スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

予備の原稿

スポーツの審判は人間がやるものであり、人間がやるからこそ不完全であります。

僕はスポーツはしませんが、見るのは好きであり、見ているだけならルールがどんなに複雑でもかまいはしません。たとえばサッカーのオフサイドは、ハーフウェイラインより向こう側だけに適用されますが、ラグビーのオフサイドは場所を限定しません。しかも複数のオフサイドルールがあって、どれを適用するか刻々と変わっていきます。
たとえばオフサイドをして相手にキックを与えてしまったとします。相手がキックするときは、最低10m離れてないと後のプレーに参加できません(なので走って後退する)。間髪与えずにキックすればオフサイド・プレーヤーを沢山作ることができます。けれどキックする側は、蹴った地点より前にいた選手は全員オフサイド、蹴ったボールを敵がキャッチするとこちらもキャッチより前にいる選手は全員オフサイドとなります。はたしてプレーに参加できるのは誰と誰?
脳みそまで筋肉で出来ているんじゃないか(失礼)といういかつい男たちが、瞬時に冷静な判断をしてゲームを組み立てていくところがラグビーの魅力だと思っています。

でもプレーヤーは15×2=30人もいて、レフェリーは一人です。10mといったって線が引いてあるわけじゃなし、一方を見ていれば頭の後ろは見えません。密集していれば、反対側で何が起きていてもレフェリーには見えません(観客には見える)。それはどうするのか?

「見えないものは仕方ないじゃん」とでも言いましょうか。観客にいくら見えていても関係ないのです。レフェリーという限界あるものを信頼して、敬意を払っていくのがラグビーであり、間違いがあるのが当たり前なのであります。

アメリカンフットボール(NFL)には「チャレンジ」というビデオ判定を要求できるルールがあります。判定に不服があればコーチが赤いフラッグをフィールドに投げ入れ、主審がビデオをチェックして再判定をします。ただしチャレンジして判定が覆らなければ、3回あるタイムアウトの権利のうち1回を没収されます。時間との勝負であるアメフトで、時計を止める権利を失うことがどれほどの損失か。
チャレンジが吉と出るか凶と出るか、観客もどきどきしながら結果を待てるわけです。

イギリス人のジェントルマン性、アメリカ人の合理主義と申しましょうか。

日本のプロ野球でもビデオ判定を導入しようという動きがあります。でもチャレンジ失敗の時にどんなペナルティがよいのか(観客が楽しめるのか)となると、難しいですね。
スポンサーサイト

だから僕も許して

AAの仲間は許さなければならない、と言います。
鼻で笑われようが、頭をひっぱたかれようが、陰口をたたかれようが、デマを流されようが、金を返してくれなかろうが、秘密をバラされようが、ともかく許さねばならないと言います。
なぜ許さなければならないのか、AAの仲間だからです。

許さないのは憎んでいるということです。憎んでいる相手と一緒の空間にいてリラックスできる人はいないでしょう。むしろどっと疲れて、嫌な気分になります。同じミーティングに参加する仲間を恨んでしまえば、ミーティングに行くのが嫌になります。嫌になれば行かなくなるし、行かなくなれば飲んでしまうし、飲んでしまえば死んでしまうのです。憎しみはAAメンバーを殺すのです。嘘だと思うなら、試してみればよろしい。

憎んでいないと強がってみても、相手を強烈に意識している行動に嘘はつけません。相手に弱みを見せないよう、いつも緊張してないといけません。相手を避けようとすれば、自分の行動範囲が自然に狭くなり、この地上で安心できる場所がどんどん減って、最後は部屋にこもって酒でも飲むしかなくなります。
避けたところで、相手はこの世から消えてくれません。
だから許すしかありません。

何もAAに限りませんね。仕事で言えば、同じ職場の人でも、取引先の人でも、憎んでしまえば、その人と一緒にいるのが苦痛になり、仕事が嫌になります。家庭でも、家族の誰かを嫌ってしまえば、家にいるのが苦痛になります。自分で自分を生きづらくしているだけなのに、そういう人に限って「自分以外の誰か」を悪者にしたがります。

