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愛に時間を

というタイトルのハインラインの小説がありました。

愛って何だろう? という疑問の答えは持っていませんが、愛に時間は必要だろうと思います。インスタントな愛ってのはないでしょう。

愛があって一緒にいられれば最高なんでしょうけれど、恋人同士でも家族でもいつも一緒というわけにはいきません。自分の生活を放り出して、恋人との電話に熱中するのが愛だというなら、確かにそうでしょう。でもそれなら、おとうさんが満員電車に揺られて毎日同じ職場へ行くのも、おかあさんがまた汚れる皿や洗濯物を洗い、また汚れる部屋を掃除するのも愛なのでありましょう。だってそのぶん自分の時間を使っているのですから。
自分の時間を相手に分け与えるのが愛なのかもしれません。

「今忙しいから後で」と言われて、ずっとほったらかしにされると「愛されていないのかな」と不安になったりします。あなたの24時間のなかから、ちょっとだけ僕に割いてください・・て感じです。

殺人を犯した少年に、被害者の遺族が多額の損害賠償をしたとき、その意味をこんなふうに説明した人がいました。殺された人の人生の時間は永遠に失われ、殺した少年といえどもそれを「返す」ことはできません。また、少年は永遠に少年院の中に入っているわけではありません。けれど少年は少しずつお金を遺族に渡していくのを長く続けていくしょう。お金を稼ぐには時間が必要です。お金を渡す少年の行為は、自分の人生の一部を切り取って、遺族に渡していることにつながるのです、と。
なんだか「強制された愛」という言葉が浮かんでしまいますが・・・。

AAミーティングに顔を出すのも仲間に対する愛だろうし、スポンシーの電話を受けるのも愛でしょう。愛は時間を要求するのですから。

というわけで、「ステップ4の表なんて3つに分けなくても、ひとつにすればいいじゃん」という理屈をこねまわして、仲間との電話を1時間以上引き伸ばしてしまいました。いやー、愛されているんですね、僕って。え? 愛の強制だって?

やっぱり表は3つ要るんでしょう。
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金銭的埋め合わせ

3千円を封筒に入れて送りました。

ステップ9は「埋め合わせ」です。元々のオックスフォード・グループでは、この言葉は「償い」あるいは「賠償」だったのですが、AAでは「埋め合わせ」という言葉に代えてあります。それは賠償などという言葉を聞いただけで、アル中さんはメゲてしまい、ステップ9どころかステップ全体を避けてしまうからだそうです。ビル・Wはこうしたアル中心理を理解し、別の言葉に置き換えるのがうまかったのでしょう。

埋め合わせには大きく分けてふたつあると言われます。ひとつは謝罪、もうひとつは物質的埋め合わせ。

相手を傷つけたこと(迷惑をかけたこと)を詫びるのが謝罪です。このときに依存症という病気の説明をすることは大事だと思います。飲んでいた頃の僕らの行動は、いつも不可解でした。人は相手の不可解な行動(狂気)に触れると、人間そのものについての信頼を失って傷つくのです。相手が依存症のことを知っていれば、知らせることは不要でしょうし、言い訳になってしまうなら謝罪だけしたほうがいいと思います。
「申し訳ありませんでした」とか「ごめんなさい」とか、最初はなかなか言えないものですが、だんだん慣れてくるものです。生きていれば人を傷つけ続けるもの、埋め合わせも続いていくものですから、慣れます。それを回復というのかもしれません。

借りたもの(奪ったもの)は返すのが原則です。
お金を返そうと思う時に、借りていた全額耳をそろえて返したいと思うものです。つまり格好良く返したい。格好良く埋め合わせしたい=格好良くステップをやりたい、これは「自分の古い考え」ってやつですね。僕はこのせいでずいぶん先延ばしをしました。
少額ずつでもこつこつ返せばいいのだと教えられて、やっと始められました。
で、毎月一万円ずつ送る決心をしたのですが、我が家でも諭吉君は絶滅危惧種ですから、「申し訳ないけど今月は送れない」という月が何ヶ月も続いてしまいました。しかし、ふと思ったのです。最低一万円ぐらいでないと「恥ずかしい」と思ってしまった僕は、やっぱり格好良く埋め合わせをしたいという虚栄心にとらわれていただけではないかと。

