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一番古い記憶

思い出せる限り一番古い記憶は、3〜4歳ぐらいの頃のものです。実家の御上(おえ)と呼ばれる広い部屋で祖母と遊んでいる記憶です。それは直接の記憶ではなく、小学生の頃に「その場面を思い出した」ことを記憶しているだけです。

直接の記憶として残っているのは、4歳ぐらいで、実家の裏の道で遊んでいたことです。今はコンクリート舗装されたその道も、当時はまったく未舗装で人通りも少なく、草が茂っていました。自分の背と同じぐらいの高さの枯れススキの中で、誰かとかくれんぼをして遊んでいた記憶です。
でも、これも記憶を記憶しているのかもしれません。

AAでは過去のことを掘り起こす作業をするのですが、人生全体から見ればごく一部を取り出せるに過ぎません。残りの部分は平々凡々の日常が続いていたわけでもなく、思い出せた部分より意味が軽いわけでもありません。だとすれば、飛び飛びの記憶から紡ぎだした自分の人生のストーリーは、本来の中心線からずいぶんずれているものなんでしょう。

一度憶えたことを忘れることが本当に出来るかは知りませんが、想起されない記憶は不活発になっていきます。ようするに思い出せなくなるってことです。

子供の頃のことが茫洋として思い出せないように、飲んでいた頃の記憶もあいまいになってきました。AAミーティングでしゃべる体験も、過去に話したことばかりです。記憶を記憶しているわけです。だから、最初の1年・2年・3年の頃に、飲んでいた頃の自分を思い出す作業をしておかないと、後からその作業をしようと思っても、脳みそがそれを許してくれません。

病院メッセージで飲んでいた頃の話をするときは、なんだか中身が定型化してしまっている次第です。
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Bluetooth熱

今回はエレキネタです(というか電波ネタか)。
昨年の1月に突如自分の中で Bluetooth 熱が高まりました。

自動車を運転中に携帯で通話するには、ハンズフリーキットを使うべしと法律で定められています。車載用のちゃんとしたキットは数万円するのですが、そんな投資をするほど運転中に電話したいわけじゃありません。そこで、携帯用の安いキットを買いました。イヤホンの途中にマイクが付いていて、シャツにクリップで留めるような商品です。
が、実際に使ってみると、イヤホンのケーブルがとても邪魔で邪魔で、我慢なりません。また、使うためには携帯電話のイヤホン端子にケーブルを刺さないといけません。が、車に乗るたびに、ケーブルの抜き差しをするのは面倒で面倒で、ますますイライラしてしまいます。

そこで、イヤホンマイクと携帯の間を無線でつなぐ・・という当然の解決方法を探す事にしました。世の中には Bluetooth という無線の規格と製品があります。まず最初は、Bluetooth のイヤホンマイクを買いました。そして携帯電話のイヤホン端子には、Bluetoothの無線アダプタを取り付けます。しかしそれでは「車に乗るたびにイヤホン端子に、何かを接続する手間はちっとも減らない」ことに、なぜ自分は気が付かなかったのか・・・。

携帯電話本体の中に Bluetooth 機能を備えた機種もあります。で、さっそく機種変更。イヤホンマイクの出来が気に入らなかったので、ちゃんとしたヘッドセットを購入。これがなかなか便利で、携帯本体がポケットやカバンの中に入りっぱなしでも、ヘッドセットさえ身につけていれば、発信も着信もできます。調子に乗って、パソコンで Skype 通話するときも、このヘッドセットが使えれば便利だろうとパソコン用アダプタを購入。さらに自宅の電話も Bluetooth 対応に・・・。すっかり泥沼で、何万円使ったか忘れました。
そんなふうに熱が入ったわりには、あまり無線ヘッドセットは使いませんでした。

だって、電話あんまりかかってこないんだもん。

機種変更した携帯電話は使いにくくてたまりませんでした。そして、待ちに待った13ヵ月。やっと機種変更できる時期がやってきました。もうデカくて重い端末はこりごりです。ワンセグも要らないし、ニュース配信も要りません。小説もマンガもケータイじゃ読まないし、音楽も聴きません。だいたい、一日の大半を、パソコンの前に座って過ごす人ですから。