人に限らず、社会的なしきたりや制度も、憎しみの対象になり得ます。たとえば会社組織そのものとか、借りた金は返すという契約とか、田舎の濃密な人間関係とか、精神病院とか。そのことを思い出すたびに、心の平和はなくなってしまいます。その人に言わせれば「正当な怒り」なんでしょうけど。

ステップ4で作る表には、この憎んでいる(怒っている)相手や仕組みを書いていきます。相手が人間であれば「この人と二人きりになったら落ち着かない」という名前をリストアップしていけば、まず間違いありません。制度であれば逃れたいと思うもの。ともかくそれをやれば、いろんなことを憎んで、いろんな場所を居心地悪くしている張本人は、他ならぬ自分自身だということが、少しは分かるはずです。
じゃあそれをどうするかは、あとのステップの話です。

「最近どこそこの掲示板の居心地が悪い」という話も聞きますが、掲示板というのはニュートラルなものです。単にそこの誰かを憎むか嫌うかすることで、居心地悪く感じるように自分をし向けているだけなんです。
ほんとに相手が悪いと思うなら、そういう人に近寄らない方がいいのですが、わざわざ近寄るのは自傷行為か恋でしょうね。

日々日記

朝起きると若干めまいがして、高速道路を運転するのには不安が残ったので、フレックス出勤の制度を利用して、午後から出社しました。

中国の方から何やらが舞ってくるとかで、ここのところ空気が悪かったのですが、今日は空も心を入れ替えたように良い天気で、山の残雪が鮮明に見えました。いままで気がつかなかったのですが、僕の住んでいるところからも中央アルプスが見えるようです。見えないと思いこんでいたのですが、今日はそちらの方向の緑の山の上に、白い頂が確かに少しのぞいていました。あれは、経ヶ岳あるいは駒ヶ岳の山頂に違いありません。南アルプスは北半分が見えます。

いつもと同じ速度で走っていたのですが、どんどん追い越されていきます。スピードを出したくなる気持ちはよく分かります。気持ちがいい。確かにこんな良い天気の日に、蛍光灯の下で仕事だなんて実にばかばかしい。

で、そのばかばかしいことを夜9時過ぎまでやっていました。遅く行きましたから、遅くならないと帰れません。別に一日の中で労働時間のつじつまを合わせる必要はないんですが、電話のかかってこない夜の方が仕事がはかどります。

途中で食事をして帰るとすでに11時近く。
そんな時間でも子供が起きていて、夜食を作れと言うので、焼きそばを作りました。
キャベツを洗って切手大に切り、ウィンナーも切り、中華鍋を温めて油を引いている間に蒸し麺を電子レンジで温め、麺を鍋に放り込んで水を少しかけ、炒めて水分が飛んだところでソースを加え、強火で少し再度炒めておしまい。

今日は見なかったけれど、だいたい毎晩子供の宿題を見ています。「キロは千だから0が三つだな。だから、小数点がみっつ、ぴょんぴょんぴょんと移動して、これでメートルになる」そんな具合です。

パソコンの前に座る頃には日付が変わっていて、メールの処理などをして、この雑記を書いている今は午前1時半です。まだ、明日の準備に多少かかります。正直、明日もお昼から出て行きたいのですが、あまりそれをやると「ちょっとちょっと」と呼び出しを食らうので、明日は決められた時間に行こうと思います。

こういう感じで関わる人間が少ない生活をしています。電話の向こうの顧客は、いつもせっぱ詰まっていますが、それが人間関係・・・なのかなぁ。明日から量産なのにまだ動かねーと言っているお客さんに、今日は諦めて帰りましょうよと言えるようになりたいものです。

というふうに、日記にしてみたところで、僕の生活はあまり面白くはないんですよ。
AAがなければ、会社と自宅の往復の生活でしょうね。仕事人間でない僕には、それではあまりにもつまらないだろうと思います。

予備の原稿

松坂の投げる試合をTVで見ていたら、対戦するあるメジャーリーガーのことをアナウンサーが「彼は日本に来た時に、六本木で踊って、秋葉原で買い物をしたんだそうです」と紹介していました。高給取りの野球選手が、秋葉原でメイド・イン・ジャパンの家電製品を買い求めたのかどうかはわかりません。

