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加害者性の獲得

DVの話の続きです。今の僕の目標は、この文章をさっくり30分でまとめることです。

覚醒剤や麻薬の常習者を刑務所に入れて懲役させるだけで、出所後の再犯防止が実現できるでしょうか? 答えはノーです。精神病院に入れても酒をやめないアルコホーリクを、刑務所に入れても酒はとまらない。それと同じことです。のり塩スキャンダルでは警察の取り調べばかりが注目されましたが、本来であればどうやって再発を防止するかが問われなければなりません。(けどまあ、ダルクなどの治療施設の名前が出ただけでも良しとしますか)。

依存症治療の歴史を読んでいて鮮明になったことは、飲むのをやめる(断酒のきっかけ)に必要な動機と、やめ続ける(断酒の維持)に必要な動機は異なる、ということです。

きっかけは心理的な興奮によって実現します。例えばアジ的な演説で人の心を動かすことができます。何らかの強制でも可能です。要するに何かショックなことが起これば、人は過去と我が身を振り返って自分が変わろうと決心をします。

しかし決心に基づいた行動を続けることはなかなかできません(三日坊主)。興奮(あるいはショック)は長続きせず減衰してしまうからです。アル中さんを説教して反省を促し、酒をやめさせることは可能でも、断酒を継続させることは難しい。刑罰的な処置によって薬物の再犯防止が防げないのも同じことです。

真実はシンプルで「人は反省によっては変化しない」というわけです。

信田さんの話でも、DVの加害者プログラムでは、本人と対決的にならず、責めず、動機付けをして肯定的に支援することが大事だと強調されていました。この考え方はカナダのDV加害者プログラムの実績に基づくもので、実はそのプログラムはカナダの性犯罪者の再犯防止プログラムを母体として生まれました。カナダは性犯罪の再発防止では最先端で、信田さんのブログにもカナダに研修に行った話がありました。

過去ではなく、現在やっていることの肯定的側面を強化する。認知行動療法にはそれが有効です。このように加害者がある意味「褒められる」ことに対して、被害者側にはたまらん気分もあるでしょうが、この考えは被害者の安全を確保するために(DVでも性犯罪でも)加害者の変化を最優先した結果だとありました。

12ステップの棚卸しも反省のためにやるわけではなく、そういう興奮から離れて自分の心の動きを冷静に分析することが目的です。棚卸しがうまくいくためには、スポンシーが涙をうるうる流しながらでは困るのです。自分の加害者性とは冷静に向き合ってもらわなくてはね。

もちろんプログラムの目的がアカウンタビリティ(説明責任)、謝罪や賠償、再発の防止である以上、当事者にとって(例え褒められても)プログラムが心地よいなんてことはあり得ません。

週に一回のペースで12回。これを1クールとして、変化を起こすには数クールは必要だそうです。するとDV加害者が変化するには最低でも1〜2年は必要でしょうか。

さて、では刑事的な処罰は必要ないのか? むろん必要であって、加害者意識ゼロの本人をプログラムにつなげるためには、刑罰によって社会的な圧力を加えることが必要で、今の日本ではその法整備が進んでいないことが問題だという話もありました。

日本では加害者プログラムはまだ数カ所でしか行われていません。東京4、名古屋・京都・北九州各1。

まとまらない文章ですが、30分経ったのでこれで終わりにします。
明日は気が向けば、加害者性獲得について、別のことも書いてみたいと思います。
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DV夫と加害者性、依存症と当事者性

渋谷の國學院大學まで、社会病理学会の公開シンポジウムを聴きに行きました。(テーマは「中高年男女の生きにくさ」)
シンポジストのひとりは信田さよ子先生で、これが目当てだったわけですが、残りの二方が学会所属の社会学者でマクロ視点から自殺を取り上げたのに対し、信田さんは臨床家としてDVを論じたのが対照的でした。
参加者の数を数えたら四十数人、これはかなり寂しい数字だと思います。そして人が少ないとネクタイを締めていない僕は目立つので嫌なのです。それはともかくとして。

