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自傷行為について考える

この雑記を何のために書き出したかというと、最初は「心の家路」の集客のためでした。アクセスカウントを稼ぐには、更新頻度が高くないといけません。だから、日記形式で、日々の生活のことでも、考えたこと何でも記録していくことにしました。しかし、やがてアクセス数に関心を失ってしまい、ほとんど自分用のメモ書きとなっています。

考えたことを頭に定着させるためには、書くことが必要です。だから学校でも板書をノートに書き写すわけですし、AAのステップも棚卸しは頭の中ではなく紙に書いて行うのでしょう。この雑記は、僕が見聞きしたことを自分の頭の中に定着させるためにやっているのです。

さてお題。手首を切って自殺、大量服薬で自殺というのがあるので、リストカットや over dose(OD) は死ぬためにやっている(つまり自殺未遂)と解釈されがちです。けれど、死ぬためではなく、死なずに生き残るためにやる人の方がずっと多いのだと思います。

参考:kyupin先生のブログ
リストカット
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10040304313.html
リストカットについての私見
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10329934008.html

ストレスコーピング(精神的緊張を乗り越える手段)としてのリストカット。抜毛癖もこのたぐいかもしれません。

それが外に向かえば暴力癖(間欠性爆発性障害)になるのかも。DV夫は職場では評判が悪くない場合が多いのだそうで、外で受けたストレスを妻に暴力をふるうことで解消しているふしがあります。勉強のストレスで放火癖がでる受験生とか。窃盗癖のある人は、ストレスがかかるとつい万引きしてしまう話を聞いたことがあります。
病的賭博や性的放縦にもストレスコーピングの要素があるのかも。

アル中さんやうつの人もふくめてメンヘル系のブログを数十眺めていますが、子供の頃の虐待(特に性的虐待)の話を読むとげんなりします(精神的ブラクラだから)(でも読む)。そんな風に読む側に覚悟を求めてくるブログの一つがこれです(それに比べればアル中さんたちのブログはヌルい)。

解離性同一性障害(多重人格障害)40余りの人格と共に生きる
その中のエントリで、
大好きだった彼女が

http://ameblo.jp/rin3718/entry-10334698938.html

「300錠以下の量でODしたとは言えない」

というのもすごい話ですが、これはリストカットに Delicate cutter と Coarse cutter があるように、delicate なODと coarse なODの違いなのでしょう。

アルコール依存症は「慢性的自殺」とか「緩慢な自殺」と言われますが、それは自ら臓器にダメージを与え続ける行為からそう言われるのだと思います。実際には、死にたくて飲んでいるのではなく、ストレスに負けずに生き残るために飲んでいるわけです。

自傷行為(時に他害行為も含む)は、何かのメリットがあるからこそするのでしょう。ただそれが局所解(local minimum)であることに気づけずにいる、と思うのでした。
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アル中になりやすい人・なりにくい人

依存物質にはそれぞれ、毒性の強さとは別に、依存のなりやすさの違いがあります。
私たちはコーヒーや紅茶やコーラからカフェインを日常的に摂っていますが、カフェイン依存症になる人はわずかです。カフェインは依存になりにくいのです。一方、タバコを習慣的に吸う人はほぼ全員がニコチン依存になります。ニコチンはきわめて依存になりやすい物質です。アルコールは中間で、習慣的に酒を飲む人の中で依存になる人は約一割とされています(この数字はアメリカの話なので、日本ではもっと少ないかも)。

では、アルコール依存になる人・ならない人の違いは何か?

慢性アルコール中毒が病気だと考えられるようになる前は、酒に溺れるのは不道徳の証だと思われていました。そのころでも「酩酊という不道徳は遺伝する」ことが知られていました。つまり、アル中の子供はアル中になりやすいのです。これは、アルコール依存症に遺伝性があることを示しています。

ただ間違えてはいけないのは、遺伝するのは「病気になりやすい体質」で病気そのものではありません。血友病みたいな遺伝病とは違って、アル中は予防が可能です。酒を飲むから依存症になるのですから、飲まなければ予防できます。
つまり、親がアルコール依存症の人は酒を飲まない方が良いし、自分が依存症本人だという人は子供が成人しても酒を飲まないように教育すべきです。そうすればアルコール依存症は予防できます(他の依存症になる可能性は残りますが)。酒が飲めないのは不憫な気もしますが、どうせ依存症になれば飲めなくなるのですから、最初から飲めない方が苦労が無くてすみます。

