FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

東京行き

週3回ヤクルトおばさんからジョアを買っているのですが、低カロリーのレモン味がなくなってしまいました。何もかも価格高騰の折、商品を値上げする代わりに、売れ筋でない商品を廃してコストを抑えるのだそうです。同じく低カロリーのジョアライトも販売終了です。おばさんは「手持ちの在庫がある限り持ってきます」と言ってくれたのですが、ついにそれも底をつき、今日からイチゴ味を飲むことにしました。

さて、日曜は東京へ。睡眠時間4時間で仕事に行くのは大変ですが、同じ4時間で東京のAAに行くのはそれほどでもありません。特急電車か高速バスに乗り込んだら、あとは3時間追加で寝ていけばいいわけですから。今回は三鷹のバス停あたりまでぐっすり寝られました。

飯田橋の駅を降りたのはいいのですが、会場がどこだか忘れたので、携帯電話でセントラルオフィスの「かわらばん」のページで確認しました。集まった人数は70〜80人ほどでしょうか。女性6割、男性4割、あるいは女男比2:1ぐらいでしたでしょうか。女性が多いのは、アルコール以外の人や家族の人が多いせいではないかと思われますが、「あなたは何の病気ですか?」と聞いて回ったわけではないので確信はありません。

中身は濃かったと思います。「他よりステップの話をしているスピーカーの割合が多い」と感想を言っている人がいました。確かに、僕が朝10時から午後4時まで、部屋の外にふらふらサボりに行かずに話を聞いていたのは久しぶりです。普段のイベントではたばこも吸わないのに喫煙コーナー付近を漂っていたりしています。不真面目と言われればそれまでなんですけど、正直な話、会場の中にいるのが耐えられなくなるAAイベントもあるんです。

午後は、ビル・Wが経験した「白い閃光」のような劇的な霊的体験を経た人たちの話が3人続きました。(後で聞いたら、意図的にそれを3人並べたのだそうです)。霊的経験の後でそれを霊的な助言者に相談したところ、「それは神様とのふれあいのほんの始まりに過ぎない。言ってみれば神様が名刺を渡してくれたぐらいだ」と言われた、という最後の人の話が印象的でした。ちなみに僕は霊的体験を持たない「その他大勢」の一人です。

一つ気になったのは、一部に跳ねっ返り的発言が目立ったことです。確かにこのステップのやり方は、その人に効いたのでしょう。だからそのやり方が本物だという意識を持つのは分かります。でも、本とはかなり違ったやり方でステップをやっている人たちも、ステップをやっていることには違いないし、ステップをやらずにミーティングだけで助かっている人も、助かっていることには違いないのです。そういう人をあからさまに批判しては反感を買うばかりです。たとえば、断酒会には12のステップがないから断酒会はダメだ、と言ったら断酒会の人たちは怒ってしまうでしょう。断酒会でもたくさんの人たちが酒をやめて社会生活をしている事実に目を向けないといけません。それはAAの中でも同じことです。
主催の人たちは、もう何年も前に「跳ねっ返り発言」のしっぺ返しを経験済みのようで、いさめる言葉も出ていました。

ところで僕は思うのです。仲間に会い続けることで酒をやめて幸せでいられる人に、僕は無理にステップをやれと勧めるつもりはありません。でも、仲間に会い続けても、酒が止まっても、相変わらず苦しさが取れない人もいます。ミーティングに出続けても、しっかり酒が止まらない人もいます。そういう人たちに「やる気がない」とか「感謝が足りない」とか叱っても仕方ありません。苦しんでいる人は、仲間やミーティング以上のものを必要としているのですから、「あの連中と一緒にステップを試してみたらどうか」という提案があるのが親切ではないでしょうか。