貯金ができるぐらい生活に余裕がある時は、金を返す気持ちはさらに減少するのも体験してきました。

ブラックアウト

ブラックアウトと言う言葉は、もともとは世界大戦中に空襲から町を守るために行った灯火管制が語源だそうです。きっと真っ暗になるという意味だったのでしょう。だから、劇や映画の場面転換時に暗くなるのもブラックアウトと呼ばれます。暗くなるのはなにも光だけじゃなく、飛行機乗りが強すぎる加速度を下向きに受けると、血液が下半身に集まってしまい目の前が真っ暗になるのもブラックアウトと呼ぶのだそうです。

アルコール性ブラックアウトというのは、酒を飲んだ事による一時的な記憶喪失(健忘)です。飲み過ぎた翌朝に、前の晩のことを憶えていなくて青ざめたことがありませんか?

みんなで宴会をしたときに、飲み過ぎてつぶれてしまい、机に突っ伏して寝ているヤツがいます。こういう人が翌朝になって、前の晩のことを途中までしか憶えていないのは当然です。だって途中から意識を失って(寝て)いたのですから、憶えているわけがありません。意識を失っていなくても、泥酔してもうろうとしていれば、記憶に障害があっても不思議じゃありません。

そうではなく、回りの人から見れば、ちゃんと最後まで意識があったのに、翌日に本人が一部か全部を思い出せないことがあれば、それがブラックアウトです。

アルコール依存症の人でなくても、大酒飲みが大酒を飲んだ晩にブラックアウトを経験することもありますが、それはまれな話です。ところが、アルコール依存症の人は、ブラックアウトの経験を豊富に持っています。その経験に「単に途中で寝たので以降憶えていない」経験を足しあわせば、アル中は本当に記憶喪失が得意技だとわかります。

依存症になりかけの頃は、まだ酒量も多くなく、人と飲んでいるときに泥酔することもまずありません。その頃に、相手から見れば「昨日の晩は酒の量も多くなく、きちんと話もできていた人」が翌日記憶が飛んでいるという経験をします。このブラックアウトは、「依存症への境界線をまたぎ越えた証拠」だとか、「いずれ依存症になる人とならない人を区別する症状」だとか言われます。

本当はどうなのか知りませんが、ブラックアウトを体験したらお酒をやめるのが最善だと思います。

愛だろ、愛

1月の終わりになって、いろいろ懸案だったことが片づいてくれました。てゆーか、年末年始に片づくはずだった作業が、まだ残っていたのは「先延ばし」が得意技だからにすぎません。

いままでセルフのスタンドでガソリンをこぼすというバカはやってなかったのですが、先日ついにやらかしてしまいました(機械を信用しすぎ)。そして帰宅して灯油を注いでいたら、それもこぼしてしまいました。屋上の貯水タンクの水が凍ってしまい、揚水ポンプが非常停止していたのに気づかず、明け方に氷を割ったりしていました。ついてない日ってこんなもんでしょう。

さて、AAの中での自分の評判を気にしても仕方ないと思います。
そりゃ、ちょっとは自分の評判も気にした方が良いと思いますが、それが自己評価の基準になってしまっては困ります。「あんた評判が悪いよ」と言われればドキっとしますが、良い評判をもらうためにAAやっているわけじゃありません。

そもそもAAは仲良しクラブではありません。AAの仲間は友だちとは違います。友だち関係とは別のものが僕らを結びつけています。

たとえば自分のバースディミーティングにたくさんの人に来てほしければ、たくさんの人のバースディミーティングに顔を出せばいいでしょう。おまけにプレゼントも渡せばなおさらです。AAの中だって義理もあれば人情もあります。それも悪いとは言いませんが、それとは違うものがあるのがAAでしょう。同じことがしたければAAの外でもできるのですから。