遺伝の要素以外に、ストレス耐性という要素が言われています。
それは 1950年に書かれたこの文章 にも書かれていますが、将来アル中になる人は酒を飲むことで「際だった解放感」を得ます。つまり普通の人より「酔いの快感」が大きいと考えられています。人より気持ちいいので、人よりハマりやすいわけです。

酒が好きだから依存症になったという人もいますが、人より酒の快感が強かったので快感物質にハマってしまっただけの話で、その点では覚醒剤でラリっているのりピーと大差ありません。

では、なぜ「人より強く解放感を感じるか」。前の文章によれば、その人の受けているストレスが

「その社会のほかの人々よりはるかに強いか、あるいは彼が、ほかの人たちのようにその緊張をうまく調節する方法を学んでいないか、どちらかの理由による」

というわけです。しかし前者(他の人より強いストレスのせいで依存症になった)という人はまずいないと思います。例えば仕事のストレスが依存症の原因だ主張する人がいますが、ストレスになるほどの激務を毎日大酒を飲みながらこなせるわけがありません。
つまり、ほとんどは後者。ストレスの量は社会の他の人と変わらないものの、ストレスに弱いか、ストレス解消が下手だったわけです。そこへ酒を飲んだら大きな解放感を味わったので、病気になるほどハマってしまったというわけです。

重大なことを目の前にしても、人と夕食を楽しんで熟睡できる人がいます。当然こういう人はストレスに強い。一方、大したことでないのに心配して眠れなくなり、騒がなくてもいいことを騒ぐ人もいます。ストレスに弱く、アル中にもなりやすい人と言えます。

断酒する人の中には、酒に変わる楽しみが欲しいという人もいます。けれど、アル中さんの酒の快感は普通の人より強いのですから、酒より気持ちいいことなんて、そうそう見つかりません。ストレス解消の手段を追求するよりも、なぜ自分は人よりストレスに弱いのか、そのことに取り組むべきなのです。

リベンジ?

あれは16日の金曜日のことでした。
その日僕は神奈川にある本社にでかけ、帰路はいつものとおり小田急から横浜線に乗り、さらに特急に乗るために八王子で乗り換えたのでした。
八王子駅エキナカ、コンコースのトイレ前に Montly Sweets という名の売店があり、いろんなスイーツのアンテナショップが月替わりで入っています。10月は「王様からのご褒美」という店です。この店はロールケーキがお勧めなようで、真ん中にミルクプリンと生クリームが入っているジャージープリンロールと、季節限定のマロンロールの二種類がショーケースの大半を占めていました。

秋だからマロンがおいしそうだが、プリンが入ったロールケーキも捨てがたい。

迷った挙げ句にジャージープリンロールを選択しました。自宅まで3時間近くかかるので、保冷用のバッグ(100円)も購入。

金曜日とあって列車は混み合っていました。町田の駅で指定席を取るのに、いつも窓際のA席かD席を取るのですが、通路側の席しか取れなかった時点で悪い予感がしたのです。実際ほぼ満席で、網棚(といっても網でできてるわけじゃないけど)の上は新宿から乗った客の荷物で占められていました。仕方ないので、かなり座席から離れた場所にケーキを置きました。

特急の終点でローカル私鉄に乗り換えです。乗るのはわずか2駅、数百メートルにすぎませんが、どうせ会社が交通費を支給してくれるので乗らなければ損です(乗らなければ支給されない)。

携帯で調べると、乗り換え時間はわずか3分しかありません。実際は見間違いで、私鉄の乗車時間が3分で、乗り換えは10分以上余裕があったのですが、それは後でわかった話。無論、慌てた僕はケーキを忘れました。