一緒に行ったスポンシーが、会場に女性が多いのを心配し、「ひいらぎが女と話し込んでいたら、間に入って止めるつもりだった」そうであります。僕が離婚したことは知れているから、よけい危険だと言うのです(狼はどっちだ?)。別に僕は女をつかまえにAAイベントに行ってる訳じゃないんですけどね。それに、親切なナイトの実際の行動は、休憩時間にはタバコを吸いに行ってしまって、ひいらぎの監視どころじゃなかったし。今の僕は、いろんなことで手一杯ですから、余計な心配ですよ。僕は女性に「一緒にステップやりましょう」とか言って誘う男じゃありませんて(むろん、やれと強要もしない)。

給料日が来たら来月のイベントの振り込みをしよう。来月はスポンシーがついてこないから・・・。

低空飛行

調子最悪というほどでもありませんが、全般的にウツっぽい状態です。
掲示板でもメールでも、四角い文章(つまり改行が少なくて行数が多い)を読む気になれません。別に記憶力が悪くなったわけではなく、うつで注意力が散漫になったせいで、入ってきた情報がザルで水をすくうみたいに漏れ出てしまい、脳に残らなくなっているだけ・・だと分かっていても、なんか頭が悪くなったみたいで情けなくなります(いや、老化かも)。

とはいえ、記憶力にも自信はなくなってきています。
何年も前とはいえ、ミーティングに通った場所を忘れるわけはないと思っていたのですが、実際にその場所の近くまで行ってみても、細かい地理が全然思い出せませんでした。

明日はまた東京であります。明後日は出勤だ。

家風

離婚騒動の中で、母が話してくれたことがあります。

それは、○○家(僕の旧姓)に嫁に来た立場から、この家の家風について語った言葉でした。この家は元は地主でありました。もっとも農地改革で財産の大半を失ったので、今はビンボーですが。

地主は借地人から地代を徴収することが出来ます。その大半が農地だったので、地代は米など穀類の現物納付(つまり年貢)でした。土地に対する徴税権を武士階級が握っていたにせよ、実際に徴税・納税の義務を背負っていたのは、土地所有者である地主農民たちでした。裕福ではないにせよ、毎年年貢が入ることが保証されているということは、手持ちの金を全部使ってしまっても、次の収入で何とかなる、ということです。そういう地主時代に培われた、多少無理してでも、礼式はきちんと整えたい、金がないからと言って見栄えの悪いことはしたくないという家風は、没落後も簡単には消えません。

難しい言葉を連ねてしまいましたが、平たく言うと「金遣いが荒い」わけです。僕もそこに育った以上、それから自由ではないのですが、それは別の話として。

話は変わって、娘二人とお盆で実家に行ったのですが、その道中二人が「お好み焼きが食べたい」と言い出しました。なんでも、おじいちゃん(元妻の父)にお好み焼きを焼いてあげると呼ばれたので喜んで行ったら、具がピーマンとシソの葉だけで、とても子供の食べられたものではなかった、という話でした。
具がピーマンとシソの葉だけのお好み焼きか・・・どうも見栄えの悪い話だ、と僕は思いました。

じゃあ、お好み焼きの店に行こう、という話をしました。外へ出た息子が孫を連れてきたのだから、多少はご馳走しなければならない、と母も思うでしょう(そういう家風)。ここは母を当てにしてもいいはず。

母、僕、娘二人の4人で出かけようとしたら、兄が「一緒に行く」と言い出しました。休みだからといって昼間からビールを飲んでいる兄が同行する目的は、お好み焼き屋でさらにビールを飲むことに違いないのですが、断る理由も特にありません。弟にハンドルを握らせれば、さらに安心して飲めるという算段でしょう。

ところで午後3時には、お好み焼き屋は閉まっていて、夕方になるまで開店しないわけです。店の駐車場で途方にくれていると、兄が「それまでの間、ボウリングをやろう。金は俺が出すから」と言い出しました。遊びに来た弟を、多少金を使ってでも、もてなさなければならない(という家風)ってことにしておきましょう。ここで帰ったらビールが飲めない、という理屈かもしれませんけど。

2ゲームだけの予定が3ゲームになってしまったのは、僕にスコアで負けた兄が「もうひと勝負」とがんばったせいです。酔って勝負になるわけがない。ちなみに僕のスコアは3ゲームトータルで400と高いものではありません。

