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AAの無名性について

掲示板での暁さんやかんたさんの文章を読んで、AAのアノニミティ(無名性)がいかに誤解されているか分かりました。

ある種の誤解は放置しても構わないと思うのですが、あえて無名性について書こうと思ったのは、Slaying the Dragonに「AAに関する誤解の多くは、AAをよく知らない人たちがAAについて発信した情報が元になっている」という話が載っているからです。また、昨年終わり頃に掲示板で、そうした誤解に基づいた文章を放置することの危険性を指摘する投稿もありました。

だから、これは暁さんやかんたさんに向けての文章ではなく、より広く情報を発信する試みです。なお、誤解が起こったのはこの二方の責任ではないと僕は思っています。AAにとって無名性がそれほど重要ならば、それを積極的に広報すべきです。パンフレットを配っても良いし、ネットで情報を発信してもいい。日本のAAには無名性についてのパンフレットがありますが有料(200円)ですし、ネットで公開して配布コストを抑えているわけでもありません(NY GSOのやり方とは対照的です)。
それは、日本のAAは無名性が誤解されていることをそれほど気にしていない・・・わけではなく、AAの情報発信力が弱いだけの話です。

AAの無名性には二つの意味があります。

ひとつはプライバシーの保護です。ただ、プライバシーを守らねばならないのは、何もAAに限った話ではありません。昔ならいざ知らず、これだけプライバシーという権利への意識が発達した世の中にあって、そのことを強調する必要はありません。
つまり、プライバシーの保護は、いわば常識です。AAの伝統にもそのことは書かれていません。

ではその常識をなぜ強調しなければならないのか。それは飲んでいる人や、まだやめたばかりの人は、プライバシーを強く気にする傾向があり、傷つきやすいからです。AAにはそうした傷つきやすい人たちが集まる場所であり、例えれば「バスケットの中に生卵がたくさん入っている状態」です。強いショックを与えれば、卵がたくさん割れ、バスケット全体が台無しになりかねません。だからこそ、生卵を運ぶときのように衝撃を与えないよう気をつけねばなりません。

精神的な健康を取り戻すと同時に、そうした過剰な傷つきやすさも薄れていきます。人の集まりである以上、うわさ話や陰口がある程度あるのは仕方のないことです。人のやることに自分のコントロールは及ばない、それを「変えられないもの」として受容していくのも回復・成長です。

また、「私たちアルコホーリクは、自己規制力をあまり持たない」(p.126)とあるように、常識を逸脱するほど陰口にふけりやすい人たちだからこそ、あえて常識を強調しなければならない、というアル中特有のちょっと情けない側面もあります。

僕のホームグループはたった数人しかいませんが、僕は皆の本名、住所、電話番号、メールアドレス、およその年齢、出身校、家族構成、過去の出来事などなど知っています。そこには匿名性などというものはありません。ただ、余計なことは言わないとか、余計な詮索はしないという常識があるだけです。

こちらの意味について、僕はアノニミティ(無名性)という言葉は使わず、プライバシーという言葉を使うことにしています。プライバシー=アノニミティ、という誤解を防ぐためです。

では、もう一つの意味。本来の意味でのアノニミティとは。

ひらたく言うと、AAメンバーであることで有名にならない、ということです。だからこそ、anonymityの翻訳に「匿名」ではなく、有名の反対の「無名」が選ばれています。人の集まりにはリーダーがあり、リーダーがその集まりの代表者として対外的に活動し、全体を代弁します。また内部には文字通り指導的な立場となります。そうした立場の人は、時に名前が売れ、人から尊敬を集めることがあり、それを職業とすることもあります。

アル中のリーダーになったところで、世間的なうまみはないんじゃないか、と思うかも知れません。けれど、自助グループではないものの、ダルクの近藤代表を見れば、テレビや新聞雑誌への露出がとても多いことに気づかれるでしょう。本を書いて賞も得ています(サインもらいました)。もちろんダルクはAAでもNAでもないので、そのことに何の問題もありません。

けれど、AAはそういうことをしません。有名人を作り、その人にAAを代弁し情報発信してもらう戦略は採りません。なぜなら初期の頃に、それをやってさんざん失敗したからです。

