スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今年もお世話になりました

「心の家路」は、今年も多くの人のアクセスに支えられました。
31日の午前5時までの1年間の統計です。

送出バイト数 81.2Gbytes
ビジター数 1,074,421
ページ送出数 5,181,450
ファイル送出数 5,895,213
ヒット数 7,041,617

以前海外の安いレンタルサーバーを借りた頃は、送出バイト数が数ギガ程度だったので、およそ10倍になりました。といっても、その半分ぐらいは掲示板に広告書き込みをしようとするスクリプトだと思われます。
8月のアクセスが突出して多いのですが、それはきっと「殿下」の影響でしょう。

数字の話はさておいて、今年も携帯電話対応には着手できませんでした。来年こそは、皆様が無用なパケット代を使わなくてもすむようにしたい、とは思っていますが、再来年になってしまうかも知れません。

メディアというのは、送り手がどんなに懸命になっても、受け手がいてくれなければ成り立ちません。「家路」も読んでくださる皆さんがあっての存在です。最近では更新の頻度がめっきり下がり、雑記ばかり書いている気がします。そもそも「日々の雑記」はおまけの存在でした。「家路」を見に来ても更新されていないければつまらないでしょうから、せめて雑記ぐらいは日記形式でちょくちょく更新しよう・・と思ったのですが、最近では雑記を書くだけでエネルギーを使い果たしている感じです。

ここ2〜3年ブログが流行っていて、それを使ってネット上で情報発信する人が増えてきています。好ましい傾向だと思います。依存症の人のブログもたいそう増えました。けれど、ブログを書くだけで終わってしまって、その先へと展開する人が少ないのは残念なことだと思います。やはり「ブログ」と「ブログ以外のもの」の間には、厳然たる境界線がある、と古いタイプである僕は思ってしまいます。

この雑記は、常に肩肘張らずに書こうと務めていますが、最近では知り合いで読んでいる人が増えたこともあって、人物が特定できるような話題は取り上げづらくなってきました。自分の生活の話をしようにも、それほど変化のある生活でもありません。いきおい観念的な話が増えてきています。

「家路」も、しょせんアル中のすることですから、いつまで続くか分かりません。けれど、読んでくれる人がいるうちは続けようかな、と思っております。

本当に一年、ありがとうございました。
来年もまた、僕のつまらない話におつきあいいただければ、これほど嬉しいことはありません。
スポンサーサイト

休日の一日

土曜日に出たAAミーティングが今年最後になります。来年2日のホームグループのミーティングは(会場係であるのに)休ませていただいて、3日の病院メッセージがAA始めとなります。

たいした進歩ではありませんが、今年も自分は進歩したと思います。AAでも、今まで見えなかったことが見えてきた部分がありますし、今までにない習慣を身につけたりしました。仕事でも、去年よりは人の役に立てたし、収入も改善しつつあります。家の中も多少は落ち着いてきました。
けれどそれは、あくまで1年前の自分と比較しての話にすぎません。人と比べたら、決して威張れたものじゃありません。AAでは僕より回復した人はたくさんいるし、職場でも僕よりバリバリ仕事をしてたくさん稼いでいる人もいます。隣の芝生を見れば青々と茂っているようにしか見えません。
けれど、焦って背伸びをして歩いても疲れるだけですし、何かにつまづけばすぐに転んでしまいます。また焦って走り出しても、すぐに息が切れるのは、今まで何度も思い知らされてきました。

回復しなければ神さまに愛されない、ということは「決して」ないと思います。ハイヤー・パワーの愛は、そのような条件付きの愛ではありますまい。が、人より早く回復しようと焦る人は多いようです。

休みに入って年賀状作りも終わると、パソコンの前に座っている時間はぐっと短くなります。すると目の痛みも、肩こりも、腰の痛みも減ってきます。普段(仕事とはいえ)パソコンに向かいすぎなんでしょう。

大掃除は30日までに済ませる、という義父の規範があるので、一応掃除をしました。たぶん普通の家なら、普段しているぐらいの簡単な掃除ですけど。冬休みだからと言って、何も特別なことはなく、家族でゴロゴロ過ごしています。