○○家(離婚後も名乗らせてもらっている婚家の姓)のムコとして、その家風に12年も染まった僕は、ボウリングもお好み焼きもゴチになって悪いな、どこかでお返ししなくては、という意識が希薄です。これは、どこにバランスを取ったものか、いまだに悩みます。

中ジョッキを4杯飲んだ兄は、帰宅後すぐに寝てしまったようです。「最近いつもそうだよ」と母が言います。兄は明らかに酒に弱くなってきています。このまま定年まで大過なくすごしてくれるのかどうか。僕が心配しても仕方ないことですけど。

トクホン並み

理屈とトクホンはどこへでもひっつく、という名言があります。

まず自分の主張したいことがあって、それを正当化するための理屈なんて、後から幾らでも考え出せるという意味です。だから、理屈に理屈で対抗して、つまらぬ議論を繰り広げてみても疲れるだけです。それよりも、なぜ相手がそんなことを言い出したのかという動機の部分を探ったほうが、よほど良策です。

そして、理屈が後付けになる主張の大半は「○○が気にくわない」というような個人的な憎しみだとか、プライドの傷だとかが原因ですから、なおさらその理屈に耳を傾けても仕方ありません。

「AAの伝統からすると、どうのこうの」「そもそもAAとはこういうもの」みたいな議論は、たいてい何かが気に入らなくて始まっていますから、「理屈とトクホンはどこへでもひっつく」とつぶやいて放置プレーが正解だったりします。だって、理屈じゃなくて感情の問題なんですから。理屈が好きな人の理屈は「理屈っぽい」と感じるものですが、感情的な人の理屈にはそういう印象がないものです。

もちろん「○○○○は放送禁止用語だから」というのも同類だと思いますよ。

ビートたけしが作った映画の最後のシーンで、主人公が「どいつもこいつもキチガイだ」とつぶやいて立ち去るってのがありました。僕もそうつぶやいて立ち去りたいところですが、あいにく映画と違って人生にはその後も続きがあったりします。

さて、僕は夏でも冬でもジーンズは二日続けて履いて、毎日洗ったりしません。でも月曜日はジーンズが汗でびっしょり濡れていたので、さすがに一日で洗うことにしました。別に暑い場所にいたわけではありません。空調しない環境にいたのは2時間あまりだけでしたし、そこも風が通って気持ちいい空間でした。あとはエアコンの環境にいたのですから。それでも汗をたくさんかいたのは、緊張していたからでしょうね。

明日から二日間、娘二人と実家へ行ってきます。実家も1日目はともかく、二日目は緊張が高まったりするかも。

この子誰の子

僕の携帯電話のかな漢字変換には「予測変換」という機能がついています。
例えば「あ」と一文字入力すると、「あ」で始まる単語のうち、僕の使用頻度が一番高い「明日」という単語が候補に表示されます。先ほど「ひいらぎです」と打とうと、「ひ」と一文字入力したら、最初に出てきた候補が「非嫡出子」でした。なんだかなー。なんか変だなと思って、「あ」から全部チェックしてみることにしました。

あ・・愛してる
い・・忙しい
う・・受け止めてね
え・・エッチ
お・・お風呂

なんじゃこりゃ。いったいこの携帯電話は、持ち主である僕のことをどんなメールを打つ人間だと思っているのでしょう。きっと電話のバグでしょうね。

土曜日。東京へ行くのに高速バスではなく、特急電車を使ったのは、帰りの高速道路が入り込みと重なって混み合うことを恐れたからです。それに特急だって指定席を予約しておかないと、混み合った自由席に2時間以上立っていなければならないのではないかと。

でも、帰りの特急は1/3ぐらいしか席が埋まっていませんでした。高速道路も混んでいなかったようです。そして高速バスだけが混んでいたようです。世の中思ったより不景気なのですね。