つまり、AAを一生懸命やっても世間的な賞賛は手に入らない。無名性とは自己犠牲の精神であり、そこに回復や成長があります。それはまた、ハイヤーパワー(神)の前でのメンバーの平等を意味します。

であるからこそ、AAメンバーであることを明らかにして、インターネットというメディアを使って情報発信している僕には、AAの中で風当たりが強いことがあります。「彼はネットでのセレブリティ(有名人)である」という批判をもろに受けます。無名性や自己犠牲の精神に反しているというわけです。

もちろん、無名性について決められた原則、メディアでは本名や顔写真を出さない、に従っていますし、これを職業として金銭を得ているわけでもないので、多くのメンバーは好意的とまでは言わないまでも、無関心中立でいてくれてます。情報発信の少ないAAにとって貴重だと励ましてくれる人もいます。人が僕をどう評価するか、それも僕には力の及ばないことです。

AAに来たばかりの人は、恐れと不安で一杯であり、自分のことはなるべく知られたくないと思っています。人からマイナスの評価を受けることを過度に恐れており、うわさ話に敏感になっています。プライバシーの漏洩に敏感なのではなく、マイナスの評価への恐怖があるのです。

僕らがその人たちに「大丈夫、心配いらないよ」と言ってあげられるのは、AAにアノニミティ(無名性)があるから「ではなく」、僕ら自身がAAに来たときに同じように感じていたからこそ、その不安に共感し、思いやりを持つことができるからです。

そのような配慮を示せるほど余裕にある人ばかりがAAにいるわけではありません。回復途上の人たちもいます(ある意味メンバー全員が回復途上とも言えますが、それは別の話)。AAは回復したメンバーだけで構成されることは永遠にない、常に未完成であり続ける団体です。そうである以上、プライバシーのことで常に傷つく人が出てきてしまう。しかし回復した人たちばかりの集まりになったら、それはもうAAではありません。その逆説が「AAらしさ」でもあります。
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DSM-5ドラフト

DSM-5のドラフトが公開され、フィールド・トライアルが始まっています。

精神疾患の新しい診断指針が提案される-DSM改訂案
http://news.e-expo.net/world/2010/02/post-116.html

New Diagnostic Guidelines for Mental Illnesses Proposed
http://www.healthday.com/Article.asp?AID=635867

APA DSM-5
http://www.dsm5.org/

英語なので詳しく読む気になれないのですが、気になったポイントだけ。

厳密で不変だった区分をやめ、複数の疾患にまたがる(共通する?)症状を診断基準に含めることによって「次元的評価(dimensional assessments)」を行うようにする。また重症度を定量化する手段を設けることで、治療が効果を上げているかどうか判断できるようになります。

(例えばアルコールの診断基準で2~3項目当てはまれば軽症、4項目以上だと重症)。

・自閉症、アスペルガー症候群などが一つの「自閉症スペクトラム障害」にまとまる。現在の学習障害(読字障害 dyslexia・計算力障害 dyscalculia)と知的障害・精神遅滞が一つにまとめられて「学習障害(learning disabilities)」となる。

・物質乱用(substance abuse)と物質依存(substance dependence)の区別がなくなり、中毒(addiction)および関連障害という一つにまとめられます。

これによってDSM-IVの「アルコール依存症(Alcohol Dependence)」という病名がなくなり、「アルコール使用障害(Alcohol-Use Disorder)」になります。いずれ日本での病名の変更につながるかもしれません。

さらに生理的依存(身体的依存のことかな?)が形成されている・いない、というカテゴリわけが追加されます。

雑多な断薬症候群(miscellaneous discontinuation syndrome)という項目が新設され、ここには退薬による正常な反応も含む(カフェインの離脱による症状など)とされています。向精神薬の正常な退薬症状もここに入るのかも。

・新たに「行動中毒(behavioral addictions)」という分野が新設されますが、当面含まれるのはギャンブルだけです。セックス中毒とインターネット中毒については付録(appendix)に加えられたのみです。

セックス中毒については、その存在を示す科学的エビデンスがまだ不十分だというのがその根拠で、逆に言うとギャンブルには証拠が揃ったわけです。インターネット中毒については真剣に検討された結果、研究活動を刺激するためにセックスとともに付録に付け加えたとのことです。

・新たに「リスク症候群」というのが加えられ、将来精神病や痴呆になるリスクのある人たちがここにカテゴライズされます。

いわゆるプレってやつ?