子供たちの骨折は、もう痛みが取れたようです。不登校気味だった次女も、休み前には平気な顔をして学校に行っていました。子供の復元力はつくづく強いと思います。娘たちがパパ、パパとまとわりついてくるのも、あと数年のことでしょう。いずれキャッシュカードとしか思われなくなる日が来るはずです。

紅白でなく、第九を見たいのでありますが、大晦日ぐらいは婿養子らしくおとなしくしていなければならないでしょう。

今年一年

毎年年末になると、自由なテーマを選ぶAAミーティングでは「今年一年を振り返って」というトピックが挙がるのですが、ここのところ僕が出たミーティングは、BBか12&12を読むところばかりだったので、一年を振り返る話はありませんでした。

アルコール依存症の人と一緒に暮らしている家族は、依存症の人の言動に一喜一憂することになります。酒を飲んで欲しくないし、もし飲んでも迷惑をかけて欲しくないと願っています。けれど、アル中さんはさまざま理由を付けて飲むし、飲んでやらかすことにも言い訳をします。そしてたいてい「それを人のせいにします」。
お前のせいだと責められて、自責の念を持たない人はいません。そしてそれが習慣になります。
だから家族は、何とかアル中さんを(飲まないように、暴れないように)コントロールするために、いろいろ考えたり行動したり、まさにジェットコースターに乗っているような気分が続く日々を送ります。

はたまた、ACと呼ばれる人たちは、親の言動次第で、自分の気持ちが上がったり下がったり、これもまたジェットコースターに乗っている日々を子供の頃から暮らしてきたわけです。

「目の前で起きている人の言動に、大げさに一喜一憂しない」という新しい行動原理を身につける・・これが、今年アラノンの人たちからいただいた回復の鍵でした。

別に誰かの気分(機嫌)に僕が責任を負っているわけじゃありません。機嫌が悪い人を明るい気持ちにさせてあげる義務もありません。その人の問題は、その人の責任です。けれど、怒っている人の話を聞いてあげたり、落ち込んでいる人を励ましてあげたりするのは、人としての当然の優しさであり、必要なことでしょう。
でもそれは、自分のことができていればこそ、できることです。

AAの仲間やスポンシーが飲んだとしても、それは別に「僕が飲ませている」わけでもありません。当然なんですけど。上司の機嫌を取るのは僕の仕事の責任の範囲外です。

その人の問題と自分の問題を、きちんと切り分ける作業をしていく。これは一生の作業なんでしょうね。

自助グループと呼ぶのは誤り?

上の子が学校で階段から落ちてくるぶしを骨折。2週間のギブス。同じ日に下の子が学校の授業でスケートに行き、転んだ時に手首を骨折。こちらも2週間ギブス。なんとも仲がよい姉妹です。

車のタイヤを縁石にこすってしまい、見事にバースト。修理がきかず、買い換えになってしまいました。タイヤは4本単位で流通しているので、1本だけ買うには注文しなくてはいけません。泣く泣く4本まとめて買いです。昨年買ったばかりのスタッドレスなのに。その金があったらDSが何台買えるんだか。

他にもイロイロ「ついていないこと」だらけですが、へらへら笑いながらやっています。会社の同僚に誘われてボーリング。5ゲームやってスコアが517。

さてさてさて。

AAとか断酒会とかその他を合わせて「自助グループ」と呼びます。これは英語のセルフ・ヘルプ・グループを訳したものです。自ら助けるグループというわけです。

ところが、海の向こうでは5年か10年ほど前から self-help group という呼び名はやめようという動きが活発になってきたそうです。self-help という言葉が誤解を生みやすい、本質を現していない言葉だからだそうです。

そもそもアル中の人は「アルコールに対して無力」なのです(断酒会でも酒に対して無力だといいます)。AAは無力な人の集まりです。ところが無力なのに、自ら助かるのも変な話です。無力な人がいくらたくさん集まっても無力のままです。ゼロはいくつ足してもゼロですから。自ら助かる力は無いはずです。
ハイヤー・パワーという自分(たち)以外の「力」によって無力が解決されるのであって、自分ではありません。

そこで別の呼び方をするのだそうです。例えば mutual aid group。これを「相互援助グループ」とか「互助グループ」とか訳してしまっては、言葉を変えた意味がないのでしょう。でもなかなかよい日本語になりませんね。
単純にサポートグループという呼び名の方がよいのかも知れません。