おそらく社会学者にとってDVは専門外だからという理由で、信田さんの話は前説が長くなりました。おかげで介入手法についての話がざっくり略されたのは残念でした。僕にとってもDVは専門?外なのですが、話を聞いて依存症との類似点をいくつか思いついたので、メモ代わりに書いておきたいと思います。それは、DV加害者更正プログラムと、依存症の回復プログラムの類似性とも言えます。

DVには加害者(夫)と被害者(妻)がいます。
ところが暴力をふるう側は「妻のせいでこうなった」という被害者意識に満ちています。妻が「でもだって……」と口答えばかりして、夫の気に入ったようにしてくれない。あげくに具合が悪いと言って家事をサボる。夫として「妻にきちんとしてほしい」という愛情ゆえに、つい暴力に訴えてしまう。だから悪いのは妻だという理屈です。
一方妻の方は、私が至らないから殴られるのだと、自分の責任だと思う=加害者意識があるわけです。こうして支配の仕組みは深まっていきます。

このように加害者と被害者が意識の上で逆転している状態で、DVの原因(というか発端)を探っても問題の解決になりません。自分は被害者だと思っている夫が、加害者であることに気づくことが大事です。そのためにはDVそのものに焦点をあてる必要があるという話でした。

発端ではなく現状に焦点を当てる必要があるのは依存症も同じです。依存症の本では、この病気が primary disease だということが繰り返し強調されます。日本語では「原疾患」。

例えば糖尿病を治療しないでおくと、視力が低下し最後には失明します(糖尿病網膜症)。ここで網膜症の治療だけで、糖尿病の治療をしなければ、いつまでたっても良くなりません。原疾患の治療が大切です。

依存症はそのものが原疾患で、「依存症になった原因探し」をしても意味がありません。発端ではなく現状を解決することが大切だからです。しかし本人は酒が primary な問題だと認めたがりません。

例えば親がアル中で(AC)本人もアル中という場合です。その生きづらさが親に源を発していることは疑いがありません。だからこそ酒を飲むことも必要だったのでしょう。でも結果として親と同じアル中になってしまった。
ここで人は、アルコールの問題ではなくACの問題に焦点を当てたがります。まるでACが糖尿病で、アル中が網膜症であるかのようです。でも原因探しをしてもアルコールの問題は解決しません。もはや依存症そのものが primary な問題になっちゃったからです。

だから酒の回復を3年ぐらいやって、安定してからACの問題に取り組むのが基本です。それには「親のせいでこうなった」という被害者意識を一時凍結して、アルコールでの自分の加害者性に取り組んもらうしかないのですが、なかなかそういきません。被害者意識というお茶は甘くておいしいのです。
そして、いくらACの問題に金と時間をつぎ込んでも、途中で酒を飲んだら台無しだということに気づいてはもらえません。

フロイトに端を発する精神分析は、20世紀のアメリカで大流行しました。当然それを依存症に応用する試みがなされました。でも成功することはなく、1960年ごろに精神分析医は「反抗的な」アル中の相手をすることをやめてしまいます。彼らの敗因は依存症になった「原因」を探して解決すれば、酒の問題も解決すると信じたことでした。

仕事のストレスで酒を大量に飲んでアル中になったとします。仕事を辞めれば、酒の問題も収まると考えがちです。でも、最初は確かにストレスのせいで酒を飲んでいたかもしれませんが、途中から「依存症だから」酒を飲むようになっていたのですから、仕事を辞めても酒は止まりません。かえって経済的に困ってしまうだけです(困った方がいい場合もあるけど)。

うつ病から依存症に移行した場合にうつを治療しても酒が止まらないのも同じ理屈です。

DV夫が加害者性に目覚めることの難しさ。これは依存症本人が、12ステップでいうところの「性格上の欠点」とか「自分の側の問題」に気づくことの難しさに通じると思います。どちらも被害者意識を捨てることが必要だからです。

AC、依存症、DV、いずれでも原因探しをして他者の責任を追及することは、解決につながりません。ACでも親の影響を直視することはとても大事です(アル中が酒のことを直視するのと同様に)。が、その上でさらに、その結果自分がどんなに「困ったちゃん」になってトラブルを作ってきたか、そういう加害者性を見なければ、「そんな自分を変えていきたい」という動機が生まれず、回復につながりません。