・気分障害に「気分不快症を伴う気分調節障害(temper dysregulation with dysphoria、TDD)」が追加。TDDには行動傷害と気分障害が含まれ、むやみに双極性障害(躁うつ病)の診断が増えるのを防ぐねらいがあるそうです。

年末に掲示板を騒がせた自称軽症アル中のおじさんも、ここに入るのでしょう(本人はうつ病だと言っていたけど)。非定型うつ病とか、?U型の躁うつ病とされている人たちの中にはTDDに移行する人も多そうです。

・摂食障害(eating disorder)に「むちゃ食い(binge eating)」が追加。

DSM-5は今後フィールド・トライアルの結果が反映され、2013年5月に発行される予定です。

行動が先か、考え方が先か

回復とはつまり変化です。回復したかったら変化するしかありません。

しかし、何を変えればいいのか? 考え方か、行動か。

人は自分の考えに従って行動します。その行動を選んだ判断や動機があるはずです。だから、まず変えるのは考え方なのかもしれません。

そう思って、まず考え方を変えようと思う人はたくさんいます。しかし、その多くは失敗します。「変えようと思った自分」に満足してしまい、実際に自分が変わったかどうかには目をつぶってしまいます。

有効な手段は、(考え方が変わらなくても構わないので)行動を変えることです。

ミーティングや例会に通うことに意味を感じない人はたくさんいます。それは考え方が変わっていないからです。しかし、思考が変わっていなくても構わないので、いままで通っていなかったものに通う、という行動の変化を起こすわけです。その後に、ようやく考え方がゆっくりと変化していきます。認知が変化するまで、行動の変化を維持することが大事です。

昔の日本のAAでは、本を読むと回復しないと言われました。本を読んで考え方を変えようとしても無駄だから、ひたすらミーティングに通えというわけです。滅多やたらと行動主義的ですが、それはそれなりに意味があったのだと思います。

もちろん行動主義一辺倒にも問題があるので、AAにいろいろ変化が訪れたわけですが、ともかく、考え方の変化と、行動の変化とどちらが先に起こるかと言われたら、

そりゃ行動の変化が先に決まっている。

ということは肝に銘じておいて欲しいことです。
この行動の変化はかなり無理矢理に強制されたものでも構いません。家族に促されて嫌々ながら断酒例会に通っている人にも、やがて心の変化が起こるわけです。

考え方の変化→行動の変化、ではなく、行動の変化→考え方、感じ方の変化です。

車輪の再発明

車輪は人類最大の発明かもしれません。
車輪は自動車にも、鉄道にも使われていますし、飛行機や自転車にも使われています。家具の下にもついています。もし車輪がなかったら、ものを移動したり輸送するのに大変な労力が必要になり、文明はここまで進歩しなかったでしょう。

車輪が発明されたのは太古の昔で、人類はずっとその恩恵に与ってきました。もし誰かが、車輪をもう一度発明しなおしたとしたら、その人は偉大な発明家として人類史に名を残すでしょうか? いや、どこでも手に入るものを再発明したバカと言われるだけでしょう。

このように、車輪の再発明には意味がありません。

さて、Joe McQは12ステップ(酒のやめ方)をチーズケーキのレシピに例えました。僕はチーズケーキの作り方は知りませんが、レシピを手に入れて、その通りに作ればたぶんチーズケーキ(っぽいもの)は出来るでしょう。おいしいチーズケーキにはならないかもしれません。でもともかく食べられるものはできるはずです。

しかし、レシピに頼らず、自分でチーズケーキを作ってみることもできます。

材料は何が必要でしょうか。チーズケーキっていうぐらいだから、チーズはいるよね。あとはタマゴと小麦粉と牛乳と砂糖と塩ぐらいか。これを適当に混ぜ合わせて、適当な温度でオーブンで焼けばできあがり。・・・でも何が「適当」なのか僕は知りません。

どんなチーズがいるの? 材料の分量は? どの順番で混ぜるの? 下ごしらえは? オーブンは何度で何分にセットするの?

