成功?

「勝ち組」「いいこと」「スリップ」というのが最近の掲示板の話題でしょうか。

楽天ゴールデンイーグルスの野村監督が、ヤクルトスワローズの監督時代に言っていた言葉に「プロセスを大事にしなさい」ということがありました。野球というのは結果がだいじなスポーツであります。勝つか負けるか(引き分けか)という結果が出るものです。ピッチャーにしてもバッターにしても、アウトになる(する)かセーフになる(する)かという成否が出ます。優勝したかしなかったか。Aクラス入りしたか、Bクラスに沈んだか。普通のビジネスの世界よりも、もっと結果がはっきり出る世界であるにもかかわらず「結果ではなく、プロセス(過程)を大事に」と説くのでありました。

例えばイチローのような強打者がいます。ストライクゾーンどこに投げても打たれてしまう。ピッチャーもどこに投げて良いか悩む。キャッチャーもどうリードして良いか悩む。困った挙げ句に開き直ってど真ん中に投げてみる。しかしどんな強打者も絶好球を必ずヒットに出来るとは限らないのが野球です。打った球がたまたま野手の正面を突くという場合もあります。結果は内野ゴロゲッツーかもしれません。結果 All Right であります。
だが、そういう幸運は1年を通して続かないわけで、成功からも失敗からも学ばなければいけないというのがプロセス論でしょう。

飲まないアルコホリック業界でも、飲まないでいるのと、飲んでしまうのとでは、その間に明確な線が引かれてしまうものであります。それを成功と失敗と言い換えても良いかもしれません。
「勝ちに不思議の勝ちあり」であります。なぜだか知らないけれど(おそらく主に幸運によって)「飲まない」が続くことがあります。ボールが野手の正面を突き続けることが、人生には不思議とあったりするものです。
一方「負けに不思議の負けなし」でもあります。スリップに不思議のスリップは、まあほとんどないわけで、未だターニングポイントを迎えていないとか、ミーティングの出席だけで満足ししまうとか、もしくは周回遅れのランナーなのにトップに追いつこうと無茶な努力に夢中になったとか・・・。アルコールは巧妙で強力な敵であります。
前と同じ努力をしているのに、なぜか今回は酒が止まらない。謎でも何でもないわけであります。

飲まないでいることが簡単でないからこそ、1年のバースディをお祝いするのでありましょう。でも、「飲まない」という結果に囚われてしまうと本質が見えなくなります。

関西の大学の精神科医のお言葉に、「酒が止まらなくても、懸命に酒を止めようとした親として死んでいけ」というのがあったそうです。直接聞いたわけではないので、伝聞ですが。人間結果が伴わない努力にはうんざりしてしまうものです。
しかし、野球で言えば3割打てば強打者です。逆に7割は打てないわけです。一試合に一本もヒットが出ないことが続くことだってあるわけです。でもいつかヒットは出るわけで、今回スリップしてしまったからと努力をやめてしまうのではなくて、失敗から学んで努力をすれば、いつかソーバーの日々にたどり着ける日がやってくるのでありましょう。
そしてもし本当に酒が止まらなかったとしても、努力に価値はあるというのが、前の言葉の真意ではないかと思う次第です。

ビル・Wにメッセージを伝えたエビーは、その後再び酒に戻ってしまいます。AA第3の男は、飲まなかったものの、借金をかかえ、ビル夫妻の財産を売った挙げ句に自殺します。幸運が私たちに届けてくれたメッセージも、結果にばかり目を取られていれば、手元から失ってしまうという警告だと思っています。

「俺はアル中というレッテルを貼られてしまった。人生の途中でつまずいてしまって、もう二度と人がうらやむような暮らしは出来ないに違いない」という考えは実はアルコホーリクにはありふれたもののようです。自分と他人を比べる病気であります。そして、自己憐憫というお茶はいつも甘くて美味しいのであります。
だが幸せかどうかは自分で決められることであります。人からうらやましいと思ってもらうことに幸福があるわけでも、人に見下されることに不幸があるわけでもない Live and Let Live です。

「神は私たちに成功することを求めてはいません。ただ私たちが努力することだけを求めているのです」『ビルはこう思う』より。

ソーバーであることがAAのメンバーシップなのではなく、ソーバーになりたい、ソーバーであり続けたいと思うことがAAのメンバーシップなのは、今も昔も変わりありません。

どれだけやめられたかが大切ではなく、今日一日やめることが大切な大切なことに違いありません。努力できていれば胸を張ればいいし、できていないなら一休みしてじっくり取り組んだほうが良いかも。

