第二の人生

今年のお正月休みにも(例によって)やることがたくさんあったのですが、「ねばならない」ことがあると「それ以外のこと」がやりたくなる反骨精神旺盛(単なる天邪鬼)なので、Second Lifeをインストールして遊んでみました。

セコンド・ライフは、いわゆる仮想世界です。自分の分身(アバター)をデザインし、その分身が仮想世界の中を移動したり、出会った人(だれかのアバター)とチャットしたり、物を交換したりします。

最初に大規模にこれを実現したのは、ルーカス・フィルムのハビタットだったと思います。日本では富士通がライセンスしてました。その後の20年位で、いろんなサービスが始まっては消えていきました。MMORPGと呼ばれるオンライン・ロール・プレイング・ゲームも、基本的な仕組みは同じです。ただRPGには、パーティを組んで敵を倒すという明確な目的がありますが、Second Lifeのような仮想世界の住民には「するべきこと」はありません。
しかし、MMORPG好きの人のブログとかを読むと、話題は「異世界で出会った友人との交流」であったり、「住民たちの変な行動」だったりして、異世界で集まった人間どうしで楽しんでいる様子が伺えます。もはやそこでは、ファンタジー世界とかモンスターの存在は、たんなる雰囲気にすぎません。

セコンド・ライフは、アバターを含めて、その世界にあるすべてが3次元のモデリングで表現されています。ゲーム仕様の高性能パソコンが前提で、ちょっと古いパソコンや、ノートでは厳しいでしょう。3次元のモデリングを採用したおかげで、アバターのデザインも自由になりました。単に目鼻口などの部品を選ぶだけでなく、たとえば鼻袋の大きさから後ろ頭の出っ張り具合まで、体全体を細かくデザインできるようになっています。

セコンド・ライフが話題になり始めたのは、年末ぐらいでしたでしょうか。いずれ日本でもサービスが始まるという案内でしたので、興味本位で正月に遊んでみたわけです。

(明日へ続く)

キーボード

最近、パソコンのマザーボード・ディジカメ・車のエンジンスターターと、いろいろなものが故障してくれます。

電子機器が故障すると、僕はどう対処するか・・・手でばしんばしんと引っぱたく、あるいは小さなものであれば机の角に「ガン、ガン」とぶつけてみます。電子機器の故障原因の4割(6割だったか)は、部品の接触不良という説もあります。だから、振動を与えて接触を復活させれば直る・・・こともあります。

何十年か前には、テレビが故障したら「ガンガン引っぱたく」のが当たり前の時代がありました。あれには、接点復活の意味があったのです。もっと、当時のテレビは真空管式です。真空管は基盤のソケットに刺さっているのですが、ソケット側、あるいは真空管の端子側が錆びたり、埃が挟まると、導通が悪くなってテレビの映りが悪くなるので、振動させることで接点を復活させていたわけです。

時代は変わって、個々の部品の故障のほうが増えてきましたが、部品と部品を物理的に接触させている場所がそれほど減ったわけじゃありません。それが証拠に、最初に挙げた三つは、いずれも叩くと一時的に直ります。いずれまた同じ症状が出るので、根本的な解決にはならないのが、この修理法(?)の欠点です。
もう一つの欠点としては、修理(?)作業中の姿は、端からすれば「キレてる」としか見えないことです。

パソコンのキーボードを買い換えたのが2年半前。メカニカル式のカシャカシャうるさいのを選んで、気に入って使っていたのですが、Enterキーの接点の寿命が近いようで、ときどきEnter入力が抜ける時があります。
さすがにこれはイラつきます。ムキー。
どうもこれは叩いても直らないようであります。これが製品寿命なのでしょう。

ロジクールあたりの安いキーボードに買い換えようと思っているのですが、
HHKB Professional2
が気になって仕方ありません。23,800円かぁ。さすがにLiteより高いなぁ。

ちなみに、調子が悪い女房を叩いても治りません(試してみてないけど)。

身体・精神・依存・毒性

こんな表を考えることができます。

+−−+−−−−+−−−−+
| \| 依存 | 毒性 |
+−−+−−−−+−−−−+
|身体|身体依存|身体毒性|
+−−+−−−−+−−−−+
|精神|精神依存|精神毒性|
+−−+−−−−+−−−−+