わかんないのでテキトーにやってみると、出来上がったものは、たぶんチーズケーキとは似てもにつかない失敗作でしょう。けれど、それにメゲずに、何度も何度も試していけば、いつかはおいしいチーズケーキが焼けるようになるかもしれません。しかし、それまで何ヶ月、何年かかることか。

自己流の断酒を試みる人がいます。これもチーズケーキと同じです。世の中には断酒の手段として確立している方法があります。AAであればステップだし、断酒会であれば例会参加でしょうか。そういうレシピに頼らず、自分で断酒の方法を編み出そうという人もいます。

チーズケーキだったら、一日に何度も焼いて試せます(一日に何度も失敗できる)。けれど断酒はそうはいきません。自己流(自分で考えたレシピ)が失敗だとわかるのは、断酒が3ヶ月続いたあとかもしれず、3年あるいは13年続いた後かも知れません。そうやって、長いスパンで失敗を繰り返しながら、もし仮にいつか自己流の断酒レシピが完成したとしても、それまでに10年、20年すぎてしまいます。いや、最終的に断酒を達成できない可能性のほうが高いわけです。

車輪やチーズケーキの再発明がバカらしいように、断酒法の再発明ほどバカらしいものもないと思うのです。

自己流のチーズケーキにこだわりたいのだったら、まずレシピ通りに作れるようになってから、それをアレンジすればいいわけです。そのほうが、時間の節約になるし、好きなことに一生を使えます。AAや断酒会でレシピ通りに作るやり方を憶えて、後の人生は好きなことをやればいいと思うんですけど。

自己流断酒にこだわって、断酒に一生を費やすなんて・・・。僕にはとても出来ません。人生は楽しまなくちゃ。

自閉症スペクトラム指数(AQ)日本語版

「この自閉症スペクトラムという概念の妥当性を検討するためには、成人の高機能自閉症者やアスペルガー症候群の人が一般健常人に比べて明らかに高得点を示すような、自閉性障害の症状の特徴とされるような社会的・コミュニケーションに関する問題からなる尺度を構成し、その尺度(すなわちそれが自閉症スペクトラム次元となる)上に、健常な知能を持つ一般成人もその傾向の程度に従って一定の分布をすることを示すことが求められる」

「以上のように、日本語版AQは成人のアスペルガー症候群や高機能自閉症をスクリーニングするための簡便な診断ツールとして有効であるとともに、健常者の自閉症傾向の個人差を測定することが可能な尺度である。また心理学的測定尺度としても、再検査法や内的一貫性、さらには他者評定と自己評定の結果の比較などから高い信頼性が確認されている」

自閉症スペクトラム指数(AQ)自己診断テスト
http://www.the-fortuneteller.com/asperger/aq-j.html

以下はひいらぎの結果。

> 自己診断テスト得点計算結果
>
> あなたの得点は14点です。
> 社会的スキル
>  3点
> 注意の切り替え
>  6点
> 細部への注意
>  0点
> コミュニケーション
>  1点
> 想像力
>  4点
>
> 閾値内に収まっています。

平均点を大きく上回っているのは、注意の切り替えか。実際日常生活でも不便を感じていることがそのままスコアに出ました。あとは、社会的スキルと想像力が平均を少し越えています。
(これらはいずれも「〜の欠如」という意味なので得点が高いほど良くないわけです)

健常者の平均点は20前後、標準偏差6程度の正規分布となります。カットオフは33点。

前向きに見捨てる

第7章の文章に疑問があります。

日本語版だとp.139、英語版ならp.96。

One of our Fellowship failed entirely with his first half dozen prospects.
「私たちの仲間の一人は、かかわりをもった最初の六人全員に見事に失敗した」

この人物とはビル・Wその人なのだそうです。

He often says that if he had continued to work on them, he might have deprived many others, who have since recovered, of their chance.
「彼は、もし自分がそのまま彼らにかかりっきりになっていたら、ほかの多くの人たちの回復のチャンスを奪ってしまっていたかもしれないと言う。幸い、彼らはその後回復している」

