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自分的解釈

AAのプログラム(12ステップ)のなかには、自分一人でできるものと、相手がいないとできないものがあります。もちろん、どのステップもスポンサーと一緒にやった方が良いという話はとりあえずおいておきましょう。

一人でできるもの:ステップ1・4・8。
相手が要るもの:ステップ2・3・5・6・7・9・10・11・12。

無力を認めるステップ1、過去および現在の自分の状態を表にするステップ4、埋め合わせの予定を立てるステップ8。これは自分が主体的に行うステップです。

ステップ5では、どうしても人間の相手に話すことが求められます。ステップ9も、傷つけた人に償いをするわけですから人間相手の話です。ステップ12は「霊的な目覚めを伝える」相手が必要です。

他のステップに求められている「相手」は、人間ではないですね。自分より強い力、自分で理解できる神ってやつです。
ステップ2で「信じる」ためには、信じる相手が必要です。いつまでも二本足(つまり人間)を神様代わりに信じていてはいけないと言われます。その二本足には自分も含まれています。信じたからには、ステップ3で「指図どおりにやってみる」わけですが、指図を受ける相手が要ります。

ステップ5では、4で作った表を人間の相手に話すわけですが、その他に神に対しても認めなさいと言って。ですから、ここに来るまでには「自分の信じられる神様」を用意しておかないと、ここからの道のりが厳しくなります。
ステップ6・7は、「性格上の欠点を神に取り除いてもらう」となっていますから、自分のダメな点を直してくれる存在が要ります。AAスポンサーに言われるままにステップ4・5は済ませたけれど、その先の6・7に進めないでいる人は、二本足の神様を信じたままなんでしょう。ステップ4・5が、ずーっとやってこなかった掃除をまとめてやった大掃除だとすれば、ステップ10は日頃の掃除と年末の大掃除でしょうか。5で必要だった人間の相手と神様がここでも必要です。ステップ11では「導きを求める」わけですが、もちろん導いてくれる相手が必要です。

こんなふうに、AAの回復のプログラムをやっていくには、どうしても相手として神さまが要るようにできていると考えています。

熱心に宗教に取り組んでいるAAメンバーもいますが、その宗教の神様(あるいは仏様)が自分の酒を止めてくれるとは信じていなかったりして、それじゃあAAにも宗教にも熱心だとて、ステップ2ができているとは言えないんじゃないかと思ったりします。

まあ、あくまでひいらぎ的なステップの解釈ということで。
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ゲーム中毒

僕が大学生の頃は、ゲームアーケード(ゲームセンター)は24時間営業という店も珍しくありませんでした。風俗営業法の改正で、深夜12時以降の営業が禁止され、都条例などで午後6時以降は小中学生の入店が禁止され・・とだんだん厳しくなってゆきました。ただ、その意図するところはゲーム中毒の予防ではなく、子供が夜どおし遊んじゃうような風俗びん乱の防止でした。

当時は初代ファミコンが流行りだした時期でしたし、パソコンのゲームも表現力が上がってきた頃で、ゲームにはまり出す人間も珍しくありませんでした。今日みたいな暑いある日、学生会館で「今週は暑い日ばかりだったね」という会話を交わしていたら、後輩が「え?そうだったんですか?」と真顔で聞いてきました。

僕は当時はまったく料理をしませんでしたし、洗濯も入浴も銭湯に行く必要がありましたから、何にはまりこんでいても外出しない生活を一週間も続けることはできませんでした。ところが彼の場合、風呂付きのアパートに洗濯機と冷蔵庫という恵まれた環境に加え、自分で料理する「まめ」さがあったために、一週間外に出ずにゲームにどっぷりはまりこむことが可能になり、おまけに部屋は冷暖房完備なので、外が暑いか寒いかも気にならなかったという事情です。

おたくというのは、自分がどんなに並はずれてバカで極端に走るかを自慢する部分があるので、当時はそんな話も「良くある話」と気にとめませんでした。そのうち僕もアルコールにどっぷりはまりこんでしまい、何週間も(時には何ヶ月も)風呂に行かない生活をすることになります。もっとも、アル中の場合には定期的に酒を調達する必要があるので、外出しないってわけにもいきません。