みんなでワイワイ楽しくやっていれば人が集まってくるよ、という理屈でやるなら、なにもAAという名前を使わなくてもいいのです。

批判されるのが好きな人はいません。仲良しクラブに波風立てれば嫌な顔をされるものです。尊敬できる人は、長い継続的な批判にさらされても、自分の信じることがある人です。きっとその人とその人のハイヤー・パワーとの関係がいいのでしょう。僕とは考え方がまるで合わなくても、それは別として尊敬できる人です。
「仲良くやろうよ」と言っている人に限って、実は自分のことしか考えてないとか、もっと私を褒めての賞賛乞食だったりします。

だから下手にAAずれした人よりも、やってきたばかりのAAビギナーの方が純粋だと言われるわけですよ。そういうお前も「すれっからし」じゃないか、というツッコミが定番ですけどね。

いつでも戻れる

昨年AAの金を何百万円か持ち逃げしたメンバーの一件を聞いたときに、最初に思い浮かんだのは「その人またAAに戻ってこれるのかな?」という心配でした。

行方をくらました人を追いかける力はAAにはありません。おまけに不手際があって、持ち逃げ行為を訴えることもできなかった、とあっては歯がゆい思いをした人も多かったに違いありません。お金は必要だから集めたのであって、無くなれば困ってしまいます。困ればそこに怒りや恨みも生まれて当然でしょう。

金が返ってくればいいという問題ではありません。どこかの会計係を任されたメンバーが、その金を使い込んでしまい(しまったらしく)、顔を出さなくなるということはあります。それを放置しておくわけにはいきませんから、その人に連絡を取ったら、金は戻ってきたけれど、その人はAAからいなくなっちゃった、というケースはいくらでもあります。

メンバー同士いがみ合っていたのではAAが続いていきません。つまり赦しが必要ということです。一方、何でもかんでも許せばいいというものでもありません。ストーカー行為やセクハラがまかり通っては困ります。社会の中のAAですから。その線引きをどこにするのか、明確な指針など聞いたことがありません。

ただ、ひとつ確かなことがあります。依存症とは、酒を飲み続ければ、いずれ酒で死ぬ病気です。そしてAAメンバーが「AAには人の命を救う力がある」と信じるのならば、依存症者をAAから拒絶することが、その人に対して死刑宣告をするに等しいということは理解してもらえるでしょう。

再飲酒した人がもう一度AAに戻ろうとしても、心理的抵抗がある(敷居がすごく高く感じられる)ものです。僕もそうでしたから。社会的に何の罪もない再飲酒ですらそうなのですから、実際問題として持ち逃げの人がAAに戻ろうと思う可能性は低いのかもしれません。

でも、その人が戻りたいと思えば戻れるのがAAです。

まだまだ続くビッグフットの話

僕は12のステップは旅だと考えています。
ステップ1は、なぜ旅をしなければならないのか。その動機です。旅をしないということは、今のところに留まるということです。いままでと同じ場所で、同じことを続けていくわけです。それには耐えられないと思うからこそ、ステップという旅に出たいと思うのではないでしょうか。
ステップ2は、目的地に着けば、今とは違ってくると信じることです。
そしてステップ3で旅に出る決心をして、ステップ4以降で旅をします。

AAミーティングにやってくれば、たいてい小さなハンドブックを読みますから、第5章に書いてある12のステップを目にするでしょう。でもその短い文章を読んだだけで、どこへ向かってどんな旅をすればいいのか、準備はどうすればいいのか、想像できる人はまずいないでしょう。

ビッグフットというのは、この旅のガイドブックであると考えてもいいでしょう。観光ガイドブックには何が書いてあるでしょう?
まず、パスポートの取得方法、ビザ、通貨の両替、予防接種などなどです。飛行機会社の電話番号や成田空港への交通手段。出国手続き。現地の空港に着いたら、市内のホテルへどうやって移動するか。リムジンバスかタクシーか。ホテルに着いたら晩飯を食いに行きましょう。翌日はいよいよ観光の本番です。ガイドブックには名所旧跡が山ほど掲載されているでしょう。そして、旅行特有のトラブルもいろいろ待ちかまえていますから、その用心も必要です。

こうしてガイドブックによって私たちは旅に出る前に、これから何が待ちかまえているか「おおよそのところをはっきり」と知ることができます。

僕は初めて海外に行く時には、何をどうしたらよいか分からず途方に暮れました。何をしていいか、これから何があるか分からない不安だらけで、いっそのこと旅行なんか中止してしまおうと思ったものです。平たく言えば、ビビって尻込みしていたのです。