いずれにせよ、今後日本でも「自助グループ」という呼び方が廃れ、より適切な言葉が使われるようになるにちがいない、なって欲しいな、というお話を、複数からうかがいました。

人のせい

アル中的性格について、いろいろなことが言われていますが、僕なりの表現で言えばこうです。

「人から言われたやり方で成功するよりも、自分のやり方で失敗する方を好む」

挙げ句に失敗は人のせいにするのです。

さて、僕が初めて今のAAホームグループの会場に顔を出したとき、そこにいた人たちは全員ニックネームを名乗っていました。動物っぽい変な名前を使っていました。その中で僕だけが植物っぽいニックネームを使うことになりました。

そのうち、ニックネームを使うのは変だと言って、本名の名字を使う人たちが増えてきました。あるいはアメリカ風に、ファーストネーム(下の名前)を使う人たちも増えてきました。そこで、僕もニックネームを使うのはやめ、下の名前を使おうと思った時期もありました。

本名は「すすむ」と言うのですが、これをそのまま使うのは、どうも気恥ずかしい。そこで、ショートネームを考えることにしました。

例えばAAの創始者ビル・Wのフルネームはウィリアム・ウィルソン。ビルは「ウィリアム」のショートネームです。ドクター・ボブも、フルネームはロバート・スミス。ボブはロバートのショートネームです。

Susumu のショートネームは何でしょう? Susie(スージー)というのは女性名ですね。SとUとMが入った名前だと Samuel というのがあります。愛称はサムかサミー。というわけで、「サムと呼んでくれ」という事にしたのですが・・・。

「このアメリカかぶれめ、アンタのことをサムなんて呼べるものか!」

と怒られてしまったので、仕方なく「すすむ」にして、さらに1年後に元のひいらぎに戻してしまいました。そういう僕のバカな話とは無関係に、最近は下の名前を使う人が増えてきました。悪いことではないんですけどね。

それでつくづく思うことは、日本人の下の名前って、みんなよく似ていて憶えにくいということです。

えみ・えみこ・みえこ・みえ・りえ・りえこ・・・もはや誰が誰だか。

みんな変なニックネーム使っている頃の方が、憶えやすくて良かったなぁ。だからもし呼び間違えても、それは僕の記憶力のせいじゃありません。最近の風潮が悪いのです。

飲酒のコントロール

アルコール依存症は「飲酒をコントロールできない病気」だと言います。
一番コントロールが効かないのが「飲酒の量」で、適量でやめておこうと思ってもやめられない、というのがその症状です。他に飲む時間(朝から飲む)とか、飲む場所とか、飲むシチュエーションなどなど・・コントロールできないことはたくさんありますが、ここではとりあえず量の問題に集中します。

では、依存症でない人は、はたして「飲酒をコントロールしている」のでしょうか?。ふつうの人は、もっと飲みたいのを我慢して、途中でやめているのでしょうか?

たぶんそうではないのでしょう。

宴会でもう少しビール飲みませんか? と勧めても、「いや、もう結構」とか「飲み過ぎると気分が悪くなるから」という答えが返ってくるのが通例です。つまり、ふつうの人は飲みたいのを我慢してなんかいないのです。彼らは、飲みたいだけ飲んでいるからこそ、2〜3杯でやめられるのです。

つまり、コントロールもしていないし、意志の力も使っていない、ただ満足するまで飲んで、もうそれ以上飲みたくないだけの話です。別に意志も強くないし、高潔なわけでもありません。人間満たされれば欲張りはしません。

一方、適量でやめられないアル中は、「意志が弱い」とか「意地汚い」とか道徳心がないとか責められます。しかし、いったん飲み始めてしまったら、体が次の酒を欲しがってしまい、それがあまりにも強いので途中でやめられないだけの話です。

いったん依存症になったら、もう満足するまで飲むことはできないのです。

これを聞いて「いや、俺はアル中ではないが、いつももっと飲みたいのを我慢して途中で切り上げているんだ」と話す人がいたとします。確かにその人は依存症ではないのでしょうが、すでに危険領域に入りつつある「プレ・アルコホーリック」(アル中予備軍)という状態でしょう。病気にならないうちに酒をやめるのが一番です。なってからじゃ遅い。