身体(からだ)と精神(こころ)、依存と毒性、これで4分割します。

たとえば身体の行と・依存の桁を見ると「身体依存」。たとえば、酒が体から抜けていく時に、離脱症状として上半身の大汗や、手足のしびれや震えが起きることがあります。これは、体がアルコールに依存してしまって、アルコールがないとバランスが取れない状態です。

酒でストレスを紛らわすこと(紛らわせたつもり)を続けていると、ストレスを感じると酒を飲まずにいられなくなります。これがひとつ下の欄の「精神依存」です。
例えば、昼食後に喫煙室でタバコを吸おうと思ったら、人がいっぱいで入れず、悔しい思いをしたとします。これも精神的依存でしょう。

タバコの身体依存というのは、例えば起床後30分以内にタバコを吸わないといられないという症状です。寝ている間は吸えなかったので、血中ニコチン濃度が下がってしまい、すぐにニコチンを補給する必要に迫られているのです。

右側に移って「身体毒性」は分かりやすいです。「酒は百薬の長」という言葉には「されど万病の元」が続きます。肝臓腎臓は言うに及ばず、全身くまなく酒の害はあります。酒をやめたAAメンバーにとって、体の調子が悪いという話題は、まるで天気の話題のように一般的な話題です。

最後は「精神毒性」。酒を飲み続けたせいで、ひがみっぽくなったり、嫉妬深くなったり、疑い深くなったり・・・。ともかく人間関係の摩擦を生み出す方に変わっていきます。あるいは、無気力になったり、自己破壊衝動が強くなったりして、社会生活に影響がでます。
タバコは吸えないと激しくイライラしますが、それによって性格まで変わってしまうことはなさそうです。依存対象の物質によって、この4つの升目それぞれの強弱は違います。

左半分を「依存症」、右半分を「中毒症」と呼ぶこともできそうです。

しかし、体と心の境界線があいまいであるように、依存と毒性の境界もあいまいであり、概念上の分類に過ぎないのかもしれません。もっとも、病気の名前そのものが、あいまいなものに区切りをつけるための便宜に過ぎないのですが。

コントロール願望

AAミーティングにやってきて、最初の半年、あるいは一年、ほとんど自分の名前しかしゃべらなかったにも関わらず、やがて少しずつ話をするようになり、とうとうミーティングで司会を引き受けるようになった例を、二つ知っています。

だいたいが「涙も言葉も信じない」と言う集まりです。
後悔の涙を流している人が、やがて同じことを繰り返す。「もう絶対に飲まない」と誓っている人が、やがて飲む。だから、涙や言葉を信用すれば裏切られて当たり前です。信用できるのは、その人が酒をやめるために何か具体的な行動をしていること(AA風に言えば「足で稼ぐ」)です。

何もしゃべらない人に、「正直に何か話せ」と強要してみても、何の役に立たないどころか、反発を招いてかえって有害だと思います。鳴くまで待とうホトトギス、ではないけれど、それを受け入れて待つしかありません。「毎回パスするのが気に入らない」などと自分が思い出したら、イライラする対象が増えるだけです。
わざわざミーティングの居心地を、自分で悪くしてどうするのか?
AAの人数が多い北米では、3年しゃべらない人も珍しくないと言います。ミーティングに足を運び続けるだけで、十分回復へ向かっていると思います。

しゃべらないに限らず、声が小さくて良く聞き取れないとか、話の内容が意味不明だとか、AAらしい話をしていないとか、気にし出せばキリがありません。相手のことが気に障るのは、相手を「自分の型」にはめようとしているからかもしれません。要するに相手を思い通りに操りたいだけの話です。
なのに「AAの第一の目的」なんていう言葉で自分の悪意をごまかしてみたりします。口では無力なんて言いながら、無力であることがたいそう気に入らない。

そうは言っても、ミーティングの司会進行役を任されている時には、ミーティングがAAらしい雰囲気を保つように気を使います。あんまり話題が依存症から離れられるのも困ります。内心で「あ〜、毎度毎度この人ったら、もう」と思っちゃうこともあります。でも苦労なく楽にやっていきたいと思うこと自体が、すでに無力じゃないのでしょう。