メイド・イン・ジャパンは日本の工業製品の品質の高さを示す言葉です。昨今では市場が安い他国の製品に市場を席巻されているおかげで、「高いけれど日本製だから壊れないよ」という売り文句へと変化してしまった感じがします。性能やコンセプトの面では、すでに韓国メーカーに追いつかれ、追い越されている(部分もある、米国市場とか)んですが、信頼性についてはまだ若干のリードがあるように思います。

しかし50年前、いや70年前には、メイド・イン・ジャパンは「粗悪品」の代名詞でした。当時の日本は工業化が進んでいたものの、基本的には安い労働力を武器に、安かろう悪かろうの工業製品を輸出する国だったのです。また、取引相手としても、日本人は信頼できない油断のできない相手と評価されがちでした。金を払った後、日本からの積み荷を開けてみたら、中には石しか入っていなかった・・・なんて話もあって、まあこれは都市伝説の類ですが、日本のイメージの一端を現しているように思います。

そう言う状況を変えたのは、戦後登場した経営者たちであるとか、あるいはプロジェクトXみたいな燃える男たちであるとか、そういう方向には話を持っていきません。

世界大戦後に日本を占領したのは事実上アメリカでした。
彼らは財閥を解体し、労働運動を奨励しました。富の集中や貧富の差を解消しようと試みたのでした。その目的が「民主平等」ばかりであったかどうか、それは怪しいところです。

戦争の荒廃によってさらに貧しくなった日本人が、その安さを武器に粗悪品を乱造して輸出し、それがアメリカ市場に流入してアメリカの産業が打撃を受ける・・・そういうシナリオを避けたい動機もあったでしょう。結果、常に賃金上昇の圧力にさらされた日本企業には、安さではなく品質を武器にするしか道がなかっとも言えます。アメリカの思惑は当たり、戦後日本では中間所得層が形成され、それはアメリカから輸出された製品の購買層としても成長していきました。

日本の野球選手も質が良くなって、メジャーリーグに輸出できる時代になったわけですな。僕は天の邪鬼なのか、若貴時代よりも、外国人が増えたいまの大相撲の方が面白いと思います。

心療内科が消える?

ひさしぶりにのニュース検索をチューニングしました。
ほったらかしだったので、Googleニュース検索しか機能していませんでした。でもあんまり不都合を感じなかったのは、それだけGoogleニュースが強力ということでしょう。
作業後は再び、毎日・朝日・日刊ゲンダイ・Yahoo!ニュース・Livedoorニュースが探せるようになりました。さらに読売と産経を加えました。
引っかかる記事数が増えて、このページが妙に長くなってしまいました。ページ容量の大きさに皆さんが不便を感じるようでしたら、このページの下は新着記事だけにして、アルコール・薬物・摂食・ギャンブルは別ページにしようかとも思います。
ご感想をお寄せください。

さて本題。
厚生労働省が、医療機関が標榜できる診療科名を38から26に整理することを決めた、とニュースがありました。整理される科名の中には、神経科や心療内科もあります。これらは(おそらく)精神科に統一されるのでしょう。

そもそも心療内科というのは、たとえばストレスが原因の胃潰瘍とか高血圧のような「もっぱら身体に症状が出る」人を治療するためのものでした。神経症やうつ病の人も身体に症状が出るのですが、そういう人は心療内科ではなく精神科に行くことになります。

人はストレスを辛いと感じるものです。少なくとも感情として「嫌だな」と思うものです。その感情を押し殺していると、うつなどの精神の不調が起きてきます。それは人間として自然な反応と言えるでしょう。
でも中には、ストレスを感情で認識できず心の不調も起きない人もいて、じゃあそういう人は強い人なのかというと、今度は身体が不調になるように出来てるわけです。子供のぜんそくが、転校したとたんにすっかり治ってしまったのは、実は前の学校でいじめられていたことを親が気づいていなかった、なんて話もあります。ストレスを心で表現することが出来ず、身体で表現している人はたくさんいます。
高血圧や胃潰瘍という身体の不調を治療しても、精神的な問題を解決しなければ、効果が出ません。