ライブドアショック

雨が降っています。久しぶりであります。
外気温も8℃と高く、春の足音も遠くないことを感じさせます。

さて、世間を騒がせているライブドア事件でありますが、僕としては冷めた目で見ております。
そもそもなんであんなに株価が高騰したのか未だに理解に苦しむのであります。株式を100分割するという手法が一時的な高騰を生むのは今回の報道で初めて知ったわけでありますが、仮に粉飾決算が本当であったとしても、そんなにありがたがって株を買うほどの会社ではないだろうと思っていたわけであります。
「そもそも株価なんて人気投票みたいなものにすぎない」
というご意見も聞いたことがあって、なるほど警察捜査以降の株価の低落を見ると、そんなものなのかなと思うのであります。

NTT株の初回公開の時に、実兄は購買の権利を抽選で当てたわけでありますが、その権利を5万で売ってしまって大後悔していました。僕は借金してでも買う価値のある株があることを初めて知るわけであります。しかし、第3次公開あたりになると、期待値ばかりが高くて損をした人も多かったとか。

Yahoo!の日本法人が店頭公開したときも、70万円の公募価格に対して、初値が200万円。それが一時一億円まで上がるという、素人にはどうしてそうなるのか分からないという状態でありました。もちろん70万の借金をして株を買おうにも、信用がゼロの自分でありました。

そのヤフーを買ったソフトバンク。今回のライブドア事件でも、楽天と並んでライブドアと比較されることの多い会社です。ライブドアと比較すればいかに両社の財務がいかに健全であるか(ライブドアが不健全であるか)ということが言われている訳ですが、はたしてそうなのか疑問であります。

楽天については興味もないので大して調べていないのですが、ソフトバンクについては多少興味があります。
そもそもYahoo!BBサービスが同社の知名度を一般に浸透させるきっかけになったのでした。確かに同社のADSLサービスは(NTTに比べて)安かったです。街角でADSLモデムを押しつけるという販売手法が強引であったにしても、加入者をどんどん伸ばしていったのは間違いありません。

加入者が増えている間は、将来の収益が見込めるので投資価値があると判断されるのでしょう。しかし、廉価販売をした同社のARPU(ユーザーあたりの売り上げ)は低迷を続けます。ただ、加入者増加のニュースだけが華々しく報道されていたわけであります。
しかし、設備を全国の電話局に展開するには莫大な設備投資資金が必要で、さらにADSLサービスの相次ぐ高度化にともなって何度も設備更新が必要になり、それほど収益体質がよいとも思われない状況が続いていました。気がついてみると同社のサービスが他社と比べて安いわけではない(高い)ことになっているのであります。それと同時に加入者も頭打ちになります。そしてその情報は投資家情報の目立たないところに移動することになるわけです。
今後光ファイバーへの転換が進むに従って、どれだけのユーザーをつなぎ止めることができるのか、まあお手並み拝見であります。他の会社が加入電話と同じ番号体系のIP電話をセットにして販売するようになっているのに、日本テレコムを買収したのに「おとく電話」とのセット販売をしないのも不思議であります。単に両方セットにして割引すると、ARPUが低下するだけの話なのかも知れませんが。

もうしばらくすればソフトバンクの携帯電話サービスも開始されることになります。さすがに使ってみようとは思いませんが、Yahoo!BBの時と同じように競合他社の料金値下げに結びつくのは間違いないでしょう。携帯電話ユーザーとしては歓迎であります。

最近ではYahoo!関連のニュースもネットオークションの手数料収入の増加などに入れ替わって、通信サービス関連のニュースは少なくなっています。
ネットオークションもいつの間にか有料化されています。

実は昨日、ネットオークションで800円で2個入札するはずが、間違えて8,002円で2個入札してしまいました。よく確認しなかったのがいけないのですが、さして欲しくもないものに1万5千円以上払うことになりそうです。「ネットオークションには慣れているから」と慢心していた自分を戒めるには十分なミスでありました。くっそー。
実は、腹立ちまみれでこれを書いているのであります。

心が痛いぞ

うつ病が悪化して休職したのが1年前です。「あなたは依存症だから安定剤を出すのはなるべく避けたい」と言っていた医者も、経過が思わしくなかったので仕方ないとばかりに精神安定剤を処方に混ぜてくれました。こうして数年ぶりに安定剤を飲むことになったわけです。
最初は朝昼晩3回飲んでいたのを、朝晩に、夜だけに、そして量を減らし、さらに種類を変え、また半分に減らし、そしてゼロにしてもらったのが先週です。