それに気がついたのは私鉄の駅を降りてからでした。JRの駅まで歩いて戻り「先ほど到着の特急に忘れ物をしたのですが」と駅員に伝えると、彼はため息をつき「たいていの特急はこの駅で清掃作業をするのですが、あの列車は他の駅まで行きそちらで清掃されるのです」と言いました。その駅まで往復二千円以上使って自分で取りに行くか、明日荷物が回送されてくるのを待つか・・・。いくら保冷バックに入っていても、ロールケーキは明日まで持ちそうにありません。

諦めて駅前のデパートでショートケーキを買って帰りました。予定より1時間弱遅れて帰宅すると、楽しみにしていたイーグルスのプレーオフ試合は、もう決着がつく頃でした。

そしてこの月曜日。再び本社にでかけた僕は、しっかと紙袋を抱いてJRの特急から私鉄に乗り換えました。その紙袋の中には、ジャージープリンロールと季節限定マロンロールが両方とも入っていたことは言うまでもありません。こうして僕のリベンジはなりました。・・・が、なんか金銭的消耗が大きい気がするのは気のせいでしょうか。
(その間にイーグルスはプレーオフ敗退しているし)。

ミーティング休み

教会の人から電話があったのは、ミーティングの二日前でした。
葬式になるのでその日は会場の部屋を貸せないという連絡でした。教会を借りていると時々そう言うことがあります。結婚式は事前にわかっても、葬式はいつ発生するかわかりません。
そこで、その日のミーティングは中止にすることにしました。うちのグループのメンバーには、ホームグループしか出席していないビギナーはいないので、休みにするとミーティングの間隔が開きすぎるって心配はありません。これは他のグループから来ている連中も同じです。同じ日に別の場所でもミーティングはやっているのですから、そちらに行けば大丈夫。なので、悩まず中止を即断しました。

中止にして困るのはメンバーへの連絡です。あらかじめ休止がわかっていれば、前の回の参加者に伝えることもできるのですが、急な話ではその手は使えません。AAは会員名簿を作らないので、こういう時は個人的な連絡だけが頼りです。女性のメンバーなど連絡先を知らない場合には、わかりそうな人に伝言を頼んでおきました。

あとは、セントラルオフィスにFAXで連絡をし、車に乗り合わせて来てくれる施設の人には電話で伝えました。

それでも中止を知らずに来てしまう人もたまにはいます。当日の30分前には教会隣の駐車場で葬式を眺めながら事情知らずのAAメンバーが来ないか見張っていました。開始時間10分過ぎても、そういう人は現れなかったので、トラブルがなかったことに感謝して帰路についたのでした。

仮スポンシーは病院近くの会場に行き、入院患者の人がたくさん来て新鮮だったと電話をくれました。別のスポンシーは、また別の会場に行き旧交を温めたそうです。休んだら休んだで恵みはあるものなのでありましょう。

嫌悪療法

中国に暮らす人が、妙にマズいタマゴを買ってしまい、調べてみると人工的に作られた偽卵であった、という話がありました。
その偽卵ではなくて、擬卵というものがあります。こちらは食べるものではなく、小鳥に抱かせるプラスチックの丸い塊です。文鳥やカナリヤのメスは交尾しなくても無精卵を生んで暖めてしまうことがあり、それを取り上げるとまた生んでしまいます(ニワトリ状態)。そこでニセ卵を抱かせて卵を産むのを防ぐのに使います。

ヘビは飼ったことがありませんが、生卵が大好きなのだそうです。与えてやると丸飲みし、食道内の突起を使って器用に割ります。ヘビに擬卵を与えると飲み込んでも割ることができず、非常に苦労して吐き出し、もう二度とタマゴを食べようとしなくなる、という話をかなり以前に聞きました。ヘビにもそれだけの知能があるわけです。

同じ理屈をアル中さんの治療に使えないか、と考える人がいるのは当然です。
催吐薬と酒を同時に飲ませます。これを何度も繰り返せば、酒を飲む→吐き気がするという条件反射が作られるはず、という理屈です。嫌悪療法と呼ばれて広く行われた時期もありましたが、現在ではあまり行われていません。ヘビやサルなら効き目があっても、人間は条件反射以外の余計な知恵を使うので役に立たないのです。

