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治癒はないが回復はある。では回復とは?

アルコール依存症における治癒(cure)とは、飲酒がコントロールできるようになることを意味するのでしょう。ホワイト先生の『米国アディクション列伝』という本を読むと、アメリカではこの治癒を実現する様々な治療法が編み出されましたが、すべて歴史の中に消えていきました。数少ない事例ではうまくいっても、その手段が公表され多数に試されると、とたんにその有効性が失われてしまう・・・まるで競馬の必勝法のようなものです。結果として、今のところ依存症を治癒させる方法はない、という考え方がコンセンサスを得ています。

「唯一の解決法は、まったく飲まないことしかないと言わざるをえない」(AA, p.xxxviii)

「治癒(cure)はないが、回復(recovery)することはできる」という言葉を使い出したのは、AAの創始者の一人ドクター・ボブと一緒に活動した看護婦シスター・イグナシアだそうです。

アルコール依存症者が正常な飲酒に戻れる(つまり治癒可能)というのは、当時根強く残っていた偏見です。この偏見は現在もあります。この偏見を解かなければ、依存症者は正常な飲酒に戻ろうと再飲酒を繰り返してしまいます。「治癒は不可能だが、回復は可能」というのは、偏見を脱学習させるために彼女が考え出した表現ということです。それが世界中に広がり、現在でも使われています。

では、その「回復」とは何でしょうか?

思い出して頂きたいのは、ドクター・ボブやシスター・イグナシアが入院患者に施していたのは「12ステップ」という治療法だったことです。つまり彼らの言う「回復」とは、12ステップによって霊的な経験を経た結果、再飲酒の可能性を心配しなくて良くなった状態を指しています。

「再飲酒に対する心配をしなくて良い状態」という話をすると長くなりますから、AAのA類常任理事をされた大河原先生が書いた文章があるので、そちらを参考にしてください。
http://aajso.web.infoseek.co.jp/newsletter/n141.pdf

アル中が酒をやめていても、例えばこんなことをしたらその人が再飲酒してしまうのではないか・・飲まれてしまうと後々いろいろと面倒だから、それを避けるために周囲の人がいろいろと配慮を積み重ねる必要があるならば、それはまだ「回復」とか「酒がやめられた状態」とは言いにくいものです。

AAを始めた人たちは、その状態が霊的な経験を経ることによってもたらされると考えていました。ただし、霊的経験を得る手段が12ステップしかないとは言いませんでしたが。(しかしながら、なぜに12ステップが良いのか、という話はまた別の機会に)。

さらには、その「回復」は一度実現すれば自動的に一生保たれるものではありません。メンテナンスが必要であり、それを怠れば回復は衰えていき、しまいには再飲酒が起こりえます。

そんなふうに、AAの人たちが「回復」という言葉を使い出したときには、その意味はかなり限定されたものでした。しかし、時代を経るとその言葉の意味も拡散していきました。もはや回復とは何か、すべてを包括して定義することなどできなくなっています。AAにはAAの回復の定義がありますが、例えば一人で断酒している人にはその人なりの回復の定義があるのでしょう。

そうなると、回復とは「何でもあり」であり、自分が回復したと言えば回復したことになってしまうわけです。それはそれで構わないのかも知れません。しかし、アルコール依存症のケアに長くたずさわっている人たは、「回復とは何か」について言語化しづらい何らかのイメージ(回復像とでも言うもの)を持っており、それは人に寄らずある程度共通していると言えます。それに合致しているかどうかで、回復している・していないが判断されるのも確かなことです。

結局のところ、回復とは何かを知るためには、自分が回復してみるのが一番であるし、また自分が依存症でなくても依存症の人の回復に長く付き合えば自然と分かってくるものだと思います。
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テーマ : メンタルヘルス・心理学
ジャンル : 心と身体

アディクションと知能

依存症と知能との関係については、あまり語られることがありません。
ぶっちゃけ「アディクションになる人は頭が悪いのではないか?」というビミョーな話題は取り扱うのが難しいのです。知能の高い・低いは個人の属性であり、時に人の劣等感を刺激するからです。

人はいろんなものに劣等感を感じます。身長、収入、出生地・・などなど。エキサイトのコラムなのであまり真に受けられても困りますが、最近の若者は「男女を問わず、“容姿に自信がある人”ほど将来への希望があり、“容姿に自信がない人”ほど、将来への希望を持っていない」のだそうです。これは容姿が劣等感に結びついているのでしょう。
http://www.excite.co.jp/News/love/E1311062053190.html

タバコを吸う人は非喫煙者に比べて知能指数が低い・・という調査がありました。
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20100409
この元ネタには、低IQの人は肥満や栄養障害や薬物依存になりやすいとあります。