先週から午前中の勤務が復活したので、なるべく朝すっきり起きられるようなりたいという希望で切ってもらったわけです。
半減期が100時間という薬ですから、変化が訪れたのは今週になってからでした。泥沼の底からはい出してくるような寝起きが、楽に起きられるようになりました。しかしそれは、眠りが浅くなっただけなのかもしれません。
昨日の晩はいきなり胃の痛みがやってきて驚きました。この懐かしい痛みは、ストレス性の胃酸過多による胃炎のようです。何のことはないストレスをダイレクトに受けるようになって、さっそく体調に変化が起きたというわけです。
今日も出勤したのですが、まったく仕事に手が付かず、定時になったら逃げるように帰ってきてしまいました。出際に、来年度の開発計画と予算請求を出してくれと言われました。「私達は感情の上では今日一日の生活を送るのであるが、生きていくためには計画を立てねばならない」。ううう、しかしまだ仕事に完全復帰もしていないのに、一年先まで考えられるかってーの。

しかし、つくづく自分はストレスに弱いです。自分が周りの人より多くのストレスを受けているというコンセプトは「甘くて美味しい」のですが、その現実認識は間違っている上に、現実問題に対処するのに何の役にも立ちません。
実際は、自分がストレスに弱く、溜まったストレスの発散が下手な人間なのであります。アルコホーリクの病前性格としては典型的なのだそうです。
疲れているのなら早く寝ればいいのにと、自分でも思うのですが、休みの前の日はこんな時間まで夜更かしして、パソコンに向かってこんな文章を書いているのであります。やれやれ。まったく困ったやつであります。

さて、皆さんは携帯電話を持って歩くときに、どこにしまっておくのでしょうか?

アンケートによれば、男性は「身に付け」女性は「バッグ内蔵」 だそうであります。
男性の4割はズボンの脇ポケット。女性は実に9割以上が「バッグの中」。

僕もまあ多数派の一人で、左の脇ポケットにハンカチと一緒に入れておくのが習慣です。仕事中もずっとポケットに入れっぱなしです。音がうるさい場所にいるときや、高速道路を運転しているときには、着信音に気づかないときがあるので、音と同時にバイブレーターが発振するようにしてあります。ちなみに、夜7時半から9時の間は、曜日を問わずマナーモードに自動的にはいるように設定してあります。これは、ミーティング中に鳴り出すのを防止するのに(僕にとっては)一番確実な手段であります。

最近の女性向け携帯電話って「何でこんなにでかいんだろう」と思っていたのですが、ポケットの中じゃなくて、バッグの中に入れて持ち歩くのなら、うなずける話であります。

Bluetoothのヘッドセットをいろいろ買っている中に、携帯電話のイヤホン端子につなげるBluetoothアダプターも手に入ってしまいました。これがあれば、携帯電話はアタッシュケースの中でも、ヘッドセットさえポケットに入れておけば着信できるなと思ったのですが、「メールの着信はヘッドセットでは分からない」という欠点に気づいてしまったのでありました。

「ひかり電話(NTTのIP電話サービス)」で時報(117)にかけようとしたらつながりませんでした。IP電話だと音声に遅延が起きるので、時報として役に立たないということかもしれません。
それから、いままで無線で結んでいた3階と2階のあいだを、モジュラーケーブルで結んだら、それがアンテナになってしまったらしくて、電話をかけるとAM放送がバックに流れてしまいます。そういう現象が起きることがあるとは聞いたことがありますが、実際に体験してみるとなんだか不思議であります。

一過性のマゾヒズム

アダルトな話を含んでいるので、そういうのが嫌いな方は読み飛ばしていただきたいです。

今でこそインターネットはアダルト画像であふれかえっていて、子供にパソコンを触らせるときにはネットワークから隔離するか、フィルタリングソフトをかませないと安心していられないのでありますが、僕がインターネット接続を始めた頃(つまりNifty ServeのINETゲートウェイの頃)はアダルト画像なんて、ごく珍しいものでありました。

理由は簡単で、当時のモデムの速度では、小さくて粗いアダルト画像でも、転送するのに何十秒〜何分もかかったからであります。ホームページに(アダルトじゃなくても)画像を貼り付けてあるだけでひんしゅくもので、テキストだけのページを用意していないと「配慮が足りない」と言われた時代でありました。

でも、そんなころでも果敢にアダルト情報の発信をしていたサイトもありました。思い出されるのが(もちろん今でも存在するのですが)Tokyo Toplessという、その名の通りトップレス(つまり裸の胸だ)の写真を掲示しているサイトであります。だからアダルトと言っても、コンビニの店頭売り雑誌の程度の内容だと思っていただければ結構です。
僕は巨乳というものにはあまり関心がなかったものの、当時のインターネットは村社会のようなもので、アンダーグラウンドなものなんて存在する余地もなく、ほかに選ぶものもなかったおかげで、そんなところを定期的に訪問していました。
サーバーの容量が少ない時代でしたから、モデルの画像は頻繁に(追加じゃなくて)入れ替えが行われていたように思います。そのかわりに、テキストによるアダルト情報が膨大に追加されていました。
まだまだ世間知らずだった(いまでもそうですけど)僕ちんが、男と女の関係という広大無辺な地平へと誘われていく、ひとつのきっかけでありました。