昨今、ネット依存症あるいは、コンピューター依存症などという言葉ができていますが、もっとも中毒性を感じさせるのはオンラインゲームです。

ゲームの仮想世界の中の登場人物が、コンピューターの繰る幻影などではなく、意志を持った別のプレイヤーであるとき、しかもそれが退屈な現実ではなく剣と魔法、あるいは宇宙船を得物に戦う世界であるとき。化粧や服では大して変化のない自分の外見を、自由に美しくも醜くもできるとき、リアル世界での経歴や境遇や性別や経済状態から離れて、なりたい自分を演じられるとき・・・人はこちら側に帰ってくるのが本当に嫌になるようです。

人と協力したり敵対したり、友達になったり裏切ったり、愛し合ったり別れたり、そんなことは現実世界でやればいいことだと思うのですが。

アメリカ精神医学会の精神疾患分類(DSM)にネット中毒(あるいはゲーム中毒)を追加しようとする動きがあるようです。
DSMではいろいろな「依存症」が別々のところに分類されています。アルコールや薬物は「薬物依存(Substance Dependence)」という大分類。食べる関係は摂食障害(Eating Disorders)という大分類です。
その他の依存症は「他のどこにも分類されない衝動制御の障害」という大分類に入れられています。この中にある項目を挙げてみると、間欠性爆発性障害(いわゆる暴力癖)、窃盗癖、放火癖、病的賭博、抜毛癖、特定不能とあります。おそらく買い物依存は特定不能に分類されてきたのでしょう。ゲーム中毒はここに新たな項目として加えることになりそうです。
わざわざそれを新しい項目にする意図は、診断基準をはっきりさせて病名として確立することで、医療保険の支払いが確実に行われるようにしたいという願いであるようです。

ちなみにDSMには、hoism(中毒)とか addiction という言葉は出てきません。

予備の原稿

むかーし、アルコール中毒の治療に「嫌酒療法」というのがあったそうです。
患者に抗酒剤を飲んでもらい、医師看護婦立ち会いのもとで、酒を少量飲んでもらいます。当然心臓ばくばく、顔は真っ赤っか、気分はゲロゲロとなります。これを一度だけでなく、入院中に定期的に繰り返しやると、酒を見ただけで気分が悪くなるようになる、まるでパブロフの犬です。
これで酒が嫌いになってくれると期待されたんですが、退院後半年か1年で飲んでしまうケースが大半だったそうです。条件反射が消えちゃうのでしょうか。まあ人間には知能もありますからね。それでも半年か1年は効果があったとも言えます。

いま嫌酒療法をやる病院はないでしょうが、繰り返しでなく一度だけ同じことをやる病院は結構あるようです。「飲酒テスト」などと呼ばれています。抗酒剤を飲みながら酒を飲むとどうなるか、退院前に体験してもらうことで、無用な再飲酒や救急車騒ぎを防げると期待があるようです。
実際、抗酒剤というのは救急の現場では大変評判の悪い薬で、同じ患者が何度も同じ騒ぎを起こすものだから、精神病院側に処方しないように申し入れがあったりするそうです。

抗酒剤服用なんてお構いなしに酒を飲んでしまう末期的患者には、精神病院としても「危なくて抗酒剤は処方できない」わけで、「俺は抗酒剤は出してもらっていない」と威張る人にはため息をつくしかありません。

「飲酒テスト」には実はもう一つ「裏の期待」があるとされています。嫌酒療法と同じで、酒を嫌いになってもらう期待がこもっているというのです。繰り返しやっても半年の効果しかない療法をなぜ(一回だけ)するのか? それには病院の都合もあって、2ヶ月も3ヶ月も入院した患者が、退院後すぐに飲んでしまうと、精神病院への入院を決断し、経済的負担もしている家族の方が「入院なんて意味なくね」とげんなりしてしまいます。たとえ数ヶ月であっても飲まない期間があった方が、その後の治療につながるんだそうです。たった一回の飲酒テストでも、退院時には「懲りた」と言っている人が多いことからも、それはうかがえます。