困った人は、なにもニューカマーに限りません。

遠くからわざわざやってきたソーバーの長いメンバーも、最近つながったばかりで当を得ない話をするメンバーも、同じ時間を共有してるんですから、どちらが優先というわけにもいきません。「自分の運んでいるメッセージのほうが、他の人のものより重要だ」なんて心の底で思っている人の話なんか、長々聞きたいとは思いません。

とはいえ僕も、ミーティング帰りの車の中で、いろいろをコントロールしすぎていると反省することしきりですけどね。

狂ったベクトル

初めてタバコを吸ったのは、小学生の時でした。
近所の友だちと悪ふざけをし、父のタバコを持ち出して、空き地で吸ってみました。吸い込んだ瞬間に、頭ががーんとなり、目の前が真っ暗になりました。意識を取り戻した後に友だちから聞いた話では、僕はその間に口から気持ち悪い液体をはき出していたそうです。
それでも高校生の頃には立派なスモーカーになっていました。

タバコを吸い始めの頃は、吸うことで軽い酩酊感や浮揚感を味わうことができます。それを味わうために吸い出したのではなく、ただ同年齢の仲間たちに後れを取りたくなかっただけでした。そして、煙っぽいのに慣れる頃には、吸うことの夜気持ちよさはどこかへ消えてしまいましたが、それでも吸うのをやめませんでした。

ときどき経済的な理由でタバコをやめてみて、間をおいて吸い始めると、またあの浮揚感を感じることができましたが、1日か2日でそれも消えてしまいました。僕にとってタバコが「無くてもかまわないけど、あると嬉しい嗜好品」だったのは高校時代ぐらいのものでしょう。あとは依存症で、タバコを切らせば夜中のコンビニまで買いに出かけるのが当たり前でした。

深々とタバコの煙を吸い込んで「プハー」とやれるようになるには、相当な訓練が必要です。わざわざ苦労して依存症になったようなものです。

酒の場合もそうでしたね。飲み出した最初からバンバン飲めたって人もいますが、僕は訓練して酒に強くなったタイプです。そして、飲み出した最初から「もう明日どうなってもかまわない」と無茶な飲み方をしていたワケじゃありません。
翌日二日酔いで苦しまないよう、飲む量を加減し、そして(もっと気持ちよくなるために)その量が増えるように=酒が強くなるように、訓練を重ねたのです。まあ、訓練といっても酒を飲んでいただけですが。
それでも、苦労を重ねて依存症になったことに変わりありません。
酒で失敗をすれば、その失敗を繰り返さないように飲み方を工夫しました。

病気になりたくてなったワケじゃありませんが、振り返ってみれば、病気になる方向へと懸命に努力していた自分の姿があります。飲み過ぎた挙げ句に「正気と狂気の境目」を踏み越えてしまったのではなく、最初のベクトルからして方向が狂っていたにもかかわらず、努力の方向を変えることができませんでした。

ま、自分で方向を変えられないからこそ「無力」なんでしょう。

安からんこと、なんじが心の家路

純アルコールの消費量を計算してグラフにしてみました。
純アルコール消費量のグラフ 1948-2005携帯電話からアクセスの方は、画像が見えないかもしれません。ごめんなさい。

これは国税庁の年表に、酒類別の消費量の統計があったので、それに酒類別の標準アルコール度数(これも年表から)を乗じて求めてみたものです。古いところは消費量の統計が無くて代わりに移動量(課税対象)を使ったり、標準度数がない酒類があったり、酒類の区分変更があったり・・・と、正確とは言えないグラフですが、およその傾向はつかめるでしょう。
終戦直後に年5万キロリットルだった消費量が、近年は100万キロリットルを越えています。この間ほぼ毎年増え続けて実に20倍以上です。これほど右肩上がりが顕著な統計グラフも珍しいと思います。

戦前についてはデータがありません。増収増税策として醸造用アルコールを添加する政策がとられる以前は、清酒は高級嗜好品であり、一般にはどぶろくを家庭で作って飲んでいた・・つまり統計のとりようがありません(以降自家醸造は禁止となり、結構重罪です)。