年賀状の準備で一日パソコンを見つめていたら、ドライアイになってしまいました。

なんだか面倒

その昔に言われた、オウム真理教とAAの共通点。

実名で呼び合わず、怪しげなホーリーネームを使っている。
イニシエーションと呼ばれる通過儀礼があり、それをやっていないと半人前だと言われる。
なんだか普通じゃない話ばかりしている。
奥義を究めると解脱し救済されるとか言う。
みんな「修行するぞ、修行するぞ」とうるさい。
怪しげな行政機構がある。
施設で修行してくるとポイントが高い。
まじめにやらないと地獄に堕ちるとか言われる。

こういう冗談を言っていると、ムキになる人がいて困ったりします。

今夜宅配のピザを食べ、明日ケーキを食べる作戦だったのですが、ピザ屋の予約が一杯でしたので、今夜ケーキで明日ピザとなりました。

年賀状やらなくちゃと思いながら手がつきません。というわけで雑記もテキトーです。

早く寝たいのですが、僕が寝る部屋にテレビがあり、まだ皆が見ているので布団を引いて静かに本を読むわけにもいきません。どうしてこんなにテレビばかり見るのでしょう? こいつらテレビホーリックじゃないかと思いますな。

自然治癒?

ずるずると続けてきた病院メッセージをお終いにしました。あとは地元のグループのメンバーが続けていってくれるでしょう。もう自分が行くのはお終いにしよう、と決めてから、実際に実現するまで1年以上経過しています。
実は、今のホームグループが別の週の病院メッセージを冬場の3ヶ月担当するので、春までは通うのが続いちゃいますが。ちっとも終わってません。

10年そこへ通いましたから、数百人の依存症患者さんの話は聞いたでしょう。入院が初めてという人も少なくありませんが、2回目(あるいはもっと)という人が多かったように思います。
前回の入院からどれぐらい経過しているか、それも人さまざまで「一日持たずに即日再入院」という人もいれば、年単位という人もいました。たいていは、退院→シラフの期間→一見正常に飲めている期間→酷い飲み方の期間→再入院、という経過をたどります。病気がある程度進んでしまえば、飲まない期間は長くて数ヶ月で、飲んでいる期間が長くなるのですが、中にはシラフで長い時間を過ごす人もいます。

しらふの期間が10年以上という人は3人いました。3年、5年飲まなかったという人はザラです。実はそういう人は自助グループ(AAや断酒会)や医者にまったく通っていないか、通っていたとしても最初の数ヶ月だけだったりします。

断酒のために積極的な努力をしなくても、断酒が続いていく人が実際にいるのは確かです。しかしその人たちがまた飲んだからこそ、僕がお会いするチャンスを得たわけです。その人たちは再飲酒した理由は、短期間で再飲酒する人たちと変わりません。大きなトラブルが乗り越えられずに酒を飲む人もいれば、何気ない日常の中でふと飲んでしまう人もいます。

僕が2回目の入院の時に「生まれて初めて会ったアル中さん」は入院経験二十数回のツワモノでしたが、それでも十数年前には何の努力もなしに2年間酒をやめていた経験があると語っていました。

アル中はたまたま何年か酒をやめることがある。その事実は以前の僕を恐れさせました。自分はそれなりに頑張ってAAをやり、そのおかげで飲まないでいると思っているが、実はたまたま酒がやまる何年間かと、自分のAAの何年間が重なっているだけで、断酒は偶然の産物なのではないか・・と。

そういう不安を打ち明けると、仲間に「あなたのように努力している人がAAの恩恵を得てなかったとしたら、他の誰が得られるというのか」と諭され、それもそうだよなとテキトーに納得したのでした。

でも今では、僕の最初の何年間かの断酒は幸運によるものだと、はっきり知覚しています。あの頃は実に危なかったのだと。自分の力で酒をやめていましたからね。
ミーティングのあと、若いメンバーとお茶していてそんな話を思い出したのでした。たとえ何年酒をやめていても、飲んだときのみじめさに違いはないぞよ。

近況

会社の忘年会。いくら何でも一次会が4時間というのは長すぎる。6千数百円というのも高すぎ。まわりの人が酒を飲んでいるのは気になりませんでしたが、タバコの煙が煙いのはとても気になりました。
いつもパソコンに向かっているサラリーマンは、50才になっても、55才になっても、目尻にしわが寄らないものだ・・などと考えていました。