だから、主に内科的な不調を治療しつつ、心の問題にも対処できる医者が配置されたのが心療内科ということでした。

精神科という名前が付くと敷居が高くてまたげない人でも、心療内科なら行く気になる場合も多いようです。自分がそれほど重症ではないと言い聞かせるために、都合の良い科名なんでしょうか。そうした患者さんに対して、心療内科側で「あなたはうつ病だから精神科へ行ってね」ときちんと断ることが出来ていれば良かったのでしょう。
しかし、精神科に行きたがらず「ここで診て欲しい」という患者を断るのは難しいようです。うつ病や神経症では、内科的な不調も出ますからなおさらです。そんなわけで、本来精神科で治療されるべき患者を専門外の内科医が診ることになり、精神科と心療内科の垣根はどこまでも低くなってしまいました。ドラマに、心の治療しかしていない心療内科医が出てくるに至っては・・・いやはや。

良質な心療内科もあるのでしょうが、多くは目指すところと現実がかけ離れているのですから、そこは合わせた方が良いと思います。診療科目の中にカッコで得意分野が書けるようになるので「内科(心身症)」というようにし、実態が精神科のところは精神科医を配置して精神科にすべきです。それが本来の心身医療のありようだと思います。

10分で書く雑記(その2)

一応昨日の続きです。
昨日は第3章の話だったんで、今日は5章。

5章の冒頭に何が書いてあるかというと「本気でAAの原理に取り組みさえすれば、どんなアル中でも回復できる」とあるわけです。ところが、AAに来ても依存症から回復できない人は、現実にたくさんいるわけです。
じゃあ、そういう人は、どうして回復しないのか?

まず一つめの理由は「本気で取り組んでないから」です。酒の飲み方に問題がないと思っている人、自力で解決できると思っている人、とりあえず医者や自助グループに通ってるだけの人。そういう人はいずれまた飲むわけです。
たとえばAAの本ていうものは、難しい理屈が書いてあるわけじゃなく、具体的な手段が書かれたハウ・ツー本です。ゲームの攻略本みたいなもので、四の五の言わずに、その通りやれば生き方の問題は解決できるわけです。それを「この本は難しくてわからない。書かれたことの真意が理解できれば、私だってやってみるのに」みたいな言い訳をして、始めるのを先に延ばしているうちに、また飲んでしまう人もたくさんいます。

二番目の理由は「本気でやっているのに、どうも回復できない謎の人」です。5章では、こういう人を「自分に正直になる能力がない人」と呼んで、しかもそれは「生まれつき」だから、本人にも我々にもどうにも救いようがないと切り捨てています。
本当にこういうタイプの人がいれば、本当に可哀想な人だと思うのですが、僕は今まで二番目のタイプの人は見たことがありません。みんな一番目のタイプばかりです。

ここ書いたのはあくまで僕の解釈ですが、趣旨は外していないでしょう。
ただまあ、解決方法を持っているのはAAだけじゃありません。だから、AAのやり方が気に入らなければ、自分のやり方を試してみるなり、他をあたってみるなり、そのほうがいいかもしれません。

で、あなたがやる気になったとして、じゃあいよいよ本題の、ステップの話に入ろうか・・て感じで、文章が続いていくわけです。

というわけで、3章も、5章も、ガツンと厳しいことが書いてあるわけです。それを毎回読むことにも意味があるでしょうね。

10分で書く雑記(その1)

ずいぶん前の話。県内で依存症に詳しいと評判の医師が、大学病院のインターン相手にアルコール依存症の講義に招かれました。先生はテキストとして、AAのビッグ・ブック英語版の第3章冒頭をコピーして使ったそうです。なぜ英語版かというと、その文章が60年前から変わっておらず、60年経ってもその内容が「時代にそぐわなく」なったりはしないということであったと思います。科学はまだ治療法を確立できていないのです。

3章冒頭をざっくり要約すると「まともに飲めるようには二度と戻らんよ」ということであります。そのテキストを読んだ医者のたまごたちの感想は、「そんな事実を依存症の患者さんに突きつけたら、悲観して自殺しちゃいますよ」というものであったと聞きました。