そんなふうに、AC、依存症、DVはお互いよく似ているのです。まあ親戚みたいなもんだし。たいてい同居していますしね。

(つづくかも)

びよーいん

美容院にカットに行きました。
記録によると1月・4月・7月に行ったので、3ヶ月ぐらいの間隔です。
前回少し長めにカットしたので、今回は間隔が2ヶ月と短め(それでも長い方だと思いますけど)。

若い夫婦がやっているお店で、旦那さんがカット、奥さんがシャンプーの担当。こういう店は美容師さんも(ファッション雑誌から抜け出たようなと言わないまでも)それなりの格好が必要なので、出費もかさむだろうな、と余計な心配をしてしまいます。

いつも結構混んでいる店で、予約なしだと待たされるのですが、今回は予約していったのに客は僕一人でした。連休中で遊びに行っている人が多いせいか、給料日前だからか・・・。

お金のことを心配せずに美容院に行ける身分になりたいものです。

ビッグブック分かち合い

隣県から人が来て、お昼から夕方までビッグブックの分かち合い。
いつもならセッションひとつが30分〜1時間ぐらいです。それを一度に7回分ぐらい片づけました。医師の意見から3章まで。さすがに疲れて夕方から少し寝ました。

ひとりで読んでいても分からなかったものが、「ここはこういう意味だよ」と助け船を入れることで、「そうだったのか」とぐわっと理解が広がっていく姿を毎回見ることができます。そういう自分も過去に同じ体験があるわけですが。

初期のクリーブランドのAAで、教室みたいな所にビギナーを何十人と集め、教壇からビッグブックを「教えた」という話があります。これが成功したわけです。ステップが旅だとするなら、ビッグブックは地図であり行き先案内です。旅はその人自身にしかできなくても、道順は「教える」ことが可能です。

ビッグブックで、医師の意見から3章までがステップ1の部分だとすれば、74ページあります。一方12&12ではステップ1は6ページだけ。ほかのステップは結構ページ数があって、ステップ12なんか30ページもあります。でもステップ1は短い。

12&12はビッグブックと話の重複を避けて書かれていますから、ステップ1が短いのはビッグブックに十分述べられていて、それに加えるべきものがなかったからでしょう。実際12&12のステップ1の文章は、あんまり中身がないのです。

ブログの使い方と精神状態

ブログはエントリを書くと、それにコメントやトラックバックが追加されていく仕組みになっています。それをどんな風に使おうが、その人の勝手なのですが、なんとなく傾向がある気がします。

コメントが多いブログは人気のある証拠です。
ところがエントリが追加されずに、コメント欄がまるで掲示板のように賑わっているブログがあります。ブログ主が多忙で、ブログなんか書いているヒマがないというパターンはともかくとして、中にはブログ主が新しい話題をコメント欄で提供し、それを軸に新しい話が展開しているのを見かけたりします。
こうなると、何日もエントリが追加されていないのに、コメントの列が伸びていきます。

で、たいていそうしたブログ主は「お加減が悪い」。つまり精神状態があまりよろしくない印象です。なんででしょうね?

考えるに、新しいエントリを追加するが面倒なので、すこしでも楽をしようと自分もコメント欄で次の話を始めてしまうのか。わずかな面倒でさえ避けたくなるぐらい、精神的エネルギーが尽きているのかもしれない。

ブログの使い方を見ると、その人のリアルな人間関係の有り様も見えてくる気がします。ネットだからリアルとは違う自分になれるというのは、多くの場合幻想です。違う自分を演出するためには、かなりのエネルギーを必要とするのですから。

回復の速度

この雑記に生活感がないのは、たぶん生活に変化がないからです。

さて、回復にどれぐらい時間がかかるか、と聞かれるときがあります。
特に根拠はありませんが、男だったら3〜5年、女だったら5〜7年がメドでしょうと答えています。この数字は、僕がAAに来た頃に聞いた数字ですが、今でも事情は変わらないと思います。
AAメンバーだったら、その間ミーティングに通うことを続け、ステップをやっていれば、就労や人間関係の修復が安定するのが上記の3年〜7年ぐらいかな、という感じです。
ステップは8・9まで済ませるのが大事だと思うようになりました。埋め合わせを通過すると、恐れ、卑屈さ、その裏返しである傲慢さが取れてきて、精神状態や人間関係が安定してきます。それは聖人(理想的な人間)になるという意味じゃなくて、もともと持っていたその人らしい人間性が出てくる感じです。その人間性が好ましいかどうかはまた別問題として。
逆に言えば、そこに至るまではまだまだアルコールの影響が抜けず、アル中的性格に支配されている感じで、個性は陰に隠れてしまっています。ACでアル中という場合には、アル中的性格が主で、AC的性格が従(というか陰に隠れる)なのですが、そのことになかなか気づかないものです。