そのサイトと、そこからのリンク先には、当然まっとうなアダルト情報というものも多かったのですが、やはり(?)興味を引きつけられたのは、各種の異常性欲に関する情報でした。特に多かったのがサド・マゾ(つまりSM)に関する情報でした。世間で流行っていた(のか?)ソフトSMなどという最終的にセックスを目標とした、ある意味まっとうな性欲というものではなく、相手に苦痛を与える・苦痛を与えられるということに快感をもつ男女がいるのだというなどなど、まさに「知らなかったこと」ばかりでありました。

なかでも「縄師」という女性を縛ることを職業としている人の話は印象に残りました。もちろんこれはたまたま男性が女性を縛るケースであって、世の中には逆もあるのだということは当然であるのですが。
縄師の言葉によれば、いやがる相手に無理やり苦痛を与えているわけではないというのであります。もちろん相手は縛られる苦痛などに慣れてはいないので、最初は心理的に抵抗があるわけですが、次第にそれに慣れていって、やがては苦痛と屈辱の中に不思議な心理的充足を得るのだそうです。そこに充足がなければ人は好んで苦痛など受けれるはずはありません。
結局縄師は自分のサディスト的欲求を満足するために縛っているわけではなく、相手を充足させるために拘束しているのです。そうでなければ単なる傷害行為ですからね。
苦痛で心理的充足を得る女性というのには決まったタイプがあって、自分に自信がない、自信を与えてくれる存在もない、対人関係に不安を抱えた人だというのであります。そして苦痛を与えられることによって不思議な解放を得る。なんだか、依存症になる人とちょっと似ているかもしれないと思いました。

そして、マゾヒズムというのは「卒業する」ものだと書かれていました。苦痛によって得る心理的充足が、本当の充足でないと知るからなのか、それともひょっとしたらそこに何か成長があるのか、単に虚しさを知るだけなのか、マゾヒストでない僕にはわかりません。しかし、数ヶ月から数年で人はマゾヒズムに興味を失ってしまうのだそうであります。

しかし、縛る側は相手を充足させることによって自分の充足を得ているのであります。したがって縛る側には卒業はなく、相手を失ったら次を求めて行くしかありません。実は依存していたのは縛る側のほうだったのであります。

だがまれに、卒業できないマゾヒストがいて、たいていは子供の頃に父親から暴力をふるわれて育った人であったりするのだそうです。そして縛る人間がいかに努力しても、そうした人間を決して充足させることはできないという話でありました。

縛る人間と、単に自分を充足させるために暴力をふるう人間と、本質が同じなのかどうかはわかりません。ただ、世の中は単に暴力をふるうことで自己充足しようとする人間と、その関係から卒業できずにいる人間であふれかえっているんだと知るのは、もっとずっと後のことであります。

気分が悪くなった? だから読むなっていったのに。

浪費の言い訳(にもならないか)

「購買意欲を失ってしまった」とか書きながら、舌の根も乾かないうちに Voyager 510 をソフマップの通販で買ってしまいました。ソフマップのポイントカードも持っていたような気がするのですが、長いこと秋葉原に行っていないので捨ててしまったようです。しかたないので作り直しました。

ちなみに、秋葉原は「あきはばら」と読むのが正しく、「あきばはら」は誤読です。ただし、略すときは「アキバ」と読みますし、語源となった秋葉神社は「あきばじんじゃ」であります。

それからパソコン用のBluetooth-USBアダプターと、携帯電話用のBluetooth-イヤホン端子アダプターをamazon.co.jpで買ってしまいました(在庫品処分で半額だったんだよう)。

そんでもって、固定電話をワイヤレスヘッドセットにするという計画は諦めたのですが、パナソニックの旧モデルのなかに、子機にヘッドセットを装着できるタイプがあることがわかりました。カタログで見ている限りでは親機にヘッドセット端子がついていると思っていたのですが、電気店の店頭で実物をみてみたら、子機についていました。ということは、子機ごと持ち歩けば、ワイヤレスヘッドセットが実現できるというわけです。
実はパナソニックのコードレス電話が2月に新製品が出る予定で、旧製品は在庫処分価格になっているか、すでに在庫がないかという状態になっています。そして新製品というのはヘッドセット端子がついていないことが判明しています。
「これは買うしかない」
と自分を納得させて、子機が2台ついているタイプのを、探しに探して注文いたしました。

最近は忙しくてあまりのんびり電話している時間もないのですが、だからこそ「ながら電話」をできる環境を整えないと・・・という言い訳には無理がありますね。物欲に支配されているときと言うのは、正気の精神状態とは違うのかも知れません。