けれど、同じような治療は現在の日本でも行われています。
アルコール病棟の入院患者に主治医が「酒を飲ましてやる」と告げます。意地悪な医者だと、患者の酒の好みを聞いてウィスキーやらビールを用意し、おまけに若い看護婦に酌をさせたりします。もちろん酒を飲ませるのが治療ではなく、事前に抗酒剤(アンタビュースやシアナマイド)を処方し、医師が観察しながら飲ませます。
抗酒剤服用後に飲酒すると、アセトアルデヒドの効果で血圧が下がり、動悸が激しく、顔面が硬直、視野は狭窄します。この場合は医者がついているから大丈夫ですが、外でやれば救急車騒ぎになります。

この「飲酒テスト」は名目としては、抗酒剤服用後の飲酒をあらかじめ実体験することで、退院後の危険を減らす目的があります。もう一つは、抗酒剤の処方量の決定のためという名目があります。抗酒剤にも副作用があるので量は少ない方がいいのですが、人によって効き方が違うので少なすぎれば効果がなくなります。

中には飲酒テストを繰り返しやる病院もあるようで、名目はともかくとして実質は嫌悪療法を試みているのだと思います。アルコール病棟に入院しても依存症が治るわけもなく、退院後にすぐ飲酒してしまう患者さんもいます。中には退院直後に酒を買い、酩酊しながら帰宅するツワモノもいます。家族としては高い金を払っての入院なのに、オトーさんが酔って帰ってきたのではたまりません。病院も苦情を避けるために嫌悪療法を試しているのでしょう。

そういう病院を経験した人の話を聞くと、どうやら数ヶ月くらいは効果がありそうな感じです。やはり人間はヘビとは違うのであります。

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「AAの誰もが、まず底をつかなければならない」(12&12 p.33)

回復には底つき体験が必要だと言われます。
では「底つき」とは何なのでしょうか?
僕はこのことに長い間明確な答えを出せずにいました。

「ほかの人と比べると極限まで行き着かなければ底つきの経験ができないアディクトもいる」(NA p.8)

AAの中には、仕事も家族も住む家も失った経験のある人がいます。彼らの経験は壮絶です。健康を極端に害してしまい、薄いお粥のようなものしか食べられない人もいます。福祉施設に暮らし、自分のものはバッグ一つに収まるだけの人もいます。まさに「底」というにふさわしい体験です。

しかし、回復に必要な底つきは、そういう種類とは違うようです。なぜなら、いろいろ失っていないうちから回復を始める人もいるからです。

では「底つき」とは何なのか、もう一度その問いに戻ります。
AAの本の中で「底つき」という言葉は、12&12のステップ1に出てきます。ステップ1はアルコールに対する無力を認めるステップです。「底つき体験」とは「無力を認める体験」そのものです。

ではアルコールに対して無力とはどんな意味なのか?
無力とは「力がゼロ」ということです。自分は酒をやめる能力がゼロであって、自分の能力を頼っていれば(現在は飲まないでいても)いつかは必ず再飲酒する、というのが無力の正体=底つき体験です。

自分は酒をやめる能力がゼロである。この大問題を解決するためには、自分以外の「力」が必要です。その力=自助グループとすれば、AAや断酒会に通い出すことが「底つき体験」ですし、ステップの場合には力=神とするわけです。

はしょって言えば、自力での断酒を諦め、自助グループを信じ出す(あるいはステップを始める)のが「底つき体験」そのものです。(通っていても信じていない場合もありますが、それはまた別の話)。

社会的などん底まで行き着かなくても、まだ失うものが少ないうちに回復が始まることを「底上げ」と呼びます。そりゃ仕事や家族を失わないうちに回復が始まった方が良いに決まっています。ずいぶん前から底上げの必要性が叫ばれていますが、はたして成果が出ているのでしょうか。自己流の断酒をしている人が増えただけの印象です。

AAにいる人たちの多くは自己流の断酒を試み、やがてそれを断念して「底つき」した人たちです。自分には自己流の断酒期間が必要だったと言う人もいますが、単なる時間の無駄だったと言う人もいます。自己流の期間を節約し、早く自助グループにつながることができれば、そのぶん「底上げ」につながります。