3〜5年かかると言ったら、うちの息子はもう5年AAに通っていますがまだ良くならないと言われたことがあります。5年の間には良くなる努力を続けたこともあったけれど、飲んだくれて努力を帳消しにしていた時期もあったわけで、プラスマイナスゼロか、病気が進行してかえって悪くなってますよ、と言っても納得されませんでした。

早く回復する手段はないか、と聞かれても、回り道は避けられても近道はないと思います。今回復していたかったら、3年前、5年前に始めているしかなかったわけで、今努力を始めなかったら、3年、5年後に今と同じ後悔をすることになります。

ステップは1から12まで順番にやるのか、できるところからやればいいのか? という話もありました。順番にやるように設計されているのですから、順番にやった方が「おいしい」でしょう。

別に順番にこだわらなくてもいいかもしれませんが、それは例えば、カップラーメンを取り出して乾麺をバリバリ食べ、粉末スープを舐めてから、お湯を飲んで3分待ってみました、みたいな感じかな。
それでも空腹は満たされるから良し、というのならそれでいいのかも。

精神依存温存手段としてのキリンフリー

AAとほぼ同じ頃に誕生したある団体の「回復のための規則」です。

1. 最初の一杯を決して口にしない。
2. 試して飲んでみようとは思わない。
3. アルコール症は病気であることを忘れるな。
4. アルコール症は個人の短所だと思うな。
5. 酒を挑戦だと思うな。
6. 自分には酒が必要でないことを示せ。
7. 他のはけ口を見つけよ。
8. 働き過ぎるな。
9. 適切な人生哲学を持て。
10. 断酒できていることを誇りに思え。

ドン・キホーテのレジ前に電子タバコが陳列してありました。
実際に電子タバコを吸っている同僚の話を聞いたこともあります。当然ながら禁煙のための電子タバコではなく、タバコが吸えない環境での代用品だそうです。そりゃそうだ。

禁煙したければ「タバコみたいな何か」ではなく、ガムでも噛んでいた方がいい。未練たっぷり禁煙草を吸うのもいかがなものか。依存物質を遠ざければ身体依存は減っていきますが、代用品を使っている間は精神依存が温存されるでしょう。

最近は完全ノンアルコールのビール飲料が流行っていますが、あれも電子タバコと同様でしょう。一時的に飲めないときの代用品で、一生飲めない依存症者が手を出す代物じゃありません。

6番の「自分には酒が必要でないこと」を自他に示す、というのは大事なことだと思います。キリンのフリーとか飲んでいる姿は、精神依存の露出でしょうか。

ちなみに禁煙草の依存症というのも報告されています。

乗り物酔い

月曜の夕方、京都駅でみどりの窓口に行ったら「どちらまでいかはれますか?」と聞かれ、おお!ここは京都なのだと実感しました。名古屋駅で乗り換えの待ち時間が30分あり、京都で30分時間をつぶして帰るか、名古屋の駅内で30分待つか、選ぶことになりました。
そこで生八つ橋だけ買って、すぐに新幹線に乗車し、名古屋のエキナカで軽い食事と買い物をしよう・・・と考えたのですが、名古屋駅の改札内にはキヨスクときしめん立ち食いしかありませんでした。なんてこったい。
途中下車で改札を出るためには人がいる改札口を探さねばなりません。エキナカの文化は箱根の峠を越えていないのでしょうか。

珍しくノートパソコンを持参していたので、データ通信カードを使ってネットサーフィンを試みました。名古屋から長野に向かう特急は、木曽谷の中を走っていきます。電波状態が悪く、ときどきデータリンクが途切れます。かんた弁護士のブログが表示されるまで7〜8分を要しました。

振り子電車の中でパソコンの細かい字を読んでいたら、乗り物酔いになってしまいました。やっぱりリニアはBルートにしてもらって、岡谷で乗り換えになったほうが楽でいいかも。

ハッピー?