ステップという旅も同じじゃないでしょうか。初めての時は怖いものです。これから何が起こるか不安だし、目的地がどんなところかも分かりません。だから旅に対して怖じ気づいてしまい、現状が耐え難いと思っても、旅に出るのを渋る人がいるのです。

ビッグフットを経験したからと言って、ステップという旅を経験したことにはならないでしょう。それは観光ガイドだけ読んでも旅をしたことにはならないのと同じです。ガイドブックだけ読んで旅した気分になっちゃう困った人がいるのも事実ですけど。

ただ、現状には耐え難いと思っていても、未経験の旅に対する恐怖心から「旅は嫌だ。しなくても私は現状で満足だ」と思ってしまう人が少なからずいます。そして「酒をやめているだけで十分じゃないか」と言うのです。こうなってしまうと、ますます旅には出にくくなります。

そうなる前に、とりあえず観光ガイドブックを読んでみるとか、旅行会社のツアー説明会に行ってみるのはいいことだと思います。そして、やっぱりこんな旅行には行きたくないと結論することになるかもしれませんが、それは仕方のないことです。

せっかくAAにやってきたのに、ステップという旅のすばらしい体験を聞くことなくAAを去っていってしまう人がたくさんいます。その現状を変えていこうというたくさんの動きの中のひとつがビッグフットだと僕は感じています。旅の方法論には賛否があるでしょうが、ステップが必要だという彼らの主張についてはAAそのものだと思っています。

(この項おしまい)

ビッグフットのさらに続き

そもそもビッグブックの解説本(スタディ・ガイド)とか、ワークブックとか、スクリプトとか、誰が書くものなのでしょうか。

アメリカ・カナダの常任理事会は、そのことに明確な方針を表明しています。
・その種の本を理事会が作ってGSOが売れと言うなら拒否したい。
・AA外部の人がその種の本を作ることは認めない。
・AAメンバーが書いてAAメンバーが使うのは賛成も反対もしない。

海の向こうには「俺の理解したステップを伝えてやるぜ」という熱意を持ったツワモノが多いのでしょうか。その種の本もたくさんあるようで、ネットで検索すればいくつか見つかりますし、無償で公開されているものもあります。「心の家路」で紹介しているジョー・マキューの著作も、あくまで「AAメンバーとして、AAメンバーに伝えるために」書かれたもののひとつですね。

さて、B2Bを使っていた人たちは、ワリー・Pの著作を訳して使うことが難しいのなら、いっそのこと自分たちで書いてしまったらどうだろうか、というアイデアが浮かんだのだそうです。そのアイデアが形になって、日本で初めて作られたスクリプトが「ビッグフット」です。日本のメンバーによって作られたと言うことが、僕としては画期的に思えます。

フットというのは「足」のことです。どうせステップの最初の一歩を踏み出すのなら「大きな一歩」を踏み出して欲しい、という思いがビッグフットという名前にこめられているのだそうです。なので、ロッキー山脈の大足巨人とも、ヒマラヤのイエティとも関係がありません。

良く誤解されるのですが、僕はビッグフットの著作にはまったく関わっていません。ただビッグブックのやり方全般を advocate(擁護)するなかに、ビッグフットも含まれているだけです。延々と毎月繰り返されるBFミーティングにも一度も出たことがありません。

ひとつ確信していることは、それまでのAAには足りないものがあったからこそ、ビッグフットによってそれを補おうという人たちが現れた事実です。

ビッグフットを好ましく思っていない(ほとんど敵視している)AAメンバーが居ます。それはその人の自由ですから僕がとやかく言うことではありません。けれど、反対者の意見ばかりが大きくなっていって、ビッグフットがAAから排除されてしまうのは好ましくないと思っています。

