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怖かった

AAの第4章76ページには「私たちが抱えている人生の問題」というのが、生計が立てられないとか、人間関係の問題とか、落ち込みの餌食などなどがリストアップされているのですが、その中に「他の人が助けを必要とする時に助けになれない」というのがあります。

僕が助けてもらったと思って感謝していることの一つを挙げますと・・・。
離婚したときの僕は、一見元気そうに見えても、さすがに心の中はメゲてしました。そんな時に、「貯金も家族も失ったけれど、借金はないし仕事もある」と言ってくれた人がいました。それだけ恵まれているのだから、投げやりになってはいけないと、前向きになれたのは、その一言のおかげでした。
人間の言葉は、そのように人の心を変える力を持っています。それは過剰な褒め言葉である必要はないと学んだ機会でした。

でも、その人がたまたまトラブルがいくつか重なって、体も心もお疲れである時に、話を聞き終わった後に僕がしたことは、すこしでも元気づけられる言葉を差し出すのではなく、逆に足を引っ張る行動であったわけです。よりによって、こんな時に。なんてこった。

「10年AAでステップやって、そんなもんですか。それなら元がよほどひどかったに違いない」とか、「(言うことと行動が違う)二重生活を続けていること自体が問題なのです」とか、「普段自分は頭がいいと思って人を(特に女をか?)見下しているから、そうなるんです」と言われても、本当のことなので反論のしようがありません。

十分手加減してもらったのはわかってるんですが、正面切ってそう言われると、さすがにメゲメゲにめげるのであります。だいたい、助けになれないと嘆くこと自体が共依存的だし、上から目線なのかもしれません。

「もう電話もメールもしてくるな」という怒りのパターンには慣れっこなのですが、冷静にグサグサと突かれて、実に・・・実に生きた心地がしませんでした。

オンライン化

「例のイベントに行きますか、どうしますか?」と聞かれたとき、正直面倒だなと思いました。それでも、行くことにして切符の手配など頼んだのは、最近の自分の有り様を反省したからでした。
とりあえずお祈りとか黙想はしているものの、日々の棚卸しはサボりまくりです。寝る前に「ああ、今日を振り返っていないな」と気がついても、寝るのが優先でステップなんぞどこへやら。
もう一度方向修正する力をもらいに、そのAAイベントに行ってみようという気になったのです。8月は3回上京することになるので、少々面倒に感じなくもありませんが、これも自分のためであります。

ユニクロに買った服のサイズ交換に行きました。
僕は胸回り(男だからバストじゃなくてチェスト)が88cmぐらいです。これはちょうどサイズSとMの境目あたりです。結果、Sサイズを買えばちょっとキツく、Mサイズを買うとちょっと余ることになります。どちらがいいかは服によります。
今回はMを二つ買って帰ったのですが、ちょっと大きい感じなので、まだ袖を通していない一つをSに交換してもらおうと思った次第です。
店員さんに「サイズ交換お願いします」と言ったら、「じゃあ棚から希望のサイズのを持ってきて下さい」と言われました。でも、棚には同じ商品がありません。忙しがっているうちに2週間もすぎてしまい、お店はすっかり秋物の世界になってしまいました。
仕方ないのでバーゲン品の棚から、似たような同じ値段のを選んで持っていきました。あとはレジでピピッとBCRで処理しておしまいです。レシートを持っていくのは忘れたのですが、問題なくて、住所とか名前を書けとは言われませんでした。
つい1年か2年前は、MとLの間だったんですけどね。

ネット販売が盛んになって古本屋がつぶれていくって話を書いている人がいました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080525/crm0805251244006-n1.htm こちらの記事などを読むと、アダルトショップ(大人のビデオ屋さん)も苦境に立たされていることが分かります。

実際、僕の住んでいる市内でも、ここ数年で3軒つぶれています。1軒は家族経営だったようで、中学生の男の子がよく店番をしていました。その子が高校生になると、友だちがビデオを買いに来ちゃったりして。かなり可哀想な気がしました。けれど彼にとっては、ビデオの中に存在する女たちと、友だちとの会話の中に登場させる女の子とは、はっきり別の次元に属している話しぶりだったのが印象に残っています。でも、その店もつぶれてしまいました。
それで、良かったのか悪かったのか。

ひさしぶりに、とんでもない大ポカをやってしまって、自己嫌悪で落ち込んでいます。でも、誰が悪いのでもなく、自分が悪いので仕方ありません。ここでも謝っておきましょう。「ごめんなさい」

気まぐれ更新

月末になると仕事が忙しい。
別に月末になると仕事が増えるわけじゃありません。ただ納期設定が「月末」ってのが多いのです。例えば「いつ頃までにできますか?」と聞かれたときに、8月5日と答えたとすると、「なぜ7月末でなく、5日延ばす根拠はなにか」と聞かれても答えようがありません。経験と勘で決めてるだけですから。そこで面倒がると月末が忙しくなるのです。
ミーティングに行かなくても帰宅が夜10時という日々が続くと、雑記を書いている余裕も少なくなっていきます(と言い訳)。

さて、一人暮らしを始めてしばらくしたら淋しくなってしまい、毎晩AAに行っていた時期があります。一週間丸々AAメンバーと顔を合わせない日はないぐらい。もちろんそれはミーティングばかりではなく、病院メッセージだったり委員会だったりしたのですが、ともかくアル中仲間の中にいました。

これをやると淋しさは紛れます。生きていく虚しさとか、自分の愚かさ醜さとかも、かなり気にならなくなります。思い起こしてみれば、淋しさ、虚しさ、愚かさなどを紛らわすために酒を飲んでいたのです。酒が虚しさの治療薬だったのです。
そう言う意味では、確かに酒のかわりにAAで虚しさを紛らわすことで、AAに助けられているのです。でもそれは、依存の対象がアルコールからAAに変わっただけなので、回復とか健康とは言い難いわけです。

酒をやめ始めの時期はマイナスの感情で一杯ですから、それを肴にまた酒を飲みかねません。飲まないことが第一ですから、AAの仲間と触れあう事による「サポート」を得るのはとても大切です。その時期はともかくミーティングに通うしかありません。

でも、いつまでもそれでは困ります。ミーティングで得られるカタルシスも、時が経てば慣れてつまらなくなってきます。そこで週末のAAイベントに出てみると、知り合いが増えたりして、もっと刺激的で楽しかったりします。でもその刺激にも慣れてしまいます。さらにもっと遠くの、もっと大きなイベントを求めて毎週末出かけたり、あるいはイベントを準備する側にまわったり・・、そうやって現実生活からも回復そのものからも乖離していきます。熱狂している=実はシラフの酔っぱらいがいっぱいいるのがAAです。

淋しいときには淋しい自分と一人で向き合う必要があります。「安易な癒し」に逃げていては、自分自身を見つめる作業がおろそかになります。酔いに逃げずにシラフで生きていくのがソーバーですからね。ステップの成果が虚しさを埋めてくれるのがAAの原理です。

そしてもう一つ。淋しさ、虚しさ、愚かさを抱えていると、「なんとかそれを解消しなくちゃ」という強迫観念に囚われてしまいがちです。虚しくない完全な人生を目指してしまうわけですが、そこに誤りがあります。人間なんてどうやっても不完全なものです。虚しさ愚かさがあって当たり前です。それを無理に解消しようとするから、酒とか薬とか変になっちゃうわけです。虚しさを抱えながら生きて行けばいいのです。

愚かさを抱えながらも、「今の自分はこんなものです」とハイヤー・パワーに報告して、それで一日終了であります。
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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