話は変わって、僕はWikipediaをほとんど使わないのですが、最近たまに使ってみたら、以前よりずっとレスポンスが悪くなっていて驚きました。そういえば、日本人はWikipediaを大変熱心に使っているのだけれど、ドネーション(献金だ)はほとんど送らないということが問題視されているという報道がありました。ついに業を煮やして、日本向けの帯域を絞るとかいう実力行使に出たのかも知れないなぁと思いながら、その想像が事実かを調べるためにWikipediaのなかを彷徨うのもいやになるくらい遅いです。
送金するのは面倒なので、なるべくWikipediaを使うのは慎もうと思うのでありました。

Skype・Bluetooth・ヘッドセット・固定電話

風邪で一日休んでいました。
スポンシーとSkypeでチャットをしました。
1時間ほど文字チャットをした後、そういえば「ノートパソコン用にもヘッドセットを買っておいたんだった」と思い出してボイスチャットに切り替えました。
ルーターがきちんとUPnPにコンフィグされていれば、なかなか通話は快適です。音声の遅延もないし、音質はcmdaOneとPHSの中間ぐらいでしょうか。これがリピーターを介すると、遅延が国際電話より気になり、音質もムーバ(PDC)以下になってしまいます。

無線LANのノートパソコンだったので、ACケーブルを外せば部屋の中を移動しながら話すこともできます。洗濯物を取り込んだり、アイロンをかけたりすることもできました。両手があいているというのは楽であります。
ときどきコードレス電話で長電話をすることがあるのですが、30分も話していると受話器を持っている左手が痛くなってきます。
固定電話のコードレスホンが、ワイヤレスヘッドセットになったら、長電話をしながらパソコンをいじったりできるし、炊事(といっても最近はラーメンを煮るくらい)とか、片づけとかできていいかなぁと思うのであります。

ついでに、パソコンのSkypeや携帯電話のハンズフリーも一緒に実現できれば言うことなしってところでしょうか。そうなるとBluetoothという技術がものを言いそうです。実際に携帯電話のワイヤレスハンズフリーはBluetoothのものが中心のようです。

携帯電話用のワイヤレス・ハンズフリー・ヘッドセットは、例の道路交通法の改正の影響で受話器を持ったまま車を運転することができなくなったせいでしょう、各社から製品が出ています。ただ、僕の持っている携帯電話はBluetooth対応ではない(のがふつうだと思う)ので、イヤホン端子につけるアダプターも必要になります。アダプターとヘッドセットのセット商品が1万5千円ぐらいでしょうか。高いですな。
Bluetooth対応の携帯電話にすれば6千円〜8千円ぐらいのヘッドセットだけで済むのですが、携帯電話の選択肢が東芝製に限られるのが難点であります。

携帯電話ではあまり通話はしなくなってしまって、安いプランに変更してしまったので、この際携帯のハンズフリーは諦めることにします。オートマチック・トランスミッションの車にしか乗らないから、いつも片手は空いてるんだし(おいおい)。ヘッドセットじゃメールは打てないし(こらこら)。

さてパソコンのSkype用にはBluetoothのアダプターをつける必要があります。
これが意外と安くて4千円前後でUSB接続のものが売られています。PlanexのBT-01UDE \3,790 というのが、Bluetooth Ver2.0対応で安くて良いかもしれません。

次にヘッドセットは携帯電話のワイヤレスハンズフリー用のを流用するのが一番安いわけであります。ただ携帯電話用のは長時間装用することは前提にしていないらしく、耳が痛くなるという、ありがちな欠点を抱えているようです(ここらへんはコード付きのハンズフリーキットと同じか)。それに音質もあまり良くないようです。
調べてみると、PlantronicsのVoyager 510の人気が高いようです。amazon.co.jpで10,800円ですので、安くはないですが、装着や音質は快適なようですし、PCと携帯の両面待ち受けができたりしてなかなか良さそうであります。

さて最後の課題は固定電話のワイヤレスハンズフリー化であります。
これがなかなか無いのであります。Voyager 510にも固定電話用のアダプターがありますが、セットにすると3万5千円もします。これ なんかもなかなか良いなと思うのですが、値段を見ると6万円ちかくしたりします。やっぱり業務用ですね。

というわけで急速にやる気を失って、購買意欲もしぼんでしまいました。
アメリカではBluetoothも普及しているようで、たとえばBluetoothでパソコンと連携して電話帳が編集できたりするこんな電話 が$100あまりで売られていたりします。Bluetooth headset compatible と書いてあるので手持ちのヘッドセットを登録することもできるのでしょう。

ただアメリカ製の電話を日本の電話回線に取り付けるのは法令違反ですし(何を今さら)、ナンバーディスプレイなどが正常に動作するという保証もありません。

松下電器やパイオニアといったメーカーの家庭用コードレスホンも、ホームページにはデジタル・2.4GHz・周波数ホッピングという言葉が並んでいるのでBluetoothベースに移行したのかも知れません。でも、手持ちのヘッドセットをペアリング(登録)はできないだろうなと思われるのであります。