この文章だと、最初の六人もその後には回復したとも読めてしまいます。そうなると、すぐに回復する見込みがなさそうだからといって、苦しんでいるアルコホーリクを見捨ててはいけない、という教訓になってしまいます。

けれど、原文の意味は、最初の六人を追いかけ回して時間を無駄にせず、彼らを見捨てたからこそ、他の人たちを助ける余裕が生まれたと言っているわけです。

日本語版初版(P神父の訳)ではこうなっています。
「もしも彼がこの人たちへの働きかけを続けていたら、それ以後回復したたくさんの他の人たちから、チャンスを奪うことになったろう、と彼はしばしば語っている」

それが単なる「時間の無駄」なら、被害を被るのは助けようとした自分だけです。けれど、自分の持っているエネルギーや時間には限りがあるのですから、それを無駄にすることは、他の仲間の回復のチャンスを減らしてしまうことになります。

前向きな反応の見られない人は積極的に見捨てていくことが必要なのでしょう。「一人にしておけば、そのうち一人では回復できないことを納得するはずだ」というのが真理なのですから。

結局最初の六人がその後助かったのかどうかはビッグブックの文章からはわかりません。きっと助からなかったのだろうな、とは思うのですけれど。

「酒をやめる」の意味

伝統3によれば、AAメンバーになるための資格は「飲酒をやめたいという願い(a desire to stop drinking)」だけだそうです。序文にも同じ言葉が書かれています。

AAの本を読むときに気をつけなければならないのは、「酒をやめる」という言葉の意味です。

例えば、この文章を読んでいる人のほとんどは、今日は朝から酒を飲んでいないに違いありません。今日一日は酒を飲んでいないのですから、今日は酒をやめられているのです。すでに実現できていることを、願望として持つ人はいません。つまり、あなたはAAに参加する資格を失っています。

でも、そうではない。AAには酒を飲んでいない人がたくさんいます。となると、つまり(AAでは)酒を飲んでいないだけでは、「酒をやめた」ことにならないのです。例え何ヶ月、何年飲んでいなかろうと、それだけでは「まだやめてない人」なわけです。

十年ほど前に、十三年間飲んでいなかったAAメンバーが再飲酒しAAを去りました。それを聞いた人たちはこう言いました。

「彼は酒をやめられていなかったからね」

そう言われたのは、彼が十三年やめていても最後に飲んでしまったからではありません。いつ飲んでもおかしくない危険な状態がずっと続いていたからです。

AAの言う「酒をやめる」は、再飲酒の危険がない状態が実現し、それが維持されていることを意味しています。recovering(回復中)ではなくrecovered(回復した)、あるいはex-alcoholic(元アルコホーリック)という言葉を使いたがる人たちがいるのも、そのせいでしょう。僕は回復が完了したという考え方には賛成できませんが、そういう考え方を否定しようとは思いません。

その状態を維持する努力を怠れば、やがては元の危険な状態に戻り、最終的には再飲酒ってことにもなりかねません。つまり厳密な意味で「酒をやめられた」人はAAにだっていないわけです。だからこそ、やめた人にもAAへの参加資格があります。
けれど、実用上の意味で「酒をやめられた人」はAAにたくさんいます。

となると、AAには

・酒をやめられた人
・酒を飲んでいないけれど、まだやめられてない人
・飲みながらAAに来ている人

が混じっていることになります。

自然とのつながり

正月明けから寒い天気が続いていたものの、一月後半は少し暖かい日が続き、そのまま暖かくなるのかと思ったら、先週後半から週末にかけてずいぶん寒い日々でした。

スポンシーから毎日電話をもらっています。
大したことは話していません。ミーティングや例会に行ったかどうか。そこでどんな話をしたか。体調や心の調子。ちょっとした相談など。たいてい数分、長くても10分ほどでしょう。

面白い(?)ことに、「今日は調子が悪いです」と言われるときは、天気図で前線が通過している日が多いのです。雨や雪が降ったか、降らないまでもどんよりと曇っている日です。体調というのは、ずいぶん天気に左右されやすいんですね。