僕が何年目かにビッグ・ブックを読んだときの感想は、この本に書かれている理屈は、僕の知るAAの理屈とずいぶん違っているというものでした。

たとえば当時のAAミーティングや、病院メッセージのには、あまり病気の真実を強調しない方が良いという考え方がありました。それは反感しか呼ばないと。確かに、失った飲酒のコントロールは二度と取り戻せないとか、飲み続ければ棺桶・閉鎖病棟・刑務所しか行き着くところはないと(たとえば病院で)言えば、冷ややかな無視や頑固な否認にぶち当たるのは確かです。だから、自分の経験をひたすら話すことに絞って、その経験の中から共感と気づきを得てもらうことで、徐々に相手が変わることを期待するしかないという論調がありました。

それは確かに一面の真理ではあります。しかし「俺はお前とは違う」という否認や、「ほらここが違う」違い探しにぶち当たることは避けられません。

そして経験共感主義に偏るあまり、たとえば「若い女性とじいさんの飲み方に共通する部分が少ない以上、女性が病院メッセージに参加するなんて、所詮本人のためにしかならない」という偏見を感じました。まじめにメッセージを運ぼうとする若い人や女性、合併症者に、偏ったサンプルというレッテルを貼ることになっていた気がします。

ところがビッグ・ブッグには、この病気の悲惨な側面を、余すところなく強調してかまわないと書いてあります。なぜなら私たちは、まじめに取り組みさえすれば、ほぼ全員が回復できる(12のステップという)道具を持っているわけだから、絶望させることは無責任でもなんでもない、あいまいにお茶を濁すより良いというわけです。

同時に、道具をきちんと手入れしておきさえすれば、ねーちゃんがじーさんに、親が子に回復を運ぶことも、当たり前にできることになります。

共有すべきは原理という考え方からすれば「経験の分かち合い」は、あくまで手段であって目的ではありません。
僕は「今のAAは手段が目的化してしまっている」と感じていました。手段の方が気持ちいいのはよくあることで、子供という目的よりも、それを作る手段の方が気持ちよかったりするわけです。

(たぶん、明日に続きます)

会えないことの価値

 今まで知らずに過ごしてきた 本当の温もりを教えてくれた人
 言葉にできない想いに触れた瞬間 何もかもが変わったあの日
 二人が出逢えた事 偶然なんかじゃない 求め合った奇跡
 あなたは私の心を映す鏡 この世界で逢えてよかった
  〜植村花菜 『キセキ』

ある人が亡くなりました。といっても親しい人ではありません。
お互いネット上で活動していたので、多少のやりとりはありましたが、交流があったと言えるほどじゃありません。そのうち機会があるかもと思っているうちに、この世を旅立たれました。どうして関与しなかったかと理由を考えてみれば、思い当たることは一つで、自分とよく似ている人だからです。
人間誰しも、鏡をのぞき込むのが怖いときがあるんじゃないでしょうか。

マット・スカダーの第何作だったか忘れましたが、主人公スカダーの知り合いのAAメンバーが死んで発見される場面が出てきます。そのあとでスカダーは「彼が死んだときに酒を飲んでいたのかどうか」にこだわって見せます。世間的に見れば、それは(死という大きな事件に比べれば)些末なことでしょうし、詮索すべきことではないのでしょう。でも、僕にはスカダーのこだわりがとてもよく分かるのです。

ネットに限らず、AAの中でも熱心に活動して存在を知られたメンバーが、知り合う機会のないまま人生を終えられてしまうことがあります。挨拶ぐらいはしたことがあったろうと思うと、以前はそれがとても残念に思えたものでした。
それは僕が、出会えたことがすばらしく、出会えないことが「残念なこと」という価値観に囚われていたからでしょう。僕が ゲシュタルトの祈り の理解に回り道をしたのも、同じ理由からです。

出会えないことが、出会えることと同じぐらい素晴らしいことだと気づくのには、かなり時間がかかりました。

一日、Windowsの修復作業ばかりしていたのですが、Office をインストールしてから Windows Update をすると、パソコンがハングしてしまう症状にずっと悩まされました。諦めてAAミーティングに行ってから帰宅すると、ちょうどそれの修正が自動配信されたところでした。歯車がかみ合わないときとは、そんなものかも。