なんだかんだで、調べただけで購買意欲を失ってしまいました。最近こういうケースが多いです。

発熱

らーりらーりらー。
ねーつがあるー。
37℃というのはふつうの人にとっては微熱でしょうが、普段の体温が35℃前半の低体温症の僕にとっては十分高熱であります。
大いばりで解熱剤入りの風邪薬を飲んでいます。といっても誰もいませんが。
倍飲めば、倍効くのではないか、そう思ってしまうところがアディクトであります。

ミーティング中から鼻がずるずるしておりました。こういうときに限ってハンカチを忘れるのであります。
どうも寒気がするので、ひさしぶりにお風呂にお湯を張って入りましたら、体が暖まって、鼻の穴が両方開通いたしました。
こりゃー具合がいいわいとブログの更新などをしまして、ふと気がつくと明日が資源物ゴミの日であります。雑誌の束などを両手に氷点下の屋外を往復しておりましたら、すっかり寒くなってしまいました。

風呂の残り湯で洗濯をしたのですが、それを干す気力も、干してあった洗濯物をたたむ気力もありません。おかしいなと思っているうちに再び鼻が詰まり、咳も出始めました。
体温計を探して計ってみたものの、いっこうに「ピピピ」と鳴らないので、調べてみたら電池切れでした。もう一本探して、やっと計測できました。

風邪薬を探しあてて、飲む前に念のために賞味期限有効期限を見たら、1993年でありました。この家は物持ちが良すぎであります。子供用のを探し当てて飲んでいます。

ひかり電話の工事のトラブルで、午後2時半出社になった話を書くはずだったのに、お蔵入りであります。NTTの工事担当にさんざん文句を言ったのでありますが、実はこっちのミスだったりなんかして。ごめんなさい。

明日9時に起きられるかなぁ。

週末

よっぽど金曜日の午後の仕事は休んで帰ってしまおうかと思ったぐらい疲れていました。
帰宅した後、1時間ほど寝てしまったのですが、こうした細切れの睡眠では(体はともかく)脳みそは疲労を回復してはくれないそうです。逆に言うと、ノンレム睡眠・レム睡眠のサイクルを2回繰り返すと(約4時間)脳の休息としては十分なのだそうです。四当五落(五時間も寝ていると第一志望に受からないという受験生のジンクス)もあながち根拠がないとは言い切れないとか。

パソコンの水冷システムが壊れたので、新しいのを秋葉原の通販ショップに頼みました。今回のは正月に使った最安値のところではなく、昔からつきあいのある即納の店です。それが届いたのが木曜日の晩です。一晩では作業が終わらなかったので、12時でもって打ち切って金曜日の晩に持ち越しました。
金曜の晩も12時過ぎぐらいには作業が終わって、さてブログの更新でもしようかと思っていすに座り直し、その前にメールのチェックでもと思ったのですが、なぜかメールが受信できません。

メールが受信できないのはPOPFileという迷惑メールの振り分けソフトが動いてくれないからでした。POPFileが動かないのはPerlが動かないから・・・。
しかしそれはなぜなんだ、どうしてなんだ・・・。ソフトのアンインストールとインストールを繰り返してみたり、XPの「システムの復元」を試してみたり、また戻してみたり、数時間やっているうちに、ふと「あれ? ハードディスクの数が足りない」と気がつきました。そう、パソコン内部をいじった際にハードディスクのケーブルを抜きっぱなしにしたまま忘れていたのであります。
ケーブルを差し込んで再起動すると、何事もなかったようにメールが受信できました。
もう土曜日の朝になっていました。まったくコントロール喪失であります。

土曜日の昼はジジババがいないので、子供に飯を食わせるのは僕の役割です。「4時間寝れば十分なんだ」と自分に言い聞かせるのですが、どうも不機嫌になっていけません。それに集中力も注意力も散漫です。振込み用紙を持って郵便局に行ってみたものの、ATMでの振込みは2時まででした。モルモット用になるべく安い野菜をと思いサニーレタスを買い求めたものの、実は二束セットで値札の倍の値段だったり。

ひかり電話」を導入するのにあわせて、電話線の敷設を行うつもりだったのですが、イライラしていけないので、まだ夕方だというのに布団を引いて寝てしまいました。

深夜に起きて、しばらくしてまた寝まして、起きてみると日曜の昼でした。電話線の敷設・ルーターの設定・洗濯・石油ファンヒーターの修理・雑誌と不燃ゴミの処理・コンビニに買い物に行ってきたら日曜の夕方になりました。