ネットって本当に匿名なのか・・・。

僕はここでは「アル中のひいらぎ」としか名乗っていません。
(少なくともこのホームページ内では)実名や、住所や、電話番号は公開していません。だから、匿名で活動していると言われれば、それは否定できません。でも、匿名だから言いたい放題のことが言えるかといえば、そんなことはありません。

同じアドレスで4年余り活動し、駄文を書き、よそのサイトにも出入りし、それなりの人間関係も出来ています。オンライン(ネット上)の人間関係は、オフライン(リアル)の人間関係とは違うかもしれませんが、ネットにはネットなりの社会があって人間関係があるわけです。
友人知己は大切にしたいものです。

もちろん、それらをかなぐり捨てて、固定ハンドル名も使わず、匿名プロキシサーバーを通して、没個性の一人として発言することもできます。そういうのはあまり好きじゃありません。「ほらみろ、お前だって完全匿名社会は嫌じゃないか」と言われれば、そのとおりであります。

新聞記事は、わずかな例外を除けば、たいてい匿名記事で、誰が書いたのかわかりません。
どこそこで交通事故が起きたというような雑報にまで署名を入れて欲しいとは思いませんが、「好ましい」とか「好ましくない」という意見を挟んだ記事を書くなら、署名記事にしろと言いたいです。別に記者の実名を公開しろってんじゃなくて、ペン・ネームでいいから載せたらどうかと思います。そうすれば、新聞社と言う会社が記事を書いているんじゃなくて、記者という個人が書いていることが明確になりますから。
そうならないうちは、新聞こそ「匿名メディア」じゃないかと。

PJとかオーマイニュースという「市民記者によるネット新聞」が不振だそうです。
原因は、読者が期待したほど市民記者のレベルが高くなかったことに尽きます。レベルの低い(つまり思い込みの強い)記事に対して、「脳内妄想」などといった中傷が(匿名で)浴びせられて、市民記者のプライドが傷つき萎縮して撤退→さらにレベルが落ちるという悪循環でしょう。それでもがんばって書き続けて欲しかったと思うんですが。

ネット上で何らかの意見表明をすれば、好意的な反応がもらえてうれしいこともあります。けれど、反対意見の人からの反応も、ダイレクトかつ即座に、おまけに長期的にやってくるものです。そこが紙のメディアと違うところです。

ネットを使えば作品を配布するハードルは低くなりますが、その作品に批判的な意見の配布も同じように簡単です。情報発信者だけを特別に守ってはくれない、公平だということなんですけどね。

「強制的に」と「好きなだけ」

ちくま新書で廣中直行という人の本を読んでいます。
その本の話は、別の機会にするとして。

ある薬が人体にどんな影響を及ぼすか、という実験をする時に、薬を人間に飲ませた後で、脳を切り刻んで確かめるというやり方はできません。仕方ないので、動物を使って実験します。
ところが、動物は薬を飲みたがりませんから、実験のためには、餌に薬を混ぜるとか、注射をするとかして投薬をします。この投薬は「強制的に外部から管理」されています。動物実験は、ずっとそのやり方でした。

アルコール・モルヒネ・アンフェタミン(覚醒剤)・ニコチン・カフェイン。こうした薬物依存の研究をするにも、動物実験をします。人間のアル中患者と同じにするには、動物が自分で薬物を摂るようにしないといけません。でも動物は酒を飲みたがりません。そこで静脈や胃袋にチューブをつなぎ、ボタンを押すと少量のアルコールなどが注がれるように仕組みます。そのボタンは、動物が好きなだけ押せるようにしておきます。
すると、「自分で好きなだけ」薬物を摂取して、依存症になります。

最近になって、前者のように強制的に薬物を与えた場合と、自分から求めて摂取した場合と、脳の中で起きる変化が違うとされるようになりました。

薬物を管理しながら与えると、依存症になりにくい、というのは、昔から経験的に知られたことです。毎日一合の晩酌を続ける人は、酒狂いにはなりにくいわけです。
自分で量を増やしたり減らしたりするのが、依存症への近道であるようです。