炭を焼く人

山あいの村に父の知り合いの老夫婦が住んでいる。旦那さんの職業は炭焼きだ。ただ、炭焼きが職業と言っていいのかどうか分からない。確かに山で焼いた炭を売って金銭的収入を得ているのだが、他に様々なことをしているからだ。
たとえば食べる米は何枚かの狭い田んぼから得たものだ。味噌も大豆から作る。たまごを取るためにニワトリも飼っている。炭の焼けない冬になれば、老人は散弾銃を持って山にはいるが、取ったイノシシは食べることなく業者に渡され、たまにキジ鍋を食べるぐらいだという。老夫婦が村の農協でする買い物は、塩や衣服ぐらいに限られる。

老人の焼く炭は評判が高い。と言ってもしばらく前までは、使っているのは県内の観光客相手の店ぐらいで、それほど有名ではなかったらしい。
老夫婦の息子三人は都会へ出て行って居を構え、この村へ戻る気もないらしい。もとより戻ったところで職もないだろう。だから、老人の炭焼きの技は、伝承されずに途絶えるかに思えた。だが、意外な後継者が現れた。

その青年は、以前IT関係のベンチャービジネスを手がけており、私もその社名を聞き及ぶほど成功していたが、ITバブルの崩壊によって敢えなく倒産してしまった。青年は妻子と別れ、借金取りに追われるように全国を無銭旅行で転々とするうちに、この村へ迷い込み、老夫婦の世話になったらしい。
青年の不思議なところは、そのまま居着いて炭を焼くようになったことだ。

修行の甲斐あって立派な炭焼きになった青年は、本物の炭はもっと価値があってしかるべきだと考えた。元はと言えば事業家であったのだ。師である老人は良い顔をしなかったが、青年は炭を焼く合間を縫って、師弟の焼く炭の販路を地道に拡大していった。ねばり強い営業の結果、京都の料亭や東京の焼き肉屋に使われるようになった。それが契機となり、彼らの炭は引っぱりだこになった。もとより炭の品質は良いのである。

この成功によって、再び妻子供と暮らせるのではないかと希望を持った青年だったが、そうすんなりは行かなかった。韓国や中国からの輸入炭が、より安い価格で青年の市場を奪っていったからだ。良い値で買ってくれる取引先は、細る一方だという。かといって、もとより薄利多売のために大量生産できるものでもない。青年の悩みはつきない。私が訪れた日も、青年は街の誰かに相談に行っていて不在だった。

自分で入れた茶をすすりながら、「あんらー(青年)もまだまだなぁ」と老人は私に言った。それを聞いて私は、まだまだなのは青年の炭焼きの技術かと思ってしまった。やはり代々受け継がれてきた炭焼きの技術は、数年で受け継がれ得るほど易しいものではなかったのか。そう尋ねると、
「違うせぇ、おらあの若い頃にゃ炭を買う奴なんていねぇ。皆自分で焼いたもんだ。炭を売るようになったは、ここ三十年ばかずら。炭は誰でも焼ける」

では青年には何が足りないのか。
「東京の人と同じに稼ぎたけりゃ、東京で人と同じに働けばいいずらい。ここで暮らしたけりゃぁ、ここの稼ぎに慣れなぁな。山で暮らして東京の稼ぎを欲しがりゃあ、てきなく(辛く)なるずら」

自給自足が原則の老夫婦の暮らしに、あまり現金は要らない。一番金を使うのが、子供や孫がやってくる正月の買い出しだそうだ。このときばかりは肉や魚を買うという。老夫婦は都会の息子たちから仕送りをしてもらうどころか、逆に所帯を持った息子たちに少ない年金から仕送りをしているのだ。「都会の暮らしはてーへんだから」と言って奥様が笑っていた。

遠い祖先から受け継がれてきた炭焼きの技術を目にすると、私はどうしても職人の技や、その精神性に思いをはせてしまう。だが、もとより炭は生活のために焼かれてきたものだし、この老人とて息子を都会の大学にやるために炭を焼いてきたのだ。そこで稼ぐ額も使う額も少ないと侮ってはいけない。青年の望みよりはるかに小さい額であるが、老人は炭焼きという事業を成功させ続け、なにより望むものを手に入れ続けてきたのだから。