福岡市で職員が飲酒運転で事故を起こし、子ども3人が死んだのは3年前でした。
それから飲酒者への早期介入プログラム(福岡市方式)が始まりました。その基本は飲酒量を減らすHAPPYという手法です。

HAPPYは Hizen Alcoholism Prevention Program by Yuzuriha(肥前式アルコール依存予防プログラム)の略。Yuzurihaというのは、このプログラムを作った肥前精神医療センターの杠(ゆずりは)という先生の名前の模様。

まずカウンセリングとフォローアップがあり、そして「週に二日の休肝日」と「飲んだ日は飲酒量を記録」が続き、参加者がそれを相互に報告し合うしくみです。

酒を飲んだ量を記録していくだけで効果があるのか? これはあるらしいのです。

アメリカでは節酒を目指すグループ(MM)が活動しています。彼らは日々の飲酒量を記録し、お互いに報告し合います。ネットでも活動していて、日々の飲酒量を世界中に公開しており、以前それを見た時には節酒に苦労している様子がうかがわれました。
それで節酒は実現できたのか? 彼らの多くは節酒を諦めて飲んだくれに戻るか、あるいはAAなどの断酒のグループに移ったそうです。自分の飲酒量を客観的に見つめた結果、節酒ができない現実を知ったわけです。
MMは創始者が飲酒運転で二人を死なせた事故以来下火になったものの、現在でも続いているようです。

HAPPYの場合も、参加者相互で飲酒量を報告するから意味があるのであって、これが上司やらケースワーカーに報告してチェックを受けるという形式だとおそらく役に立たないでしょう。

アメリカでは禁酒法以前にも節酒のグループがありましたが、十数年で消えています。アル中さんが「紳士のように飲む」夢を追いかけるのは、今も昔も変わらないようです。

薬が原因のストレスとうつ

人の脳はストレスを感じると、ストレスホルモンを分泌して、体がストレスに対応できるように準備します。このストレスホルモンは感情には良くなくて、不安が強まったり、抑うつになる効果があります。

さて、アルコールなどの「気持ちよい薬」を摂った時も、同じようにストレスホルモンが出て、気分を落ち込ませます。これはホメオスタシスの機能が働いて、脳がバランスを取ろうとする(気持ちよくなりすぎないように)からだと考えられています。

薬の陶酔感は短時間で消えますが、ストレスホルモンは残り、気分を落ち込ませる力は長く続きます。

ですから気分の落ち込みを感じて、酒で紛らわそうとしても、酔いが醒めた後は、さらに気分が落ち込んでしまいます。気持ちよく酔うためには、さらに多くの酒が必要になり、落ち込みもさらに大きくなっていく・・・アルコールとうつのデフレスパイラルです。

つまり、うつの時に酒を飲むのは、うつを悪化させるだけです。

依存を形成するおよそすべての物質に、この図式はあてはまります。アルコール・覚醒剤・大麻・あへん・精神安定剤・睡眠薬。

もちろん医者は必要があって安定剤などを出しています。それが危険だとは言えません。けれど、安定剤や睡眠薬を「陶酔感を味わうために」つまり酒のかわりに使い出すと、アルコールと同じようにうつを悪化させ、落ち込みやいらだちが強まることになります。
そこで医者に薬を増やしてもらう・・・処方薬乱用者のできあがりです。
薬の影響が昼間も残って仕事に差し支える程度の人もいれば、普段の服用量は適当なのに周期的にODを繰り返すタイプなどいろいろ。いずれも「依存」と言えるレベルなのかはわかりませんが、乱用(abuse)なのは間違いありません。

薬も多すぎれば、うつが悪くなります。
もちろん、少なすぎてもいけないので、難しいところです。
世間でうつの人間は1割程度。アル中でもうつの人はやはり1割程度。残りの9割の人には薬はゼロでいいのです。
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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