精神安定剤には、ある程度の依存性があります。朝昼晩毎食後に安定剤を飲む必要が
ある人もいますが、きちんと服用してれば処方薬依存にはなりにくいものです。もちろん、量を減らしたり、やめたりする時には、リバウンド(離脱)があるのは仕方ないことです。
危ないのは、効かないからと自分で量を増やし、調子が良いからと自分で量を減らすことです。上の動物実験の例で言えば、前者(管理下)から後者(欲しいだけ)に、いつのまにか変わっているわけです。

睡眠薬を切りたい人で、「昨日は眠かったので飲まなかった」と言う人がいます。そういうやり方が依存症者には危険だということは、なかなか理解してもらえません。「自分で量をコントロールできるから大丈夫です」と言われてしまいがちです。

自分でコントロールすること自体が危険だし、コントロールできていると思っていても、いつのまにか、そうでなくなっているものです。

お酒の時だって、自分は(飲む量が、時間が、場所が)コントロールできていると、自分に言い聞かせ続けた何年間があったはずなんですが。

パパと踊ったワルツ

上の子(長女)は、かなり「人の言うことを気にするタイプ」です。家族の誰かが、なにかでプリプリ怒っていると、長女も不安定です。また、がんばりすぎて疲れてしまうタイプでもあります。
下の子(次女)は、どちらかといえばマイペースです。手抜きをしすぎて、後で叱られるタイプと言いましょうか。もちろん子供ですから、親の感情に左右されますが、基本的に「なんと言われても、私には私の都合があるのよ」というオーラを発散させているように見えてしまいます。

たまに大きな夫婦げんかをして「離婚する」とか騒いでいると、本気で心配しているのは長女のほうです。父親か母親かどちらかが、子供を捨てて去っていってしまう可能性を本気で心配しているようです。対する次女のほうは、「そんなワケないじゃん」と落ち着いています。

買い物に外出すると、ついて行きたがるのは長女のほうです。単に外出好きなのかと思っていたのですが、「見捨てられ不安」が強いのかも知れません。お父さん、どっか行っちゃって帰ってこないかも知れないし。次女のほうは、一人で残ってゲームやマンガを楽しんでいる方が好きです。
学級が荒れていたとはいえ、不登校をやったのも長女のほうだし。

というわけで、上の子のほうが生きづらそう、という話を人にしたことがありました。その返答は・・・

「上のお子さんは、ひいらぎさんがお酒をやめてまだ1年2年のころに、赤ちゃんをやっているわけでしょう。それだけ回復していないお父さんの影響を、もろに受けたってことじゃないでしょうか」

子供は二人とも、父親が酒を飲んでいるところを見ていない・・ってのが、心の拠り所になっていたわけですが、それがガラガラと音を立てて崩れていった瞬間でした。
僕が飲んでいなくても、「飲んでいないだけ」の父親であったのは、明らかでした。長女と次女は2才違い。2年の違いが、ちょっとした回復を僕に与え、それが長女と次女の違いとして現れたってことでしょうか。
それとも、単に影響を受けた時間が2年少ないだけでしょうか。

子供は親の影響を受ける。飲んでいないだけのアル中じゃだめだ。ってことは分かるんですけど、でもそれってアル中本人には結構厳しい現実ですよね。

選択肢の時代

選択肢が増えている時代だと思います。

たとえば仕事にしても、ありとあらゆる職業から、好きなものを選べばよいと言われる時代になりました。僕らの親の世代には、それほど職業選択の自由があったわけじゃありません。

商品も沢山のなかから自由に選ぶことができる時代になりました。
たとえば家電製品だと、子供の頃には、(ナショナルとか東芝とかの)街の電器屋さんの店頭で見て選ぶか、せいぜいカタログで選ぶぐらいのものでした。僕は中学生の頃、短波ラジオを聴くのにこった時期があり、KHzまでディジタル表示される受信機が欲しかったのですが、親から与えられたのは、兄のお下がりの短波ラジオだけでした。まあ、そもそも選ぶ自由すら無かったというか。

今は、仕事でも商品でも、飛躍的に選択肢が広がっています。
ただ、問題は、その中から何を選んで良いか分からないことです。

ちょっと前までは、選ぶために必要な情報をたくさん与えれば、人は自分で選ぶことができると考えられていました。いままでテレビや新聞や雑誌という「フィルター」を介してしか得られなかった情報が、インターネットによって情報提供者から直接得ることが可能になりました。はたまた、CGMと称して、口コミ情報を集める手法も流行りました。