ここのところ数ヶ月、次女が不登校気味です。
朝に母親が大騒ぎしても、次女は眠いらしくて起きてきません。いじめられているとか、勉強が分からないとかではなさそうですが、友だちがいなくてつまらないそうです。だいたい子供のくせに夜更かしするのが良くありません。
先日父兄面談があって、保健の先生から「精神科にかかったらどうか」と勧められ、市内の開業医へ受診しました。精神科と聞くと気後れしてしまって、ということは我が家ではまったくありません。パパもママも精神科にかかり続け、おねーちゃんも以前に通っていたのですから、「むしろその方が普通」だと思っているでしょう。

例によって、ホンのちょっぴりの薬が乳酸菌の粉に混ぜて処方されたのと、「DSとパソコン禁止」と言い渡されました。長女はこの件とは無関係ですが、「おねーちゃんだけDSオッケー」というわけにもいきませんので、二人とも禁止です。
二人で「どうぶつの森」にゴキブリが出ちゃうと心配しています。

薬よりもDS禁止のが効果があったと思うのですが、とりあえずここ2日ばかりは、次女も自分で起きて学校に行っています。一時的に良くなっているだけかも知れないので、あまり期待感を抱いてはいけないでしょうが。

抱えている悩みや苦しみを言語化することが下手だと、なにか他の手段で表現せざるを得ないのでしょう。夜更かしや不登校もその表れですね。たぶん。

ちなみに長女のほうは、新しい携帯でメールに夢中です。

傷つけること

4回精神病院に入ったうちの3回は、いわゆる「アル専」でない一般の精神病院でした。当時、日本の精神病院の9割以上のベッドは、統合失調症の人に使われているとされていました。それは今でも大きく変わっていないと思います。

最初に断っておくと、病院に入院しているのは、社会生活に支障をきたすほど病気の症状が出てしまった人たちであり、統合失調の人の大多数は普通に社会の中で暮らしているということです。社会生活できないほど症状が重い人が入院する、という点では依存症も同じです。

もうひとつ断っておくと、統合失調の人に危害を加えられたことはありませんし、他の人が暴力にあっているのも見たことがありません。あることはあるのでしょうが、僕は見ませんでした。それよりも「しらふのはずの」アル中さんたちのケンカや暴力沙汰はたくさん見かけました。暴力という点ではアル中さんの方がずっと危険です。

とはいえ、統合失調の人との生活は気苦労があります。なぜ怒っているのか、なぜ傷ついているのか、なぜこんな行動を取るのか、了解不能な行動にまごつくばかりでした。まごつくばかりでなく、それに接するこちらの心も疲れ、傷つきました。人が了解不能な行動を取ることは、それに巻き込まれた人を傷つけます。

依存症者が酒を飲みだすとコントロールが効かずに変になってしまう、ということは本人も家族も比較的簡単に納得するようです。その背景には、酔っぱらってしまうと理性が効かなくなるから変になる、という理屈があるようです。逆にしらふの時はまとも(正常)だという思い込みがあります。

ところが「もう二度と飲まない」と誓った人が、また飲み出すのが依存症という病気です。マトモな人がなぜ酒をまた飲むのか? それは狂気だからですが、そのことは本人も家族も否定したい。だから、意志の弱さとか道徳心の欠如に原因を求めてしまいます。実は狂気だから了解不能な行動をしているだけなんですが。

ともあれアル中の了解不能な行動(再飲酒)は、周囲の人を激しく傷つけます。暴力や暴言が無かろうとも、再飲酒が了解不能であるから周囲は傷つきます。

だから、私たちが「傷つけた人に埋め合わせをする」時に、なぜ私たちの行動があれほど了解不能だったか、ということは説明する必要があるでしょう。それをすっとばして謝罪だけですますのは片手落ちだと思います。
性格的欠点うんぬんのまえに、まずはその狂気と自分が向き合わなくては。自分の問題と向き合っていない人から謝罪されても、印象が悪いだけでは?
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

コメントは 掲示板 へお願いします。

最新記事
検索フォーム
月別アーカイブ
カテゴリ
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。