法務省の作る「矯正統計」は刑務所の受刑者に関する統計です。新規受刑者の知能検査の統計もあります。2006〜2009年のデータから、罪名が麻薬か覚醒剤の人のデータを拾い出し、ざっくり知能指数(IQ)の平均を計算すると85ぐらいになります。IQというのは平均が100になるようになっているので、85というのは標準偏差で-1ぐらい。かなり低い値です。

知能検査は、検査する人とされる人の間にラポール(親和関係)が成立していることが前提です。受刑者が検査者に対して「信頼したくない、協力したくない」という感情を持てば、IQの数字は低く出ます。そして、刑務所という環境はラポールが形成しづらい環境には違いありません。

さらに言えば、薬物事犯に限らず全新規受刑者の平均はIQ=75程度になり、それに比べれば薬の人の85というのは高いとも言えます。

・・ということもいろいろあるものの、少なくとも物質系の依存と低知能の間には何らかの関連がありそうだという感触はあります。

たとえば都道府県や市町村が行政サービスを設計するときに、サービスの受益者が全員同じ能力を備えている(例えばIQ=100であるとか)という前提に立つと、そのサービスを利用しづらい人が出てきてしまいます。知的なハンディキャップを備えた人が不利益を被らないように設計することが望ましいのです。

それはアディクションからの回復についても言えることで、それぞれの特性に応じた個別設計が必要であり、みんながまったく同じプログラムに取り組むという仕組みにはなりません。

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三種類の酒飲み

ビッグブックのp.31〜33では、酒飲みを3種類に分類しています。

・ほどほどの酒飲み(moderate drinkers)
・大酒飲み(hard drinker)
・本物のアルコホーリク(real alcoholic)

酒を飲む人の9割は「ほどほどの酒飲み」で、酒に関して問題はありません。

「大酒飲み」は、「徐々に身体も心もむしばまれていくような、たちの悪い飲み方をする」とあります。そのせいで寿命が縮んでしまうこともあるが、重大な危機に直面すれば、まだ酒をやめるか控えることもできる人たちです。もちろん、そのために医療を受ける必要がある人もいます。中には精神病院に入院するはめになった人もいるでしょう。

最後の「本物のアルコホーリク」というのが、AAが対象としている人たちです。AAは、本物のアルコホーリクは病気であり、意志の力で酒をやめることはできず、回復するためには霊的な体験をする必要があると言っています。そして、その体験を得るための手段はいろいろあるでしょうが、その一つが12のステップです。

ここで気をつけなければならないのは、「アルコール依存症」の人が全員「本物のアルコホーリク」とは限らないということです。「アルコール依存症」というのは医療が付ける病名です。一方で、AAは「本物のアルコホーリク」という別の概念を使っています。だから、この両者の間にズレが生じることもあります。

医者は医者の基準で「アルコール依存症」という診断を下します。だから、その中には「本物のアルコホーリク」ではない、単なる「大酒飲み」も含まれていることでしょう。そういう人たちもAAにやってきます。AAは「酒をやめたいという願望」を持った人であればウェルカムであり、医者の診断すら必要ではありません。そうなると、AAの中に「大酒飲み」と「本物のアルコホーリク」が混在することになります。

「大酒飲み」の人たちは12ステップをやらなくても酒をやめていけます。彼らは「仲間の支え」などによって安定して酒をやめていくでしょう。意志の力でやめることもできるかもしれません。一方、「本物」の人たちはステップを経験しなければ、待っているのは再飲酒だけです。AAの中には真面目にミーティングに来ているのにしょっちゅう再飲酒を繰り返す人もいれば、大した努力もしていないのに安定して酒をやめ続ける人もいます。この違いにも関係しているかも知れません。

本物と大酒飲みの間には体験にズレがあるため、共有できるものが少なくなります。だから、AAをやっていても喜びが少なく、何年かすればAAから去っていってしまいます。しかもそれで飲まないでいることもできます。だが皆がAAから去るとは限らないようです。

「私はステップをちゃんとやっていなくても、私は○年間飲まずにいるのだから、私は回復しているはずだ」という人がいます。

単なる「大酒飲み」であっても医者に依存症と言われたのなら酒はやめねばならないわけで、酒をやめていることは喜ばしいことですが、残念なことにAAの目的からはずれているのです。

大酒飲みには大酒飲みの酒のやめ方があります。しかし、そのやめ方では本物のアルコホーリクは回復できません。AAに通っていても酒がやめられないという人の場合、AAにいる「大酒飲み」の言葉を真に受けて、そのやり方に染まっているケースがあります。

「大酒飲みの言葉を聞いていたらアル中は死んじまう」

と言った人がいましたが、重大な真実を含んだ言葉だと思います。スポンシーがそうした誤学習をしているばあい、まずそれを脱学習することから始めねばなりません。ビッグブックの読み合わせをしている場合には、このp.31〜33のところで、その話をするようにしています。自分が単なる「大酒飲み」なのか、それとも「本物のアルコホーリク」なのかは自分で決めなければならないことです。