僕ですか? ええ、自主的に1回やりました。外泊の時の電車の中で。

家族の否認

携帯電話にリマインダーのメールが入ったのが午後7時25分でした。
どうやら1時間前に設定してあるはずのリマインダーが、間違って5分前の設定になっていたようです。こんな時間に仲間のバースディ・ミーティングを思い出しても、もう遅いです。もう女神湖を過ぎて峠にさしかかっていましたから、それから引き返しても高速のインターまで45分。たぶん、会場に着く頃には終わっているでしょう。
素直に諦めて、当初の目的地であるミーティング会場へ向かうことにしました。

そこへ向かうときには、どうしても途中で何台かの車を追い越すはめになります。そうでなければ、荷物満載でノロノロ走るトラックの背後にずっとくっついて行くしかありません。もし同乗者がいれば、振り回されてゲロゲロに酔うでしょう。

いつ行っても2〜3人でやっている会場ですが、今夜は年配の男性が奥様と連れだって来られてました。20年の仲間のバースディに行けなかったのは残念ですが、初めてAAに来た人と話をすることの方が、今夜の僕に求められていたことだったのでしょう。20年の人に21年の日がやってくる可能性と、今夜の人に1年が来る確率には違いがあるのですから、きっと仲間も許してくれることでしょう。

僕は十数年前、アルコール依存症の専門病院を探して自ら入院し、そこで依存症という診断をもらいました。それまでは「あくまでうつ病の人が一時的に過度の飲酒をしただけ」ってことでしたから、ずいぶんな違いです。
そのとき母は、「お前はうち(の家系)からアル中を出すつもりか!」と言って僕を責めました。ただでさえ近所に困り者の息子として知られているのに、この上さらに恥ずかしい病名まで付けようとするのかと。
それまで母は、台無しになった僕の人生をマトモに修正しようと、様々な努力を行い、そしてその努力がすべて無に帰して来たわけです。その徒労感、絶望、憤懣を「依存症などという病名」によって免罪にしたくはない、という気持ちもあったでしょう。

僕本人もいずれは正常に飲めるようになって、酒のことで小言を言われなくなる予定でいましたし、病気だとか断酒という話は断固拒否でした。アルコール依存症は否認の病気と言うように、僕本人の否認がまず頑固にありました。

その上でさらに、母の「この人はたまたまお酒を飲み過ぎているだけで、気持ちを入れ替えれば真人間に戻るはず」という強固な家族の否認がありました。
この二つの否認が絡み合って、病気の治療という解決を遅らせていたのは確かです。

僕の母が演じたような役回りは、同じく母や父、あるいは妻、夫、時には息子や娘が演じることになります。最初に否認が解けるのが家族以外の関係者、次が家族、最後が本人と言われていました。最近もこれが当てはまるのかは知りません。
逆に回復は、本人・家族・その他の順番だと言われおり、本人が結構お気楽になった後でも、家族が憤懣の感情を解くにはまだ時間がかかるのが普通のようです。これは今でも変わらないようです。

ナルトレキソン

3年ほど前でしたか、アメリカでナルトレキソン(Naltrexone)というアルコール依存症の治療薬が、FDAの承認を得たというニュースがありました。商品名Trexan。地検前の実験では効果的という結果が出ていたので、ついに飲む依存症治療薬の登場かと(一部で)騒がれたのですが、人間に対する治験の結果は芳しくなかったようです。

アルコール依存症者を二群に分け、片方にはナルトレキソンを、もう一方には偽薬を投与してみたところ、結果に差はなかったと報じられていました。ちなみに、両群ともAAに通うという条件であります。

もとは薬物依存の治療薬のようで、オピオイド拮抗薬です。素人ながら解説すると、脳の中のアヘン受容体にアヘンより先にくっついてしまうので、後からアヘンが入ってきても受容体にくっつかないので「気持ちよくならない」という仕組みです。気持ちよくならないので麻薬を使う気が失せるわけで、酔いたい願望が消える薬というのは誤解でしょう。アルコール依存に対する作用は解明されていませんが、基本は「酒を飲んでも気持ちよくならない」ということにつきるようです。

あなたは酔わない酒が好きでしょうか?
酔えなくても酒が飲めるなら満足するというのなら、ノン・アルコール(低アルコール)のビールを飲んで満足できるはずです。でも、あんなもので満足できるはずもなく、かえってアルコール入りのビールが飲みたくなって、再飲酒の引き金になったという話しか聞きません(僕も経験あります)。
国破れてサンガリアあたりから、子供向けの清酒っぽいジュースとか、ワインぽいジュースとか出てますから、試してみればいいでしょう。スリップしても知りませんけど。