医療機関による依存症の早期発見・早期治療によって、断酒を始める人は増えていると思われます。けれど彼らの多くはまず自己流の断酒を試みます。自己流は底つきの時期を人生の後ろにずらす効果しかありません。アル中さんの平均寿命を延ばす効果はあるかもしれませんが、回復時期が後ろにずれるのは人生における苦しみの総量を増やしてしまいます。

早期発見・早期治療が「底上げ」につながっていないのが現状です。

行動を変えることから

元々は弱小球団ヤクルトスワローズのファンだったのです。特に関根潤三のヌルい采配が好きでした。1989年の神宮最終戦では、クラブハウス前の通路に陣取って「野村監督反対!」を叫んでいた一人です(強くなったら面白くないと思ったから)。

が、強くなったらなったで面白く、スワローズのファン以上に野村克也監督のファンになってしまいました。なので、1998年彼が三顧の礼をもって阪神の監督に迎えられると、僕もタイガースファンに鞍替えしてしまいます(阪神では星野優勝の下ごしらえしかできなかったのが残念)。野村監督が楽天イーグルスの監督に就任すると同時に、僕がこの球団のファンになったのは当然です。

彼が選手に野球を教えるのに使う「野村ノート」には、こんな一節があるとテレビでやっていました。(行動が変わればバージョンから少し変化しています)。

『考え方が変われば、習慣が変わる。
 習慣が変われば、人格が変わる。
 人格が変われば、運命が変わる。
 運命が変われば、人生が変わる。』

考え方を変えるが人生を変えることにつながっていく、という話です。
アル中さんたちも、酒でダメになってしまった人生を変えるために、飲酒という習慣を変えよう(断酒)とします。習慣を変えるためには、考え方を変える。つまり、断酒というのは心の問題だと思うわけです。これは間違ってはいません。

間違ってはいないのですが、なぜ多くのアル中さんが習慣を変えること(断酒)に失敗するのでしょう?

それは考え方を変えることは、実は簡単なことではないからです。変えたいという意欲があっても簡単にはなりません。ではどうすればいいか?

「考え方が変わらないのなら、行動(習慣)を変えるしかない」

これが昔からの知恵です。飲んでいる行動を、ミーティングなり例会に行く行動に置き換えろ、というわけです。行動が変われば、それが考え方に波及し、さらにそれが例会以外の日常生活の行動に波及し、やがて人生そのものが変わっていく仕組みです。

自分の人生が良い方に変わっていないのなら、それは家にいる時間が長すぎる、というわけ。

たとえ日本一になっても野村監督は今年で解雇が決まっているそうです。ファンとして残された試合を楽しむほかありません。

効力感

辛い体験をすれば、同じことは繰り返すまいと思うものです。

けれど、これは必ずしも真とは限りません。酒で失敗したアル中さんや、パチンコで有り金をすったギャンブラーは何を思うか? 「次はもっとうまくやろう」であって、酒やギャンブルをやめようとは思いません。

それは「苦しみが足りなからだ」という意見があります。

実際そうである場合も多いのですが、これも必ずしも真とは限りません。
厳罰化で飲酒運転は減りましたが、ゼロになったわけではありません。覚醒剤も同じです。失うものがどんなに大きくても、渇望に囚われた人は依存の対象を手放したがりません。共依存の奥さんがダンナの飲酒を手伝わなくなれば、飲み続ける苦しみは増していきます。けれどダンナは酒をやめません。

これは人が変化するためには、苦しみ(懲罰)だけでは不十分で、別のファクターが必要ということを示しています。「回復しないのは底付きが浅すぎるからだ」という理屈を振り回す人は、他のファクターに気づいていません。その人の説に従えば、極限まで行き着かなければ回復できないことになってしまいます。けれど、あまり失わないうちから真剣に回復を求める人もいます。それはなぜでしょう?

現状維持のデメリットがどんなに大きくても「自分は変われない」と思っている人の選択肢は一つしかありません(現状維持)。

酒をやめる気がなさそうなアル中さんでも、実は自分で何度か酒をやめよう(減らそう)と試した経験があるのが普通です。でもコントロール喪失がこの病気の特徴ですから、節酒や断酒に失敗します。すると、酒をやめられないことを体験から学んでしまいます。

問題があることは分かっている(飲み続けるのは辛い)、けれど変化もできない(酒をやめるのに失敗する)。この板挟みの状態を、人はどうやって打破しようとするか?