日曜日。転居の通知を兼ねて残暑見舞いを50枚発送。焦らずとも、旧盆をすぎてからでもよかったようですが、

家路もなにか更新しようと思いながらも、ずるずる先へ伸びます。

夏休み

お肉を食べると、その晩はいつもより眠くなるような気がするのは気のせいでしょうか。しかも、牛肉>豚肉>鶏肉>魚のような気がします。考え過ぎかも知れませんけど。まあ、思い過ごしも恋のうちと言うことですし。

転居のお知らせのハガキを出しそびれていたので、暑中見舞いを兼ねて出すことにして「かもめーる」を買ったのですが、暑中見舞いではなく残暑見舞いの時期になってしまいました。旧盆が始まるまでには出さないと、情けないことになってしまいます。

明日は東京。

ニュース検索

「えんぴつ」や「さるさる」ではなく、「家路」においてある雑記 http://www.ieji.org/journal.shtml には、下にニュース記事を検索した結果を載せています。

ひさしぶりに、このニュース検索のメンテナンスをしました。
いつの間にか Google と Livedoor しか検索できなくなっていたからです。検索結果の表示形式が変わると、それを拾い出すこちらのプログラムも変更しないといけませんが、手間がかかるので面倒がってほったらかしだったのです。
検索エンジンである Google や Livedoor は、検索結果を再利用することも考えてくれているのでしょう。表示形式は滅多に変更されません。ところが Yahoo は、何を考えているのかしょっしゅう変更をやかしてくれます(さすが孫さん)。

新聞社のサイトにとってみれば、検索結果の表示ページですら「貴重な広告スペース」であり、売り上げのもとです。だから結果表示を機械的に使われては困るわけです。なので、しょっちゅう変更があっても文句の言いようがありません。

asahi.com はいつの間にか検索ページにAjaxが導入されて、面倒なことになっていました。読売は外部の検索エンジンを使っているのですが、それを Goo から Yahoo に変えていてくれました。そんなことに一つ一つ対応していくと、だいたい半日は過ぎてしまいます。

でも、おかげでまたニュース検索がにぎやかになりました。

いままで引っかからなかった記事をひとつピックアップします。

自立支援施設 住民ら署名合戦 (朝日)
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000120807310002

(愛知)障害者自立支援施設建設が暗礁(読売)
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/dounaru/dounaru080405_1.htm

名古屋マックのことだそうです。

閑話

寂しいときにはその「寂しさ」を、切ないときにはその「切なさ」を、そのまま抱えて生きていけばいいのだ、と自分に言い聞かせる日々です。

職場は毎日朝から最後の一人が帰宅するまでエアコンがつけっぱなしです。温度設定は27℃。僕の場所は冷えにくいところなので、自前の扇風機を併用しています。通勤の車の中もエアコンはつけっぱなしです。7月下旬からは、自宅でもエアコンを使うことが増えました。夜中に窓を開けっぱなしのまま電話で話をしていると、声が外から回り込んでお隣に迷惑になるのを心配します。そして窓を閉めればパソコンの熱もあって温度が上昇するのでエアコンです。
こういう生活を続けていたら、すっかり冷房病になってしまいました。

気象庁の発表する注意報・警報を携帯のメールで受信しています。以前、大雪警報を知らずに残業していたら、帰宅できなくなりかけたので、注意を払うようにしているのです。でも、ここのところ毎日毎日大雨の注意報あるいは警報がでていて、もうすっかりそれに慣れてしまい、危機感を感じません。

さて、掲示板で公務員の話が出ていますが、僕は「行政というのは集めた税金の再分配役に過ぎない」と思っています。お金が再分配される過程で、消防や警察や教育というサービスに変わる場合もありますし、道路や箱物に形を変える場合もありますが、助成金や補助金という名目でお金のまま分配されることもあります。

行政が効率化しない最大の原因は、競合相手がいないことでしょう。より安価で良質のサービスを提供する業者が新規参入してきたりしませんから危機感が生まれません。逆に、努力したところでマーケットシェアが増えるわけでもありません。さらには、金を払ってくれる人間と、金銭やサービスを受け取る人間が必ずしも一致しないのも、問題を複雑にしています。たくさん税金を納める人が、市役所ではVIPラウンジに通され、市民課の待ち行列を飛び越して書類を交付してもらえる・・なんてことはありません。