もう一つは、人間の場合は動物実験と違って知能が働くため、「この薬を飲んでるから酔えないんだ」と知っていれば、ナルトレキソンを飲まずに酔っぱらうほうを選ぶのは簡単だからです。これは、シアナミドやジスルフィラム(商品名はシアナマイド、ノックビン)という抗酒剤の服用と同じことが起きるでしょう。。

とは言え、「気持ちよくならない」という効果は他の依存症でも効果は発揮して、性依存症に使うと性衝動が抑えられたり、ニコチン依存に使うと禁煙後の肥満が予防できたり、はたまたネット依存症に効果があったとか・・・。

アルコールでも、前向きに断酒しようとする人であれば、初期のスリップがひどくならないという効果ぐらいはありそうな予感はします。

自主的に飲んでくれない重篤な依存症患者には、ナルトレキソンを体内に12週間分インプラントする治療法もできたみたいです。

カリウム

飲んでいるアルコホーリクは、カロリーの1/3をアルコールから得ていると言います。アルコールにはたんぱく質や、ミネラルや、ビタミンは含まれていないので、恒常的な栄養失調の状態になっています。

(飲んでいたころを回顧したアルコホーリクが言うように)アルコホーリクは「アルコールという燃料を燃やして動く内燃機関みたいなもの」なので、酒さえ飲んでいれば、たとえ少々栄養失調だろうが、なんとか暮らしていってしまうものです。

ところが断酒をして酒という燃料が切れてしまうと、飲んでいるころはさして気にならなかった体の不調が表に出てきます。そこで「酒をやめるとかえって体調が悪くなる」と言い訳をしてまた飲み始める人も多いのでしょう。長年の栄養不足で痛めつけてきた体は、断酒しただけで調子がよくなるはずもなく、栄養と休息で時間をかけて治していくしかありません。

酒を飲み続けているうちに、胃腸の内部がびらんしてものが食べられなくなり、それでも飲み続けると胃が酒を受け付けなくなり、さらに水さえも吐いてしまうようになります。そういう状態でも、入院せずに自宅で酒を切らなければならない事情を抱えた人もいます。

基本はスポーツドリンクで水分を摂取。ヨーグルトやバナナなら食べられることもあります。この三つに共通していることは、カリウム補給になるということです。

酒ばっかり飲んでいた結果、血液中のカリウム濃度が減ってしまい、低カリウム血症で心肺機能が異常が起こして突然死なんてこともあります。脳を含めた人間の神経系統は、カリウムとナトリウムを神経細胞に出し入れしながら動いています。心臓が丈夫かどうかは関係ありません。酒を切っていく過程で死んでしまっては元も子もないので、事情がどうこう言わずに入院するのが最善ですし、どうしても自宅でドライアウトするなら、吐いてもいいので飲んだり食べたりしてください。

食べ吐きをしている摂食障害の人の電解質バランスも偏っていることが多いのだとか。そんなに体に異常のない摂食障害の人が突然死する理由はここらへんにあると言う人もいます。

生の食材はナトリウムよりカリウムが多いのに、加熱調理をするとナトリウムが多くなってしまいます。生の食材を食べて進化してきた人間は、低カリウムの状態には耐えられないのかもしれません。

たまにはわかめサラダでも食べましょう。

承認を求める癖

自分を直接見るよりも、他者の瞳に映った自分を見る癖があります。修辞が過ぎますか。自分で自分のことを良いとか悪いとか判断するよりも、人にどう思われているかのほうがずっと気になります。

人にどう思われているか、全然気にならない人はいないでしょう。例えば、上司や人事部にどう評価されるかで、将来の給料、ひいては経済生活が変わってきますから、気にしないではいられません。その他いろいろです。

でも、人にどう思われても、自分は自分であって周囲の評価によって、自分の価値が上がったり下がったりするわけじゃありません。「そう言われても、やっぱり人の評価が気になる」のは、奥深いところで自分が無価値だと感じる癖がついているんでしょう。だから、人から高評価を得ることで、あーやっぱり自分は価値ある人間だったと一時の安心を求めてしまいます。あるいは酒でその虚無を埋めるとか。