それが否認です。自分の酒は大したことがない、女房が大げさに騒いでいるだけだ、と思い直せば、(自分の中で)問題は消失します。問題がなければやめる必要もありません。こうしてディレンマは解消されます。

否認という防衛機制はいろんな形を取ります。

「自助グループに通っても仕方ない。どうせ飲むときは飲むんだから、最後は自分だよ」とか「自分は神を信じられない」とか、あるいは「ステップは酒をやめた後に人格を磨くためにするんだ」とか。

否認を打ち破るために必要なのは「効力感」です。それは「自分もやればできる」という感覚です。不信に陥っている人が効力感を得るのは簡単なことではありませんが、例えば実際に酒をやめている人の姿を見れば、自分にもやめられるという意識が芽生えます。

「真剣にやる気があれば、この友人のようになれるかもしれない。ぼくもなれるだろうか。もちろんだ!」(AA, p.19)

AAの創始者ビル・Wは、友人エビーの回復した姿を見て「自分もやればできる」という効力感を得ました。もしエビーが飲んだくれの残念な姿だったら、ビルも酒をやめようステップをやろうと思わなかったでしょう。

人の回復の手助けをするためには、まず自分が回復していなければならない。当たり前のことなのですが、そのことが分かっていない人も大勢自助グループにいます。回復していない奴に「底付きが足りない」と言われれば、お前にだけは言われたくないと思うでしょう。回復した人は人間的にすばらしい、とは言いませんが、必ず何らかの魅力を発揮しています。

奥さんが共依存行動をやめても、ダンナが酒をやめないのは、断酒会に行かないから、という理屈も分かってもらえたでしょうか。

とはいえ、否認にも至っていない(まだ自分の問題に気づいてもいない)人がいるのも確かで、もう少し苦しんでもらうしか無い場合も多々あります。苦しみと効力感がセットで揃わなければ、人は変わる準備が整わないのです。

11月7日のイベントに行く予定にしております。

非定型うつ病について追加(その2)

日本ではメランコリー型のうつ病も非定型うつ病も区別されない、それはなぜかという話で、非定型に効果のある薬が使えないので区別する必要がないという理由を挙げました。

もう一つの理由は診断基準にあると思います。
メランコリー型・非定型という名前は、DSMに載っているのですが、どちらも「大うつ病」というくくりの中にあります。DSMは病気の原因よりも症状を重視します。原因を探るのは難しい、けれどマニュアルに基づいて症状を観察すれば、客観的基準で診断が下せる、これがアメリカ人の考える合理性なんでしょう。その結果、原因が違っていても抑うつ症状が出ていればうつ病と診断されることになりました。(とはいえ、メランコリー型と非定型の間には、かなり症状の違いがありますが)。

神経症という大きな概念があります。外部のストレス因子で具合が悪くなっているという考え方です。アル中旦那の飲酒(断酒後のドライドランク)のせいで奥さんの具合が悪くなっているのなら、ストレス因子=旦那です。旦那が2〜3ヶ月入院で留守の間は奥さんが元気になるなら、どんぴしゃです。

DSMには神経症という概念がありませんので、この場合なら「適応障害」という病名でしょうかね。(飲んでいようがやめていようが)アル中の配偶者に適応障害のひとは多いはずですが、実際は「うつ」という病名をもらっている人が多いのじゃないでしょうか。こういう人がうつの治療をしても良くならないのは不思議でもなんでもありません。それが離婚の段取りがついたらとたんに改善したりします。

神経症は(診断の)ゴミ箱と言われたことがありました。うつや統合失調や依存症などの鮮やかな症状があるなら診断も簡単ですが、なんだかハッキリしない患者にも病名は与えねばなりません。そんな時に神経症は便利だったというわけです。

その便利なゴミ箱がなくなってしまうと、代わりのゴミ箱が必要になります。それがうつ病だったというわけでしょう。昔だったら神経症と言われた人たちが、今はうつ病と言われ(当然三環系が効かないので)SSRI/SNRIを処方されている。発達障害やら器質性の人も混じっているでしょう。