向こうの理事会は「個々のAAメンバーのステップの伝え方に、賛成も反対もできるわけがないじゃないか」というサービスの原則に沿った良心を示しているわけです。
ただ一方の声が大きければ、ときどきその原則が壊れてしまうのも経験していますから、ビッグフット関係者以外にそれを擁護する人間が少し居てもいいだろう、と思ってその立場を取っているわけです。スクリプト・ミーティングが存在する余地のない、不寛容なAAになってしまうことが、一番恐ろしいと思っています。

で、この文章は、そうした全体的視野とは関係なく、個人的にビッグフット・フォーマットに対してどんな感想を持っているかを書きたくて始めたのですが、ずいぶん長くなってしまいました。

(さらに続く)

ビッグフットの続き

昨夜は衛星放送でNFLのリーグチャンピオンシップの試合を見ていました。9月以降の僕は深夜のフットボール中継で睡眠不足が続きますが、それももうすぐ終わりです。マニング兄弟の弟がスーバーボウルに行けるかどうか興味津々でした。録画中継ですから、ネットで調べれば結果はわかるんですけどね。
第4クォーター残り4秒で、キッカーががフィールドゴールを外し、延長に突入したところで、もうそれ以上見るのを諦めて寝てしまいました。

試合の行われたパッカーズのホームスタジアムは、温度がマイナス4度であると画面に出ていました。Lambeau Field はこの前の試合の時は雪が積もっていました。グリーンベイという都市がどこにあるのか知りませんが、きっとアメリカでも北の方だろう、ぐらいにしか思っていませんでした。まだくそ暑い9月から、氷点下の2月まで試合をするなんて、NFLの選手は大変だなって。

帰宅後にケーブルテレビで続きを見ていて、途中で気が付きました。アメリカの気温表示は摂氏ではなく華氏です。華氏のマイナス4度は、摂氏に換算すると−20℃です。いやはや、その温度であれだけ激しいスポーツをするとは。

さて、ビッグフットの続き。

スクリプトとして最も有名なのは、おそらくワリー・Pの Back to Basics(基本に帰れ)でしょう。彼はニューヨークのAAオフィスの書庫から、1950年代に行われていたビギナー教室の記録を発掘し、それをもう一度広めようという運動を始めました。バック・ツー・ベーシックス(B2B)がどれぐらい広まったのかは知りませんが、シカゴにいた経験のあるアメリカ人メンバーに聞いたところでは、B2Bのミーティングはごく普通に存在していたそうです。

B2Bはビッグブックを使うのですが、中身はAAの源流となったオックスフォード・グループの原理を色濃く残しています。ですから、絶対正直、絶対純潔、絶対無私、絶対愛という四つの信条も出てきます。

で、B2Bを日本語に訳し、日本でスクリプト・ミーティングを(おそらく初めて)やった人たちがいました。そしてそれを広めていこうとするときに、B2Bの版権問題が障害になってしまいました。B2Bはあくまでもワリー・P個人の著作で、彼の出した条件と、日本人メンバーの要望がかみ合わなかったのです。

(まだ続く)

ビッグフット

ビッグフットとは、アメリカのロッキー山脈一帯に生存すると言われる身長3メートル全身毛むくじゃらの巨人の一族です。UFOを目撃した人に限って写真を撮るのが下手でどれもピンぼけだったり、宇宙人に会った人に限って絵が下手だったりするわけですが、その原則はビッグフットにも当てはまります。

という話じゃないですね。

ビッグフットというのは、いわゆるスクリプト・ミーティングのひとつです。ビッグブックを下敷きにした台本(スクリプト)を用意し、それを読むのがミーティングの中心です。ビッグフットでは4回のミーティングでステップ1〜12までを一通り体験することになっています。
僕が体験した一泊二日のセッションでは読むだけでなく、祈りや黙想、棚卸表への記入、埋め合わせの計画作りなどもしましたが、なにぶん4回のミーティングという限られた時間の中ですから、深いところまで掘り起こすのは難しいことです。