それが幸せにつながったのかどうか。幸せどころが、みんな選ぶことに疲れているような気がします。よりよいものを選ばなければならないプレッシャーにつぶされているように思えます。

どんなに良いものを選んでも、必ず失敗の要素は含まれています。人生から後悔を取り除くこともできません。

高校時代とか大学時代とか、男女がクラスという狭い枠の中に閉じこめれられている時には、交際相手をクラスメートの中から選べた人が、いざ就職して世間に出ると、膨大な選択肢を前に、結婚相手を選ぶことができなくなる・・なんて話もあったりして。

一度しかない人生なんだから、失敗したって良いじゃないか、と思うんですが。

お休み

過労性の頭痛で仕事を休みました。ついでにホームグループのミーティングも。
整体にかかってみたものの、あまりに状態が悪すぎるせいか、改善した感じがしません。
まあ、仕事はがんばれば一時的に効率を上げることはできますが、休養はがんばっても効率的に休養することなんてできません。一日の休みに、一日の休み以上の休養を求める病理といいましょうか。

吉野家で牛丼販売が拡大されるのだと、ニュースが伝えていました。
牛丼販売再開後も、まだ牛丼にありつけていない僕の口にも、これでやっと牛丼が届くのかもしれません。
豚丼も悪くないのですが、冷めるとどうも美味しくなくていけません。

さて、僕のほうがあなたよりソブラエティの期間が長いからって、すなわち僕のほうが偉いとか、優れているわけじゃありません。単に、僕のほうが早くAAにつながるチャンスを得られたってだけのことです。誰にチャンスを与えるかは、それこそ神さまの領分でしょうから、本人の資質の問題じゃありません。

僕よりソブラエティ期間が短くても、僕より回復している人はたくさんいます。逆に「先ゆく仲間」でもダメな人もいるに違いありません。だから、人を見る時は、その人の回復度合いを見るべきです。

ただ、残念なことに回復を図るモノサシはありません。少なくとも、みんなが納得できる計り方はありません。ただひとつ皆が納得できる基準があるとすれば、「酒を飲んだか、飲まなかったか」です。そして、人はそれが何日積み重なっているかを比べようとします。それは「変えられないこと」です。

今回与えられたソブラエティを、どれだけ大事にするかは、まったくその人の自由だと思います。ただ、また飲んでしまっても次があるという考え方は、間違っています。次も酒がやめられると限らないのですから。だから、今回のソブラエティを大事にしましょう。

ゲーム続行

人生は、どんなカードが配られても、楽しく遊べる限り、満足のできるものだということを学ぶ。

これは、ピーター神父訳のステップ12の文章です。現在の訳は「人生がどんな試練を投げかけてきても、真剣に対応して〜」となっています。今回は、どっちが良いという話じゃありません。

さて、『カッコウの巣の上で』という映画があります。
といって話を始めると、まるで僕がその映画を見たことがあるかのようですが、単に人から中身を聞いたにすぎません。

この映画は精神病院を舞台にしているので、出てくるのは精神病患者であります。
あるシーンで、患者同士がカードゲームをしています。
でも、ルールを全然分かっていない爺さんが、何度も何度もルールを破ります。そのたびに、神経質な爺さんが、ルールはこうだと説明するのですが、ちっともなおりはしません。それにいらだち、イライラしてきた爺さんに、別の爺さんがこう言います。
「つべこべ言わずにゲームを続けろ!」

伝聞情報だから、かなり違っているかも知れません。

ともかくそういうことです。配られたカードがしょぼくて、全然勝負になりそうになくても。相手がルール違反ばっかりしていて、まともなゲームになりそうもなくても。ともかく、ゲームは続ける。

何かの不幸に生まれついちゃっても、世の中が全然公正公平じゃなくても、今さら努力してもダメそうでも、そんなことはゲームを投げ出す理由にはなりません。
続けてみれば分かることもあるんでしょう。

ついでにそのゲームが楽しめれば、言うことなしですかね?

メールの着信音は、Kate Bush の Wuthering Height...