そんなゴミ箱状態のうつ病の中で、ことさらにメランコリー型・非定型の違いを取り上げて別の病気に仕立てる必要がない、というのが現場の精神科医の意見なのだと思います。

最近ネットや新聞で「非定型うつ病」が取り上げられ目立ってきていますが、実は昔ながらの?非定型の人は少ないのじゃないかと思います。うつ病ではない、つまりメランコリー型でも非定型でもない人たち。それは前述の適応障害や不安障害、気分変調症(軽度の抑うつが長く続く)であったり、林先生の擬態うつ病や、kyupin先生の器質性障害なのでしょう。そういうのをひっくるめて「非定型」と呼ぶから、さらに話はややこしくなります。

遷延性うつ病で苦労していた(いる)身としては、「それはうつじゃねーだろ」と内心ツッコミたくなる場面は多々あります。ましてやその人や家族が酒を飲んでいたとなれば、真っ先に疑うのはアルコールの影響です。

非定型うつ病について追加(その1)

非定型うつ病について以前に書きました。
7/23, 7/24, 7/25, 7/27

これを書いたときは、僕は非定型うつ病を「最近登場してきたうつ病の新ジャンル」と捉えていたのですが、それは誤りでした。非定型うつ病は実は古くから知られた病気で、しかもうつ病とは異なる病気です。

しかし現在の日本では、従来型のうつ病も非定型うつ病も区別はされていません。それはなぜか、ということを中心に、もう一度非定型うつ病について書いてみたいと思います。

元ネタはこちらで、ほかに薬について調べた情報を元に書いています。

DSMでは従来から日本でうつ病と呼んできたものを「メランコリー型」。非定型は「非定型」と呼んでいます(つまりメランコリー型が定型という意味)。

非定型うつ病はMAO阻害剤という薬が効きます。これは第一世代、つまり一番古い抗うつ薬です。

脳の中ではセロトニンやアドレナリン、ドーパミンなどの神経伝達物質(モノアミン)が活躍しています。使用済みの伝達物質はモノアミン酸化酵素(MAO)によって代謝され再利用されます。脳がうつになるのは、モノアミンの調整がうまくいかず、量が少なくなりすぎるからだと考えられています(アミン仮説)。

そこでこのMAOの働きを阻害して、伝達物質が代謝されないようにするのが「MAO阻害剤」です。そして非定型うつ病は、このMAO阻害剤が(ほかの薬や電気けいれん療法よりも)良く効く病気として、すでに1958年に紹介されました。

非定型うつ病がうつ病と似ているが違う病気とされる理由は、ひとつには前に書いたように症状が違うこと。もうひとつは、今回書いたように違う薬が効くことです。違う薬が効くから違う病気、という理屈は乱暴すぎる気がしますが、ある薬が良く効くのであれば、その薬にあった病気の仕組みがあると考えられるわけです。

MAO阻害剤は、元は結核の薬として開発され、やがてうつ病に使われるようになりました。しかし、副作用が強くて使いづらい薬だったために、どちらにも使われなくなり、現在はパーキンソン病の治療にのみ使われています(アメリカでは現在でもうつの治療にも使っている)。

というわけで、日本ではMAO阻害剤をうつの治療に使っていません。非定型うつ病をこの薬で治療した経験のある医者もいないわけです。メランコリー型も非定型も区別せずにほかの薬で治療を行っています。であれば、治療する上で別の病気として区別する必要はないわけです。
しかしメランコリー型が三環系抗うつ薬に良く反応するのに対し、非定型は薬が効かずに遷延化しやすいとされ、適切な治療を受けられていない非定型の人も多いのじゃないか、というのが個人的な考えです。

MAO阻害剤にはAタイプとBタイプがあり、うつに効くのはAタイプなのに、日本ではBタイプのセルギリンしか販売されていません(非定型にMAO阻害剤が効かないという話はここらへんが原因かも)。だから、無理に医者に頼んで処方してもらっても無駄ということでしょう。

しかし薬も進歩するもので、海外ではMAO阻害剤を改良した「可逆的モノアミン酵素タイプA阻害薬(RIMA)」という薬が使われています。

(この話続きます)。
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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