スクリプト・ミーティングの源流は、六十数年前のアメリカ、クリーブランドにまで遡ります。地元の新聞がAAの事を取り上げたのが発端となり、クリーブランドのAAにたくさんのアルコホーリクが寄ってきました。ところがそれを受け入れる地元のAAグループはまだ小さなものでした。しかも、12ステップはスポンサーからスポンシーへ一対一に渡されるのが基本でした。
結果として、多くのビギナーがスポンサーにありつけない状態になりました。窮余の策として、教室形式でビギナーを生徒役に、経験者を先生役にして、ステップを「教える」ことをし、一対多の伝達を試みました。教科書には出版されたばかりのビッグブックが使われました。
これがうまく行って、クリーブランドのAAは爆発的な成長を遂げました。そのおかげでAAはクリーブランドで始まったと思っていた人も多かったようです。

その後のAAで、こうした形式が主流になることはなかったのですが、その経験をスクリプトに集約して使うやり方は受け継がれてきました。

(続きます)

妙に長い雑記

妻が商店街の福引きでiPod shuffleを当てたのですが、我が家に届いても長いことほったらかしでした。が、この休みに引っ張り出して、ようやく使ってみた次第です。iTuneのソフトはもともとインストールしてあって、曲を買っていたりしたので、あとはiPodをつないで、曲を転送すればいいだけでした。

iTuneがまともに動作せず同じ曲が3回転送されてしまったりとか、トラブルがありながらもなんとか転送成功。付属のイヤーカナル型ヘッドホンにはまったく期待していなかったのですが、結構いい音です。iPod君には得手不得手があり、平原綾香のJupiterや坂本教授のMerry Christmas Mr. Lawrenceあたりは最悪、大塚愛のCHU-LIPはご機嫌という感じです。この傾向は昔から使っている5千円の密閉型ヘッドホンを使ってみても変わりませんでした。

ともかくアップルの製品を見ていつも感心するのは、安い部品を使って実に「それっぽく」仕上げるのがうまいということです。日本のメーカーの場合には、安い製品で高級感を醸してはいけないという縛りでもあるんでしょうね。例えばDSって、どうしてあんなにデザインがダサいんでしょう? アップルを見習って欲しいと思います。

さっそくiPodは子供たちに取られてしまいました。彼女たちの手でDS並の「耐久テスト」にかけられたiPodが、いつまで無故障でいられるか・・・。

さて、上の子が学校でスキーに行く前に、一度スキーをやっておきたいというので、親子でスキー場に行ってきました。我が家は朝寝坊が揃ってますから、お昼ご飯を食べてからお出かけです。スキーはレンタル。ウェア類は10年前のを引っ張り出してきたり、昨日フリーマーケットで買ってきたちぐはぐな寄せ集めです。半日分のリフト券とレンタル費用、家族4人で1万5千円ぐらいでした。
子供たちはスキーは初めてなので、とりあえず平地を2〜3分滑ってみて「スケートと同じ要領だから」と納得してもらい、早速リフトに乗ってファミリーゲレンデに出ました。ボーゲンとか教えてないので、二人とも直滑降であっという間に下って行ってしまい、止まり方を知らないので自ら山に突っ込むことを選んでいました。2回目はハの字と体重移動の練習。昔のスキーと違いますから、滑るだけなら難しいことはありません。

3本滑って売店で肉まんを買って小休止。その後は面白くなってきたみたいで、親を置いて子供たち二人だけでどんどん先にリフトに乗っていってしまいました。夕方までに計10本ほど。

第3日曜日は子供優待の日だそうで、ほんとに小学生ばかりでした。子供だけで滑っているのもまったく珍しくありませんでした。パパ・ママが休憩室で漫画を読んでいて(スキーの格好はしていない)、子供だけが滑っているという家族もみかけました。節約ですね。子供ばかりのゲレンデだったので、うちの子供たちも臆しなかったのかもしれません。
ともかく骨折しなくて良かった。年末に二人とも骨折しているので(上の子は階段落ち、下の子はスケートで転んで)。

最後に、雑記っぽい話をしましょうか。
日々少しずつ回復するなんてのは幻想です。人間の心の変化は、数時間とか数分の短い時間に起こるのだそうです(良い方にも悪い方にも)。だから回復も、長い停滞の期間と、短期間の変化の組み合わせでしょう。例えばAAでされる「気づきが与えられた」という表現も、気づいて行動が変わるという変化が、その瞬間に起きたと解釈できます。停滞ばかりの日々が続くのが当然ですが、そこは根気強く。
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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