メールの着信音は、Kate Bush の Wuthering Heights (のイントロ)です。
Kate のデビュー曲であるこの歌は、エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』に着想を得て書かれた曲です。しかし僕は、『嵐が丘』を読んだことも、映画を見たこともありません。でも、『ガラスの仮面』は読んでいるので、劇中劇に出てきたはずですが・・・。記憶にございません。
明石家さんまの『恋のから騒ぎ』というテレビ番組のオープニング曲になっているので、聞いたことのある人は多いかもしれません。

通話の着信音は、なんかテキトーにネットから拾ってきたMIDIで、『Cosmic Fantasy』というタイトルが付いています。以前は、太陽にほえろのテーマでしたが、仕事中に鳴り出すと、どうしようもなく気まずいので変えました。同様に、キャンディーズの『年下の男の子』も、作ってはみたものの、どうしようもなくはずかしいので使いませんでした。

あとは、遊佐未森の『空に咲く花』のイントロと、ROUND TABLE featuring nino の『Let Me Be With You』を特定の人のメール着信音にしています。

ちなみに、自宅の留守電のBGMは遊佐未森の『君の手のひらから』です。

MIDIで着メロを作るのは大変ですが、CDから曲を取り込んで着うたを作るのは、ネット上から無料のソフトをダウンロードしてくる手間があればできます。

自分で作らなくても、携帯電話専用の掲示板を渡り歩けば、いくらでも(海賊版が)転がっていると聞きます。ダウンロードできるようにする(送信可能化)は違法ですが、それをダウンロードするのは違法とは言えないんだとか。それでも、携帯電話の小さな画面でネットサーフィンする気には、どうしてもなれません。

ニュースで、音楽CDの売り上げが6年連続で減少していると伝えていました。CDが売れなくなったのはネットのせいではなく、「余分な曲とカラオケが入った」マキシシングルを千五百円で売ったりする商売がよくないのだと思います。
欲しい曲だけ、iTMSで買う方が満足できますから。
それと、その曲ばっかり延々リピートで聴きたくなるような、そういう曲が少なくなったと感じています。

カフェインというケミカル

高校生の頃、カフェイン錠を飲むのがちょっと流行りました。受験勉強をするのに、眠くなると困るからです。四当五落なんて言葉もありました。
そのカフェイン錠に効果があったかなかったか、それは分かりません。ただ皆「全然効かねー」と言っていたと思います。

僕はコーヒーは朝しか飲みません。
朝起きて、トイレに行き、顔を洗った次にすることは、コーヒーを入れることです。粉はジャスコで売っている一番安い粉で、砂糖もミルクも入れません。それを飲んで、じっとしていると、次第に目が覚めてきます。カフェインの効果でしょう。それは、平日も週末も変わらない習慣です。別にコーヒーが好きなわけじゃありませんから、カフェイン錠でも代用できるかも知れません。

AAのミーティングでは、ごく薄いインスタントコーヒーを作って飲んでいます。口が渇くとしゃべりにくくなるので、なにか水分が欲しいのです。
いつもホームグループで、コーヒーのコップを洗ってくれる女性陣には感謝しています。男も平等に洗った方がいいと思うのですが、コップの洗えるシンクは女子トイレの中にしかないので、仕方がありません。女性が来なかった回は、男が女子トイレ内のシンクで洗っているか、あんまりコップを洗ってよさそうな感じがしない男子トイレの流しで洗っています。

夜コーヒーを飲むと眠れなくなる、なんて言う軟弱なヤツを、昔は鼻で笑っていたのですが、それは僕がアルコールという強力な睡眠薬を使っている自覚がなかったからにすぎません。

今夜は、アフターミーティングでAA仲間とファミレスに行ったのですが、ついつい出来心でコーヒーを頼んでしまいました。そして2回ぐらい「お代わり」してしまいました。
おかげで、胃がむかむかし、今夜はあまり眠れそうにありません。カフェインには血管収縮作用もあるそうなので、肩こりや腰痛には逆効果なのかもしれません。

9月から土曜日の会場係をやらせてもらい、司会もほとんど人に譲らずに続けてきました。それも来週でお終いです。ということは、同じ頃に引き受けた、任期1年の某MLのオーナー役も、半分終わったことになります。
人の役に立てている自信はありませんが、少なくとも自分の為にはなっています。
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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