「表を作る」という提案の中に、やらなければならないこと・やりたいことを箇条書きにして、次にそれに優先順位をつけて並べ直し、そんでもって下半分をごっそり削るというのがありました。
多くのことに責任をもてば、自分が無能だという自責から解放されますが、アルコホーリクががんばりすぎれば結局はまた飲んでしまうだけなのかも知れません。

いーじー・だず・いっと。
きーぷ・かみんばっく、いっと・わーくす・いふ・ゆー・わーこん・いっと。

お休み

仕事を休んで子供の授業参観に行きました。
妻が出られないので、僕が仕事を休んででも2回に1回は出ることにしています。
今回は時間の前半を次女の授業を見て、後半を長女の授業を見、そして次女のほうのPTA懇親会に出ました。来年度の役員を決めるので、ぜひ出席して欲しいという話だったのですが、いざ出てみると来年度の役員は事前の根回しによってほぼ決まっているようでした。
話題は子供の安全について・・・。昨今の事件を受けてと言うことでありましょうが、途中で失礼してしまいました。話している内容は大事なことだとは理解しているのですが、「論議が合理的だからといって、意味があるとは限らない」という言葉を思い出してしまいました。外へ出てみると、懇親会が続いているのはこのクラスだけでした。

長女のほうの懇親会にはおかげで出られなかったわけですが、資料に「9歳の壁」ということが書かれていました。小学校3年か4年ぐらいで学力にばらつきが大きくなってくること。それは学習の対象が具象的なことから(多少なりとも)抽象的なことを取り扱うことへ移っていくことがひとつの要因だそうであります。
また、親が宿題を教えてあげられるのがだんだん困難になってくるのも9〜10才ぐらいなのだとか。たしかに、最大公約数とか言われても、えーとどうやってやるんだっけなと一拍おかないと出てこない自分であります。

子供と一緒に安全について話し合い、子供と一緒に分数の勉強をするということが、これからの自分に求められているのかも知れません。

夜は病院メッセージへ。山奥(といったら失礼か)に住んでいて入院を繰り返した人が、福祉事務所と病院と相談した結果、今度は里に出てきて自助グループ通いをすることが決まったそうであります。(都会ならともかく長野では)何年か前なら考えられなかったことであります。酒をやめることは生計を立てるより大切だなんて価値観はどこを叩いても出てきはしなかったものです。背景には飲みながら生計を立ててもいずれダメになってしまった実例がたくさんあったのでありましょうが。
時代は変わります。変わらないこともあるし、悪い方に変わることもあるけれど、良く変わることだってあるのだ思いました。

この週末はセンター試験なのでしょうか。自分の共通一次試験の時を思い出します。前の晩はなかなか眠れなくて、ワンカップを二本飲んで寝たのでした。あのときは、酒は頼りになる友達だと思っていたのでありますが。

宮崎君ちのツトム君上告棄却に思う

今日のニュースは、阪神淡路震災11年とか、ライブドアとか、いろいろ目白押しでありましたが、やはり僕の目に行ったのは「宮崎勤被告に死刑・連続幼女殺害事件で最高裁が上告棄却」というところでしょうか。

三つに割れた精神鑑定だとか、子供をターゲットにした殺人事件の象徴的存在だとか、いろいろな文脈で書くことが出来るとは思うのですが、僕にとっては「僕と彼は同じ時代を生きてきたのだな」という感慨が大きいです。

事件が起きたのが17年前だそうですから、ちょうど昭和から平成に変わる頃でしょうか。僕は調布にいて、何回かの転居の最後の1回をすませた時期でした。引っ越ししたいという欲求はなかったのですが、外で飲んで帰る途中でアパートの鍵をなくしてしまい、トイレの窓を外して自分の部屋に侵入を試みた結果、水洗便所のタンクを破壊してしまい、大家から「あんたはトラブルばっかりだから出て行ってくれ」とたたき出された結果でした。

今田勇子の名前で犯行声明が送られたりして、センセーショナルに世間を沸かせていた割には、警察はなかなか犯人を逮捕することが出来ませんでした。手がかりがない中で、警察が取った手段が大量の捜査員を動員しての、不審人物・危険人物の聞き込みと割り出しでした。記憶に頼って書いているので正確ではないかもしれませんが、捜査線上に上った不審人物は800人に上ると聞きます。そして後になって僕は、自分もその800人の一人であったことを知るわけです。
僕の場合には、飲むための金を捻出するために、当時本棚の本を順次古本屋に売っているところでした。コンピューターの本なんて当時は価値はゼロだし、SFやミステリーの本も売ったところでたいした金にはなりません。昔も今も、安定した値段で買ってもらえるのはエロ本であります。それもどこの本屋でも買えるような種類のものじゃなく、入手経路が限られているもののほうが良い値が付きます。あとは想像におまかせします。
古本屋に本を売るときには身分証明が必要です。当時は免許証も保険証も持っていなかったのですが、水道料金の請求書なんかでも古本屋は納得してくれました。
いつも怪しげな本を売りに来る、身なりの汚い、目つきの怪しい男ということで、リストアップされたのかなと思います。そういえば酒を買いに行くのに警官に後をつけられたこともありました。

