換えてしましました(2000年頃かな)。

しかし今でもノートパソコンの通信用には、カード型のPHSを契約してあって、出先でインターネットにつなぐ場合には重宝しています(携帯電話でつなぐとパケット代で大変なことになってしまうのです)。

まあ、結局PHSマニアなんですけど。
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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