AAには「本物のアルコホーリク」ではない人たちもおり、彼らは12ステップや霊的な経験なしに酒をやめ続けています。彼らも酒をやめたいという願望を持つ限りAAの仲間には違いありません。だが、あなたが「自分は本物のアルコホーリクだ」と思うのであれば、誰の言葉に耳を傾けるべきか、おのずと分かることでしょう。

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アンビバレンス

地元に「てくてく」という精神障害者の共同作業所を運営するNPO法人があって熱心に活動されています。そこのニューズレターに Wikipedia からの抜粋が載せられており、先日の号では「アンビバレンス」が取り上げられていました。同じように Wikipedia から抜き書きしましょう。

・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9

アンビバレンスとは、ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すことである。 例えば、ある人に対して、愛情と憎悪を同時に持つこと(「愛憎こもごも」)。あるいは尊敬と軽蔑の感情を同時にもつこと。
(略)
心理学の教科書などでは、アンビバレンスと「スプリッティング」を対置して、「人は幼児期には往々にして両親についてスプリッティングな見方をするが、成長するにしたがってアンビバレントな見方をするようになる」といったような説明をしていることもある。ここで言う「スプリッティング」とは、「ママが大好きだから、パパは大嫌い」というような精神状態。対象ごとにひとつの感情だけが割り振られている状態。何かの拍子に母親の事を嫌いになると、今度は「ママは大嫌いだから、パパが大好き」といった精神状態に切り替わるような状態。そのような精神状態が、年齢を重ね、精神が成長するとともにアンビバレントな状態になると、しているのである。すなわち大人になると一般的に「ママには好ましいところもあるけれど、好ましくないところもある。パパにも、好ましいところがあるけれど、同時に好ましくないところもある」という見方をするようになる、という説明である。

・・・

これを読んでアル中の回復(とか成長)というのを思い描きました。

よく「アル中の白黒思考」と言いますが、アル中というのは物事を「良い」「悪い」のどちらかに決めたがります。良いものはとことん良く、ダメなものはとことんダメという価値判断なのです。

例えば同じアル中の人に対しても、「あの人は回復した素晴らしい人」であるか、またはその逆の「回復していないダメなヤツ」であるかのどちらかです。自分のやり方を理解し共感してくれる人は「素晴らしき理解者」であり味方だとみなし、異論を挟む相手は「自分に悪意を持っている人」すなわち敵だと見なします。

しかも、この白と黒はしばしば入れ替わります。昨日まで素晴らしい理解者として尊敬と理想化の対象だった人が、ちょっとした小さな出来事がきっかけに、とんでもないこき下ろしの対象になることもあります。

Wikipedia を元にすれば、回復していないアル中は「スプリッティング」なとらえ方しかできないわけです。例えば Wikipedia に対しても、百科事典とはいえ素人が編集しているものだから信用できない価値のないものだと見なします。ダメな記事もあれば良い記事もあるというアンビバレントな見方を(Wikipedia相手にさえ)できないでいるのが、回復していないアル中の姿です。

しかし回復が進んでいけば、物事の多くは白と黒の中間のグレーゾーンにあることを捉えられるようになっていきます。

完全に回復した人などはおらず、どんな長い人でもどこかしら回復していない部分を抱えています。まったく回復していなさそうな人でも回復の萌芽を備えています。すべてにおいて自分の味方になってくれる人などいないし、自分の意見に何もかも反対する人もいません。

正しいと同時に間違っている、間違っていると同時に正しい・・そうした見方ができるようになっていくのが回復でしょう。

こうした白黒思考は依存症に限った話ではないようで、例えば境界性人格障害や自閉圏の症状としても取り上げられています。人が精神を病んだとき、あるいは何かの退行が起こったときに、アンビバレントなとらえ方をする能力が失われ、スプリッティングな白黒思考に陥ってしまうのではないか、と考えています。

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幼稚園で学ぶこと

テンプル・グランディンの本に、人が幼い頃に(たとえば幼稚園とか保育園で)同じ世代の子供たちと接しながら身につける社会的スキルが大切なのだと書かれていました。

例を一つあげれば「限られたものを皆で分かち合う」こと。一つしかないおもちゃは、それがどんなに魅力的であっても独り占めしてはダメで、皆で順番に遊ばなくてはなりません。

もう一つ、「自分の遊びに付き合って欲しかったら、相手の遊びにも付き合わなくてはならない」というのもありました。一人で遊ぶのはつまらない。一緒に遊んでくれたらうれしい。でも、自分の遊び方を相手に押しつけてばかりでは、誰も遊んでくれなくなってしまいます。相手の遊びがつまらなく思えても、それに付き合ってこそ、相手も自分の遊びに付き合ってくれるわけです。