この金の払い手とサービスの受け手が異なる現象は、テレビやラジオの民放にも見られます。放送局にとってのお客様はあくまでCM枠を買ってくれる企業であって、視聴者は客ではありません。じゃあNHKはどうなんだ、とか。どうしてNHKの著作物は視聴者みんなの共有物にはならないのでしょう。大河ドラマのDVDとか、実費で売ってくれても良さそうなものじゃないですか。

話がどんどんそれました。

仕事

高校生の時にアルバイトしたことがあります。夏休みの間に、S○NYの工場でスピーカーの組み立てをやりました。体を動かすアルバイトは、それが最初で最後です。大学に入ってからは、コンピューターソフトのアルバイトしかしていません。
例外として、人から頼まれて「おもちゃショーに出品するおもちゃの半田付け」という仕事を3日だけやったことがありました。半田不良でショーの当日動かないおもちゃばかりで大トラブルだったそうです。あとはひたすらソフトの仕事ばかりしています。
雑誌に原稿を書く仕事もしましたが、すべてパソコン関係ばかりですから、ソフト関係の仕事にくくっています。それらのアルバイトが本業になって、そのまま来てしまいました。書いたソフトは様々で、パソコンのワープロソフト、ゲーム各種、ワークステーションのCADソフト、保育器の温度制御、スキャナーのドライバーなどなどあって、今は工場で使う特殊用途のソフトを専業にしています。
「手に職がある」と言えばよく聞こえますが、「ほかの仕事はできない」ということでもあります。仕事があるところにしか住めないわけです。

ソフト書き(プログラマー)の人材は慢性的に不足しています。
それほどハードルが高い仕事じゃないと思いますけどね。僕がこの業界に入った頃は、大学中退どころか高校中退の連中もいっぱいいましたし、40過ぎてからこの仕事を始めた人も少なくありませんでした。英語をおぼえるより、C++言語をおぼえる方がずっとずっとず〜〜っと楽だと思います。でもこの仕事は人気がないみたいです。
やっぱり http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=50495 みたいなことになっているからでしょうか。
(これはある出版社の情報処理技術者試験の参考書に挟まれていたしおりだそうです)。
僕も若い頃は、職場のデスクにお風呂道具が入れてあり、下着は近くのコインランドリーで洗ったものですが、昨今は毎日家に帰っております(午前様だったりしますけど)。

世の中の不景気が続くと、就職に有利な理系の学部の人気が高くなる・・ということを昔は言いましたが、今はどうなんでしょう。

食べること

生きることは食べることだな、と最近つくづく思います。

食べている時間はもとより、その前後には、食材を買いに行っている時間、調理の時間、後かたづけの時間があるわけです。人によっては満腹でごろごろする時間なども加えてもいいかもしれません。

それらを足しあわせると、人生のかなりの部分は食事をするために費やされています。そもそも、働いて金を稼ぐことも、その金で食事をするためでもあります。

食べるために生きているのか、生きるために食べているのか。

それはともかく、一人暮らしになって食べることが大きな時間を占めるようになりました。食べるためにすることは、すべて自分のための事です。何でも自分のコントロールが及んで楽しくもあります。いままでその部分は、ほとんどが妻の役割でした。その時は、すべてが妻のコントロール下にあって、こちらは食事に不満があれば文句を言うことしかできないわけです。でも不満ばかり並べ立ててるわけにもいかないので、黙って食べるしかありません。

その忍耐が、「お弁当は毎日ちゃんと作ってよね」とか「からになったお弁当箱は、嫌がらずに洗ってよね」という不満として吹き出していったのでありましょう。

調子が悪い妻に替わって、自分が料理をしていたときは、それは子供たちのためであって、決して自分のためではありませんでした。

いま一人で暮らして、自分以外に食べる人がいない環境で、自分が食べることに時間を使いながら、生きることは食べることだと実感しています。
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

コメントは 掲示板 へお願いします。

最新記事
検索フォーム
月別アーカイブ
カテゴリ
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。