僕自身も、天気の悪い日は体調も何となく悪く、朝起きたときに布団から出づらかったり、仕事のノリが悪かったり、かといってサボってどこかに遊びに行きたい気分でもなし、なんとなく頑張れないままに一日終わってしまうこともあります。

ところが安定剤を多めに使っていた頃は、気分が天候にあまり左右されませんでした。(それどころか雨の日の方が気分が落ち着いた気もします)。おそらく、安定剤の作用によって感覚が鈍麻していたのでしょう。もちろん酒を飲んでいた頃は、外が晴れていようが雨が降っていようが気にもなりませんでした。睡眠薬や安定剤、それになによりアルコールという「ダウナー系薬物」ってのは、人間の内部と、外とのつながりを遮断してしまうのかもしれません(だからこそ、気分が落ち着く)。

これから春になっていく季節、暖かい日と寒い日が繰り返されます。こうした寒暖の差によって体調や心の調子を崩してしまう人も珍しくありません。だがそれも「しらふだからこそ」です。スポンシーはそれになかなか気づかないようで、調子を崩すのは何か悪いことではないかと心配しがちなのです。酒も薬も断ったがゆえに乱調がやってくる。大いに結構なことです。だんだんその波も治まっていくので、心配することはありません。

スポンサーの言うこと

AAにはスポンサーシップという仕組みがあり、経験の長い人がスポンサーとして、新しく来た人(スポンシー)の面倒を見ていきます。

スポンサーの与えるアドバイスの質が、スポンシーのソブラエティの質を決めているのは間違いありません。だから、スポンサーはなるべく良いアドバイスを与えねばならないのは当然です。AAメンバーの話を聞いていると、ときどきスポンサーからとんでもないアドバイスを受けている、としか思えない時もあります。

けれど、僕は他の人のスポンサーシップに口を挟むことは滅多にありません。誰がどんなアドバイスをしていようと、僕に迷惑が及んでくることは滅多にありません。逆に言うと、スポンシーがよそへ行って余計なアドバイスをもらってくると面倒なことになる場合もあります。あまり誰かのスポンサーに(間接的にはそのスポンシーの回復に)迷惑をかけたくないのです。何かを言いたければ、スポンサーの方に言えばいいわけですし。

僕も回復が足りなかった頃には、共依存的に境界線を越えて人のスポンサーシップに口をはさんだこともしばしばありましたが、何度か痛い思いをして学んだわけです。

AAスポンサーがスポンシーに間違ったアドバイスをすることも、当然あります。けれど、「それは間違ったアドバイスだ」と思っている僕が間違っているのかも知れません。

それに何よりも大切なことは、正しかろうと間違っていようと、スポンサーのアドバイスに従うことです。というのも、回復は新しい考えを身につけることだからです。そのためには、自分の古い考えを捨て、新しい(他からの)考えを自分に入れる習慣を身につけねばなりません。

新しい考え方は、古い自分の考え方からすればしばしば「間違っている」ように感じられます。そう思えても、自分の中に入れてみることが大切で、スポンサーのアドバイスが本当に正しいか間違っているかは、回復にとってそれほど重要なことではありません。

とは言うものの、現実に例外はありますから、スポンサーの方に「ちょっとそれはマズいんではないか」と伝えなければならないこともあるでしょう。だから、スポンシーの人にとって重要なのは、「自分のスポンサーが誰か」ということを明らかにしておくことです。言うのが恥ずかしいスポンサーってこともないでしょう。

自分のスポンシーに「スポンサーが誰か」を伏せるようにアドバイスするスポンサーというのは、僕としては疑問の残るやり方なのですが、だからといって口を挟むこともしないわけです。

ひさしぶりに更新をしました。

RDPワークショップ参加

ジョー・マキュー(Joe McQ)はアメリカのアーカンソー州リトルロックのAAメンバーでした(州で最初に回復した黒人のAAメンバーだそうです)。彼は1973年にアラノンのコンベンションにスピーカーとして招かれたチャーリー・Pと出会います。ちなみにチャーリーは白人のAAメンバーです。