こういう(僕みたいな)人は、一緒にいる人の感情に支配されがちです。この人がこんなに不機嫌なのは、さっきの僕の行動がいけなかった、いや昨日したことがいけなかったのか、いやもうすっかり僕のことが嫌いになって手遅れなのか、とか。僕のやったことで、こんなに喜んでくれるなんて、この人本当にいい人だな、よしもっとやってあげよう、とか。

こういう(僕みたいな)人を支配するのはかんたんです。「俺の機嫌がこんなに悪いのはお前のせいだ」というオーラを発散していれば、そんなの関係ないじゃんと理屈では分かっていても、落ち着いていられません。「俺の目にはお前はこう写っているんだ」という像を無視できません。

だからこそ、他者の瞳に映った自分ではなく、自分で自分を直接見て評価する習慣をつける必要があるんでしょう(ステップ10)。

また子供には「お前が良いことをしようとも、悪いことをしようとも、世間様になんて言われようとも、お前はお前で良いんだよ。だってお前は私の子供なんだから」と示してあげたいものです。

依存症の大統領夫人

そのニュースを見たのは、僕がリサイクルショップで扇風機を漁っていたときでした。商品の中古テレビが夕方のニュース番組を映していて、殿下の入院を報じていました。立ち止まって最後まで見てしまいました。
でもこれは今日の雑記のネタにはならないと判断しました。僕は殿下のことは何も知らないからです。帰って調べて今上天皇の従兄弟にあたることを知ったぐらいですから、書くことがありません。

ただ、帰ってパソコンに触ってみたら「心の家路」のアクセスカウンターが600を超えていたので驚いてしまいました。最近掲示板への広告書き込みが執拗になってきているので、その余波を食らったかと思ったのですが、調べてみるとほとんどが「アルコール依存症」で検索して、このサイトへたどり着く人々のようでした。

Perlスクリプトを使って「アルコール依存症」でニュースを自動検索し、このページ(パソコン用)の下に表示するようになったのはだいぶ前です。導入前には予想していなかったことの一つが、有名人の名前がずいぶんひっかかることです。まあ、依存症という病魔は、その人が有名か無名かは選びませんからね。

アメリカの現大統領は自ら依存症であることを明らかにしていますし、その前の大統領も実父が依存症です。(確証はないものの)ロシアの前の大統領が依存症という話もありました。イギリスの政党党首にもいましたっけ。

でも、最も人々の間で語り継がれる「依存症の著名人」と言えば ベティ・フォード でしょう。僕は勘違いしていたのですが、彼女が依存症になったのは、夫が大統領になる前ではなく、なった後なんですね。まもっとも、いつ依存症になったか、なんてのは境界線の引きにくい問題です。
AAのミーティングに通い出した頃に、「酒の飲み方がひどくなったのはここ1〜2年のこと」なんて言っている人も、1年後には「10年前からひどい飲み方をしていた」と告白できるようになったりします(僕のことね)。

アメリカ社会でアルコール・薬物依存症の治療が進歩した背景には、もちろん当時の依存症問題の深刻さがあったわけですが、ベティ・フォードの存在や、ヒューズ法の成立なども大きなトピックとしてあげられます。ベティ・フォードやヒューズ議員がAAメンバーであったかどうかは、言わずもがなですが、彼らの社会に対する貢献はあくまで社会活動家としてのものであって、AAメンバーとしてのものでないことは強調しておく必要があります。
AAメンバーは名前を名乗らないから、依存症についての社会貢献ができないという主張もありますが、もちろんそれは誤解です。

宮様の病気によって、日本の社会の依存症に対する味方が変わるかどうか・・占い師じゃないんで未来は分かりません。

ユニーク

あなたはユニークな人です。間違いありません。

いや別に、あなたが変わった人(変人)だと言いたいのではありません。ユニークというのは「唯一無二」という意味です。あなたはあなたであって、あなた以外の人が代わりを務めることはできません。だからといって、他の人より重要だというわけじゃありませんけど、ともかく唯一なんです。

僕もユニークな存在です。

その上で「アル中というものは誰も似たか寄ったか」と言いたいわけです。同じアル中といっても、抱えている事情は人様々だから、そういう決めつけは良くないと感じるかも知れません。でも「似たか寄ったか」であります。