僕は父と40才近く年が離れています。僕の生きる時代と比べ、父が僕と同じ年齢を生きた40年前は、はるかにアルコールの消費量が少なく、まだまだ酒は高級嗜好品であっただろうと思われます。だから、依存症になれる遺伝子と、なりやすい環境が揃っていたとしても、なりたくてもなれなかった人は多かったに違いありません。
現在でこそ「親がアル中」という人は珍しくなくなりましたが、ちょっと前までは「親がアル中」という家は酒に耽溺できるだけ生活の余裕がある=結構いいおうちの出、だったのです。三代アル中ならよほどの資産家?
そうした時代に、資産家でもないのに毎日飲んだくれていたら、風当たりは今よりずっと激しかったのかも知れません。

1990年代に消費量が急激に伸びているのは、酒類販売の自由化や、ウィスキーの値下げの影響かと思います。戦後一貫して消費量が伸びてきたのは、酒税を増収する国策のおかげです。結果としてアルコール依存症の患者も増えたわけですが、それに対する国の施策は増収に見合ったものとは思えません(おお政治的意見)。

1990年代に消費量が急激に伸びているのは、酒類販売の自由化や、ウィスキーの値下げの影響かと思います。戦後一貫して消費量が伸びてきたのは、酒税を増収する国策のおかげです。結果としてアルコール依存症の患者も増えたわけですが、それに対する国の施策は増収に見合ったものとは思えません(おお政治的意見)。

どぶろくが自家醸造できると言っても、かなり面倒な手順が必要です。酔っぱらえればいいアル中のためには、もっと簡単な方法がある・・と、とある人から教えてもらったことがあります。
その手順とは:まず一升瓶を良く洗う。中に水を入れ、蜂蜜を溶かす。パン発酵用のイースト菌をスーパーで買ってきて混ぜ、瓶を密閉しないで暖かいところに置く・・。
僕は試したことがないので、これで本当にエチルアルコールができるか知りません。もしあなたが試してみて、その結果病院に運ばれることになっても、それはあなたの自己責任ということでお願いします。

人生には終わりがあります。もしアル中が飲まずに死んだのなら、飲まないアルコホリック業界の人間としては、目的達成に拍手を送りたいです。もし飲んだまま死が訪れたとしても、ともかくその人の苦しみに終わりが来たことを良しとしたいです。
飲まない一日に感謝できないアル中は、その他の人生の贈り物にも感謝できない。「今日一日の感謝」が僕のテーマです。その人の心の家路の安からんことを祈ります。

mixiとWikiはまだ先

mixiもやってみたいと思っていますし、Wikipediaの編集に参加したいとも思っています。
取り掛かるのは難しくないけれど、続けていくことの困難さを思って始めていません。人間の持つ時間は有限なので、なにかを始めれば、それに取られる時間は、他のことを減らすことで調達しなければなりません。その「ほかの事」が、ただぼ〜っとしているだけであったとしても、それはそれで人生には貴重な作業です。

心の家路には、毎日150〜170人ぐらいのユニークビジターがあります。この数字はトップページと雑記のページで数えているので、他のページだけ見る人(含む自分)はカウントされていません。
雑記は、えんぴつさるさる日記 にも同じコピーが置いてあります。えんぴつのアクセス数が毎日160〜180ぐらい。さるさるは毎日10〜20です。このうち家路本体とえんぴつの重複が20〜30ぐらいです。

最近「えんぴつ」のアクセス数が伸びてきたのは理由があって、その大部分が携帯電話からのアクセスです。去年のことですが、携帯電話各社がトップページに検索ボックスをつけるようになりました。auはGoogle、SBMはもちろんYahoo! JAPAN、ドコモはgooです(ただ、この前ドコモの端末にちょっと触らせてもらいましたが、iメニューの中に検索ボックスが見当たりませんでしたが)。その検索ボックスで、「アルコール依存症」などで検索してくる人が多いのでしょう。さるさるのアクセス数の半分、およそ80ぐらいは携帯電話です。

「心の家路」の携帯電話用ホームページには、短くて更新の止まったコンテンツがあるだけで、あとはえんぴつへのリンクが置いてあるだけです。だから、えんぴつをブックマークしている人が多いのでしょう。

携帯用ページは、iモード用とEZweb用を手で編集して作りました。容量制限やタグ制限もきついので、PC用ページが更新されても、携帯用はほったらかしです。携帯用ページを自動生成するプログラムを書きたい・・。そして携帯電話ユーザーにも、心の家路の雑記以外のコンテンツも読んで欲しい。そう思いながら怠惰なままに時間ばかりが過ぎていきます。いや、怠惰じゃなくて、ぼう〜っとする作業に熱中しているのか。

mixiやWikiを始めてしまうと、滞っている作業がさらに滞ります。だらそれが済んでからにしようかと思っています。まあ、このペースでは当分先になるでしょう。

「mixi読み逃げ」ってダメなの?
2ちゃんもmixiも、その中にいる人たちが独自の文化を作るのでしょう。

代謝しきれない?