お互いにビッグブックに関心を持っていることがわかると、二人は親しい友人になり、225マイル(360Km)離れていたにもかかわらずお互いの家を訪問しあい、ビッグブックについて自分が学んだことのメモを持ち寄り、理解を深めていきました。

彼らは各地で行われるAAのカンファレンスに参加する際にも、ホテルの一室で分かち合いを続けたのですが、ある時トニーというメンバーがそこに加わりました。そして次第に加わるメンバーが増え、カンファレンスのたびにホテルの一室でビッグブックを使った非公式のステップミーティングが行われるようになりました。

この「ジョー・アンド・チャーリーのビッグブック・スタディ」というスピーカーミーティングは年に約8回行われていましたが、1977年にこれがテープに録音されました。1980年にウェスレイという人が、このテープをAAの国際コンベンションで配ったところ、これが実に好評で、あっという間に全米に広がりました。

もともとAAイベントのスピーカーとして招かれることの多かったジョーですが、これ以降チャーリーと二人に「ビッグブック・スタディ」の依頼が全米から来るようになります。彼らは以降二十数年間に渡ってこれを続け、アメリカとカナダのすべての州、オーストラリア・ニュージーランド・イングランド・スコットランド・アイルランド・ドイツ・スイス・オランダ・アイスランドで週末のビッグブック・スタディを行いました。

これがAA共同体に与えたインパクトは強烈で、英語圏のAAメンバーに「あなたはどんなふうに12ステップをやったか?」と尋ねると、「ジョー・アンド・チャーリーのやり方で」という答えがしばしば返ってくるのです。

この二人のビッグブック・スタディは1999年が最後になり、しかもジョーは2007年に亡くなってしまったのですが、「もう一人のジョー(Joe McC)」というやっぱり黒人のメンバーによって、今でもジョー・アンド・チャーリーは続けられているそうです。

この二人は本も書いており、ジョーの書いた本のうち2冊はすでに日本で出版されています。

さて、ジョーはリトルロックにあった治療施設に1970年代から関わるようになり、そこでもジョー・アンド・チャーリーのやり方を応用していくのですが、施設という制約の中で12ステップをクライアントに効率的に伝える方法として「リカバリー・ダイナミクス(RDP)」という治療プログラムを開発します。

今回奈良ダルクの招きでジョーの後継者のラリー所長が来日し、RDPの講習会が行われたので参加してきました。土曜朝からだったので、金曜晩のミーティングを済ませてから車で移動し車中泊、という中年には無茶なことをしてしまい、疲れが取れず居眠りをするかも、と心配だったのですが、大変に中身が濃く、二日間集中を続けてぐったり疲れて帰ってきました。

大学ノートにこんなにたくさんメモを取ったのは何年ぶりだよ、と自分でもビックリです(それだけ勉強嫌いなんです)。それにしてもあれだけ金を払ったのにメモのひとつも取らない人って、何を考えているんだろうね。

それと英語だと通訳の品質が心配だったのですが、今回通訳をしてくださった方は回復の用語にも詳しくてとてもわかりく、本当に助かりました。

宿舎では国内の回復施設のスタッフの方と一緒になり、一時間ほど話を聞かせて頂きました。当然施設のスタッフ向けのプログラムだったのですが、いろんなグループから自分のスポンサーシップの参考にしたいというメンバーが参加していました。

得がたい機会を作ってくださった皆さんに感謝。僕は今後とも回復の分野で仕事をする予定はありませんが、今回得た知識を自分の回復と、スポンサーとしての活動に生かして経験を積み重ねていきたいと思います。

ともかくこの業界(?)は、知識と経験の少ない者が、より多く持つ者からそれを渡してもらうことで動いています。5年経ち、10年経てばもう学ぶべきことがなくなるわけじゃなくて、ますます得るべきもの、やるべきことが増えてくる感じです。回復を始めたばかりは万能感に満ちていますが、年を経るごとにいかに自分の知ることが少ないかを知っていくわけです。

いままでのスポンシーにも、改めて機会を作って今回僕が得たものを渡し直さなくてはと思っています(が、どうせずるずると先に延びるんでしょうな)。
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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