酒を飲んで周囲を困らせることが共通なばかりでなく、酒をやめた後の思考パターン、行動パターンまで似ています。まったく同じではないにせよ、ある状況が与えられたときに、ありがちな数パターンのどれかにはまります。

最近の車は、オートマチック・トランスミッションばかりですが、人間がギヤを選択するマニュアル・トランスミッションの車を思い浮かべてください。アル中の人のパターンをギヤ選択にたとえると、ニュートラル・ポジションにいることが無くて、すぐにどれか特定のギアに入りがちです。
バランスの取れた人間ならば、基本はニュートラルで、状況に応じてどのギアにでも入れるのでスムーズに進んでいけるものを、特定のギアに偏るようでは運転は楽ではありません。

自分が分類されることを好まない人もいます。自分がユニークであることに自信が持てていないと、分類されることは恐怖です。個性が否定されるようにしか感じられませんから。自分が唯一無二の存在であることに確信があれば、他者が自分をどう分類しようと(例えば負け犬だと言われようとも)、それほど気にならないはずなんですが・・・。

「アル中は誰も似たか寄ったか」というのは理屈で学んだものじゃなく、観察によって得られた経験則です。

依存症という病気であることも、アル中的思考に偏りがちなことも、僕という人間をユニークに仕立てている大切な属性の一つですから、それを否定しようとは思いません。

イニシエーションに非ず

人類学で、「社会集団に入るための儀式」をイニシエーションと呼びます。
主に未開の文化圏で、大人という社会集団に入るための儀式、つまり成人式みたいなものです。例えばバンジー・ジャンプは、南太平洋の島々の成人の儀式で、大人の男だと認めてもらうために青年たちに課された試練が元になっています。通過儀礼。

AAという集団に入るためには、なんの儀式も要求されません。自分はアルコホーリクで、AAのメンバーになったと言えば、誰もそれを否定できません。唯一要求されることは「酒をやめたいという願い」を持つことです。

「AAは酒をやめたいだけで<仲間>だと言うけれど、私としてはステップをやっていない人は仲間とは呼びたくない」と明言する人もいます。僕も個人的には同じ考えなのですが、そういった個人の考えはとりあえず脇に置かなければなりません。

さて12個あるステップのうち、最初の山場はステップ4と5です。
今まで生きてきた人生を一年ずつ振り返るにせよ、現在の自分の状態に集中するにせよ、その過程で自分の心の奥深いところまで光を当てることになります。その作業が楽であるはずもなく、多くのAAメンバーはその手前で足踏みをすることになります。でも効果はあります。

ステップ4・5を済ませていることが「一人前のAAメンバー」の条件だと考える人たちがいます。僕もその考えは的はずれではないと思っています。
ただ、ステップ4・5が強調されるあまり、それがイニシエーションだと勘違いされてしまっては困ると思います。ステップが6〜12と続いているにもかかわらず、4・5を済ませたことで一段落してしまい、前へ進めなくなりはしないでしょうか。かくいう僕もその一人でした。

AAのミーティングに出席したら、重苦しい気持ちが楽になったという経験を持つ人は多いと思います。そういう経験を重ねて「ミーティングには効果がある」と認めるようになるのでしょう。ミーティングの効果を信じるのが先で、ミーティングに通うのが後、という順番にはなりません。通う→効果を信じるという順番です。しんどいから通わないと言う人に、ミーティングの効果は及びません。

最初は効果に納得していなくても、ともかく始めないと効果が出ません。信じていなくても、ダマされたと思って、拒絶せずにやってみることです。ステップ4・5も同じです。

とりあえず信じてみる(ステップ2)と、信じたからにはやる決意をする(ステップ3)ができてないと、4・5には進めません。AAに通っていても、なかなかステップ4・5ができない人は、怠惰とか優柔不断ではなく、「AAに対する信頼」と「やる気」が足りないだけの話です。AAを信じてるとか、AAのおかげとか、口でどんなに立派なことを言っても、(他のことと同じく)行動がそう思っていないことを証明していまいます。

耳の痛い話かも知れませんけど。耳の痛い話をされなくなったらおしまいですからね。4・5ができれば一人前ではなく、一人前なら4・5はできてるはず、ってことです。
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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