昨日の話の続きです。

純アルコール換算で、毎日150ml以上飲む人を「大量飲酒者」とする話をしました。なぜ150mlかというと、24時間アルコール漬けになるからです。たとえアルコール依存症にならなかったとしても、内臓に負担がかかって、さまざま病気の元になりますから、この分類にも意味があります。
焼酎やウィスキーを、二日で一本空けているなら、あなたも大量飲酒者の仲間入りです。

さて、日本にどれぐらい大量飲酒者がいるのか?
有名なのは、額田の式というやつで、これはさまざまなアルコール飲料の消費量から純アルコールの消費量を計算し、人口なども考慮して大量飲酒者の数を「推計」する式です。残念ながら、具体的にどういう式なのかは知りません。それから計算した数が、220万人(のちに230万人)です。
この数字が始めて世の中に出たのは、1981〜82年ごろのようです。
(※額田粲:Lederman Mode1 の研究及び関連調査、昭和55年度調査研究結果報告書(?U)、(社)アルコール健康医学協会、pp9-28,1981)
ヒマなひとは Lederman Model で検索してみてください。WHOの推算式よばれているのもこの式ではないかと思います。

この230万人という数字は、あくまで「大量飲酒者」の数で、アルコール依存症のひとの数ではありません。依存症になってしまった身からすればちょっと悔しいのですが、それだけ飲んでも依存症にはならない人、環境や体質に恵まれた人が結構たくさんいるのです。別の見方をすれば、「まだ」依存症になっていない人であるかもしれず、「まだ」ならないうちに寿命のほうが早く来てしまう人なのかもしれません。

近年行われたアルコール依存症の調査研究では、患者数は九十数万人でした。医療機関で依存症の治療を受けている人は一万数千人というデータもあります。

話は変わって、焼酎ビン半分で24時間酔うならば、もっとたくさん毎日飲んだらどうなるのか? 例えば毎日焼酎(4合ビン)一本とか。だんだん体内にアルコールが蓄積されていく・・・てことはなくて、尿や汗からアルコールのまま排出されてしまいます。もっともそれは腸で吸収された後の話で、吸収されないまま外に出てしまう分も多いでしょう。

たくさん液体を飲めば、たくさん液体が出ます。おかげで、AAのミーティングにも尾篭(かつ笑える)話がごろごろしています。そういう汚い話を、暗くならず、明るくライトに聞かせる技量を、みなさん磨いていらっしゃいます。
自分の過去を笑えるようになるのも、回復でしょうか。

アルコールの代謝

二郎さんのところの掲示板にも書いたのですが、書き直して再掲します。

人間の肝臓は、一時間あたり、体重1キログラムあたり、0.1グラムのエチルアルコールを分解する能力があるとされています。体重55Kgの人なら、一時間に0.1g×55=5.5グラムの分解能力です。
アルコールの度数(何パーセントというやつ)は、重量比だったり、容積比だったり、酒の種類によって違うのですが、高アルコールの酒は容積比が多いようなので、ここでは容積比で計算します。
アルコールの比重を0.8とすると、5.5g÷0.8=6.8ml。つまり、健康な人の肝臓は、一時間に6.8ミリリットル(=6.8cc)のアルコールを分解できるのです。6.8ccがどれくらいか想像できない人は、シアナマイドを飲むあの小さなカップを思い浮かべてください。あれは10ccですから、2/3ぐらいです。人の体が、ほんのちょっぴりずつしかアルコールをできないことが分かるでしょう。

日本酒やワインの度数は15%ぐらいです。6.8ml÷0.15=46ml。一合の4分の1です。つまり、一合の日本酒が体で分解されるのに、4時間かかります。夕方にワインボトル2本空けたならば、翌々日の午前中まで酒が体に残るでしょう。