「欲のあるもんが焼いた炭から、欲の匂いがしてな、料亭やらなにやら不味いものばかりさ」

誰に言うでもなく老人がつぶやいた。私は茶の礼を言い、奥様がくれると言った野菜を固辞して車に乗り込んだ。五月の空に、炭焼きのかすかな煙が上っていた。

・・・

今日の夕方、面倒なお客さんからの問い合わせの電話を上司がさばいていました。ちょうどそのころ、僕はまっさらなコンパクトフラッシュカードにOSをインストールする作業をしていました。MBRにブートコードが書かれていないのが問題で、悪いことにKNOPPIXもsyslinuxも歯が立ちません。
僕は早く作業を切り上げて、たまには峠の向こうのAA会場に行こうと思っていました。一方で、今日は技術担当者が僕しかおらず、僕が帰ってしまうと上司が孤立無援になることも心配していました。これが毎週出ている会場だったら、とっとと帰るんですけどね。そうするためには、それ以外の日が大事ですから。
ちょうどDOSのFDISKを使うとうまくいくことを確認し、上司を見捨てることを決意した僕は、すこし緊張感が薄れていました。

さあ、これが終われば Windows を起動して、タイムカードをついて逃げ出せる・・・と思ったのですが、なぜかパソコンの真っ暗な画面に
Missing Operating System
の文字が・・。あああ、間違ってハードディスクの Windows を削除してしまったようです。

パソコンが動かなければ何の気晴らしもない仕事場で、ひとりぼっちで Windows のインストールをしながら、気の向くままに想像(妄想とも言う)を巡らせた結果できたのが、今日の話です。だから炭焼きの青年も老夫婦も、僕の頭の中にかしかいんです。つまらないフィクションでごめんなさい。

達しない欲求不満

たばこ、最初に吸ったときは、目の前が真っ暗になりました。
その次は煙いばかり。
やがて慣れてくると、吸うたびに軽い酩酊感を味わえるようになりました。
「多くの者は、その酩酊感が消えても吸い続ける」と、ラリー・ニーヴンの小説に書いてありましたが、僕もその通りになりました。

たばこでも、お酒でも、覚醒剤や麻薬でも、結構苦労して修行を積まないと「本物の依存症者」にはなれんのです。

あなたも、お酒でうまく酔えるようになるまでは、飲み方とか、時間とか、酒の種類とか、いろいろ試行錯誤や工夫をした時期があったんじゃないですか?
依存症にならず、酒をコントロールしながら楽しんでいる人でも、時には失敗して翌日の夕方までひどい二日酔いに苦しんだりします。うまく酔うのは難しいものです。

飲み続けていると、同じだけ酔うのに、よりたくさんの量が必要になります。酒が強くなったと形容されますが、その実はアルコールに対する感受性が弱くなっているだけです。この「耐性の強化」が進行するのも依存症の特徴です。望ましい酔い心地に達するまでには、よりたくさんの酒を飲まなければならなくなります。気持ちよくならなければ「飲み足りない」と感じるようになります。

しかし(脳を含めた)身体が受け付けられる酒の量には限度ってものがあり、いずれ大量飲酒による不快な症状が出てきます。たとえば、血中のアルコール濃度が上がりすぎれば、脳は覚醒していられなくなって意識を失います。つまり、酔いつぶれてしまうわけです。もうちょっと飲んでいたかったのに、気がついたら翌朝になっていて、ひどい二日酔いという経験はありませんか?
前の晩に気持ちよく酔えなかった欲求不満から、よし今夜こそは気持ちよく飲んでやろうと・・・そうやって毎晩大量に飲むわけです。晩まで待てなくなれば、連続飲酒の始まりです。

たくさん飲んでいても、実はアル中さんはちっとも気持ちよく酔えていません。薬物依存で言うところの「グッド・トリップ」は、アルコール依存でも病気の進行とともに極端に減ります。たまにしか出ない当たりを求めている点では、ギャンブル依存と似ているかも知れません。

たばこを何本吸っても酩酊感が得られなくなっても、人はなぜかたばこを吸い続けます。なぜかじゃなくて、同じ理屈ですね。

(タイトルが少々下品になったことをお詫びします)
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

コメントは 掲示板 へお願いします。

最新記事
検索フォーム
月別アーカイブ
カテゴリ
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。