当時はまだインターネット以前ですが、それでもコンピューターネットワークはあって、結構みんな大変な思いをしていることが知れてきました。森伸之の「東京女子校制服図鑑」なんかが出た後で、アパートの押し入れに制服を数百着コレクションしていた男が警察に事情聴取を受け、それが勤務先に知れてクビになった話だとか、マンガ書店で手提げ袋に二袋本をまとめ買いして帰ったら、警官に自宅まで尾行されて近所の噂になった話だとか、まあネット上の噂の真偽が怪しいのは今も昔も変わりませんが。

でもそんな警察の捜査が功を奏して、犯人逮捕につながるのであります。彼が撮影した写真をDPEに出していた写真屋の店主から、いつもテニスコートを盗撮した写真を持ち込んでいる人物がいるという話が出たのが発端だと聞いています。(もっといろんな写真を現像してたんじゃないかという話はともかく)。

その話を聞いて皆が奇妙に思ったのが、なぜそんなすぐ足がつくようなことをしたのだろうかということであります。ミニラボの機械が普及して、なんでもかんでも現像印画してしまう今と違って、当時はプロ意識のはっきりした写真屋はエロ写真なんか紙焼きしてくれませんでした。下手に「コマが飛んでるんだけど」なんて文句を言っても軽蔑のまなざしを向けられるだけでした。

ちょっと現像にためらいがあるような写真は、新宿の大型カメラ店なんかが便利でありまして、一応名前と電話番号を書かされるのですが、もちろん偽名と偽番号でもかまいはしません。仕上がったものは名前のあいうえお順に並んでいるので、自分でそれを取ってレジに持って行ってお金を支払えば、だれも中身のチェックなどしませんでした。
数日経っても依頼人が受け取りに現れない写真は、片隅にまとめておかれており、それからランダムに抜き取ってレジに持って行き、引換券はときかれたら「なくしちゃった」と言えば、店のほうも金を取りっぱぐれるよりはと渡してくれました。後になって本当の持ち主が現れたとしても、「取りに来られないので処分してしまいました」でおしまいであります。
だから怪しげな写真目当てに、他人の写真を金を払って引き取ってくるなんていう遊びをして人もいました。

そんなことは「おたく」と呼ばれる人たちの間では常識に近いものであり、おたくというのは集積した知識をひけらかすことを面目としているので、つきあっていれば知りたくても知りたくなくてもそういう知識だけは貯まっていくものであります。
そういう知を持っていなかったという点で、彼の現実認識は歪んでいるのではないかという議論は当時もありました。

それはともかくとして、この事件は当時多少美化されつつあった「ロリコン=小児愛」というものを、実は実現すれば恐ろしいものという認識に転換したポイントであったように思います。少女が大人の男の(肉体的)愛情を受け止められるわけもなく、同じく少年が大人の女の愛情を受け止められるわけもないという、関係が成り立つというのは幻想でしかないことを明らかにした事件であったのではないかと。
少女と仲良くなって、やがて薬を飲ませていたずらをするとい筋書きのビデオが堂々と売られていた時代でしたが、そうしたものはあっという間に非合法化されました。もちろん前述のカメラ屋の手続きも変わりました。

そうした厳格化の波も、援助交際という名前の少女売春が社会問題化する中で、「子供を守らなくては」という文脈で同一化して語られたおかげで、逆に拡散してしまったのではないかと思うのですが、その話は宮崎君から離れるのでおいておきます。

昨年末に彼が外部に送った手紙には、「(今年の夏の)コミックマーケットのカタログを送って欲しい」と書かれていたそうです。結局彼は現実認識を変えずに世を去るのかも知れません。小児愛を夢想する人と、それを実行に移す人の間に、明確な壁があるのかどうか、いまだに僕にはわからないままです。自分の遺伝子の(たぶん)コピーを作ってみてわかったことは、子供は天使なんかじゃないと言うことです。その中は良い情念も暗い情念も渦巻く一個の人間であります。

結論があって書き出した文章ではないので、もちろん結びの言葉は思いつきません。おたくとはアグレッシブなものです。彼はそれを暴力という形で表出した。
最近では引きこもりもアディクションのひとつだという説が勢いを増しています。それについては不勉強なのでわかりません。
でもなんとなく、おたくと引きこもりというのは排他的なような気がします。おたくの定義にもよるか。

まあ、素人の戯言です。たまには論評みたいなことを書いてみたかっただけです。
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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