日本酒を6合飲むと、24時間アルコールが体に残り続けます。次の日も飲めば、体も脳もアルコール浸しの状態が続いていくことになります。これはあまりに不健康なので、毎日5合〜6合飲む人を、アルコール依存症であるかどうかにかかわらず「大量飲酒者」という分類をしたのです。

最初は酒に弱くて少ししか飲めない人が、やがてたくさん飲めるようになる、いわゆる「酒が強くなる」現象があります。依存症になる人は、最初から思いっきり飲める人も結構いますけど、たいていこの過程を通ります。これは必ずしも、肝臓の能力が上がっていくことを意味しません。どちらかというと脳の反応が変わっていくのが主のようです。もともと肝臓が持っていた潜在能力以上は引き出しようがないのです。

日本酒なら5合半、ワインなら1本半、ウィスキーや焼酎なら瓶半分、ビールなら大瓶5本半、毎日これ以上飲むと、肝臓他の臓器は休まるヒマはなく、脳はつねにアルコール漬けの状態にさらされます。病気になるのも当たり前という気がします。
それでも人間生きていく強さがあるのがすごいと思います。

ちなみに精神科で出す薬は、アルコールより代謝速度が速いようで、血中濃度のグラフを見ると、短い半減期であっというまにゼロに近づいていきます。

甘んじて受け入れる(ア・ドッグ・ハズ・カム)

そのうち書こうと思っていたのですが、我が家に犬がやってきています。

ともかく妻は太りすぎで、筋肉も落ちているので、体を動かさないと良くないと、医者を含む周囲から言われていました。フィットネスクラブにも通ったのですが、嫌になってしまったらしいです。「散歩でもしたらどうか」と勧めたのですが、一人でするのはつまらないと言います。犬でも飼っていれば散歩に行くのにね、という話が、ずいぶん前から出たり引っ込んだりしていました。

しかし我が家はアパート住まいなので、動物を飼うには大家(妻の父)の許可を得ないと行けません。そこで、犬はダメだが猫なら良いという話になりました。というわけで、我が家の一員に子猫が加わったのが昨年夏です。
でも、猫は散歩に連れて行けないしね。

何度か犬という話がぶり返した後、ついに大家の許可が出てしまいました。まったく、父親ってのは娘に甘いものです。たとえその娘が四十過ぎでも。はぁ〜、やれやれ。

我が家は狭いし、猫もいるので、室内犬は飼えません。必然的に、中型犬になります。でもね、犬は10年以上生きるんです。娘が成人しちゃいますよ。後になって世話ができないとか言って、人に押しつけるな、とそれだけは念を押しておいたのですが、どうだか怪しいものです。

そんな経緯で、先月我が家にビーグル犬がやってきました。スヌーピーのモデルになった犬種ですね。一番無駄に吼える犬種でもあります。無駄に高かったです。注射にもお金がかかりますし、1年間は指定の餌を与えないと行けません。

名前は偉大なるドラマーの名前をもらって「ポン太」としました。ポン太はまだ子犬なので室内のケージの中にいます。人間が散歩に連れて行く時と、遊んでくれる時だけケージの外に出してもらえます。
僕の主治医からは、「奥さんはともかく、あなたに負担がかからないか心配だ」という話をもらったので、なるべく犬には関わらないことにしています。妻は毎日午前午後と散歩に行って、体重も体脂肪率も減ってきているようです。

去年妻が入院した時に「私の通帳を持ってきて」と頼まれ、(見てはいけない)とは思いながらついつい中を見てみたら、残高は僕名義の通帳より一桁多かったです。その後二桁多くなり、現在は三桁多い状態です。別に妻の貯金がうなぎ登りに増えたワケじゃありません。まあ、今月の給料日まで、もう引き落としはないはずだから大丈夫でしょうけど。

僕には妻は変えられない、と最近つくづく思います。いかに口うるさく言っても、変わらないものは変わりません。
無力とは諦めに似ているとAAの仲間が言っていました。その時、諦念という言葉も出ました。accept には「受け入れる」とか受容という言葉をあてますが、「甘受」という訳語もあります。背中に「金づる」という言葉を書いた紙を貼って歩いた方がいいのかもしれません。
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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