これらは子供の頃だけに通用することではなく、大人の人間関係にも適用されることです。どんなに自分の意見が正しいと思っていても、その意見を押しつけすぎて相手の気分を害したり、相手を怒らせてしまったら、自分の正しさは相手に認めてもらえません。(自分にとっては間違った意見にしか思えなくても)相手の意見をある程度尊重しなければ、自分の意見は通らないのです。

普通の人が幼い頃に学んだスキルをほとんど無意識に使っているのに対し、自閉圏の人はそうしたスキルを幼い頃に学び損ねてしまっているケースが多く、社会適応の障害(=生きづらさ)につながっている、というのがグランディンの本の頭のほうに書かれていたことでした。

AAの12&12に

「おとなの人間のなかに加わっても安定した感情をもち続けたいと思うのなら、生きかたの基本を「ギブ・アンド・テイク」に置くべきだ」(12&12 p.153)

とステップ12のところに書かれています。自分の正しさばかり主張していたら、ギブ・アンド・テイクにはなりません。

幼い頃に社会的スキルを身につけ損ねたのか、それともいったんは身につけたものをアディクションのせいで失ってしまったのか・・・どちらかはともかく、回復成長のためには社会の要求する暗黙のルールを身につける必要があるわけです。

なんでそんなことを考えたかというと、「一人でAAグループを立ち上げたい」という相談を受けたからです。僕はいままで3回AAグループを立ち上げていて、そのうち2回は一人でグループを始めているので、そんな人間が言うのはおこがましいのですが、でもそんな経験から学んだことは、

「一人でAAグループを始めたいと思うのは、相当に病んだ考えだ」

ということです。その病み方が自閉的なのか、アル中的なのかはわかりませんが(似たようなものかも)。

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ギャンブルと脳

日本には依存症の回復施設が100以上存在するでしょう。
そのいくつかから、毎月ニュースレターが送られてきます。入所者の書いた経験談や施設の活動の様子が載っているニューズレターを読むのは、楽しみと言えば楽しみです。こうしたニュースレターは施設の広報活動であるとともに、寄付(献金)の要請の意味も含まれているものです。我が家には余分なお金はないので、なるべく寄付はしないで済ませたいと思っているものの、誠実に運営されている施設は応援したい気持ちもあり、たまには送金しています。

ではどんな施設を選んで送っているかと言えば、情報公開をしているところです。例えば、先月は何人入所して、何人退所したので、現在利用者は何人。プログラム完了による円満退所は何人で、自己都合の中途退所が何人。あるいは寄付金は総額いくら頂きました・・などと書かれていれば、「ああここは真面目にやっている」という印象を受けます。

アメリカみたいな「小さな政府」を標榜する国は、税金が安い代わりに行政サービスも最小限になり、すると行政の福祉機能が薄くなるために、それを民間団体の活動が補っています。そして、寄付を税金から控除できる仕組みを用意することで、政府が寄付を促しています。政府が一方的に高い税金を徴収しサービスを提供するよりも、税金を安くする代わりに市民が責任を持って優れたサービスを提供する団体に寄付をする「寄付文化」が育っていると聞いています。

もう10年以上前でしょうか、日本も寄付した額が税金から控除できるようになれば、依存症の回復施設の運営も楽になるかも・・という話をしていたものです。NPO法人という仕組みはできたものの、単なるNPO法人に寄付しただけでは控除は受けられず、「認定NPO法人」の認定を受けたところへの寄付だけが対象となります。

脱税に使われないために、認定NPO法人の認定基準はかなり厳しく設定されており、全国に三万以上あるNPO法人のうち認定を受けているのは1%もありません。

ギャンブルの施設の「ワンデーポート」から、認定NPO法人の認定を受けたという喜ばしいニュースが届いたのが今年の春でした。おそらく全国の依存症の回復施設では唯一ではないかと思います。

話は変わって、以前見たギャンブル依存に関するテレビ番組では、ギャンブルをしている人の脳の活動を動画像化していました。(番組中に解説はありませんでしたが、おそらく近赤外分光法なのでは)。その動画では、脳の活発に活動している部位は赤く、そうでない部位は青く表示されていました。普通の人は、ギャンブルをすることによって興奮を味わい赤い領域が広がっていくのですが、ギャンブル依存の人は逆に青い領域が広がっていきました。興奮するのではなく、落ち着きを味わっているわけです。アルコールのような沈静系の薬物を飲むと、脳の興奮が静まって落ち着きを感じます。ギャンブル依存の人がギャンブルをしているときにも同じことが起きているのかも知れません。

ADHDの治療薬として使われるコンサータ(メチルフェニデート)は中枢神経刺激薬で、アンフェタミンのような覚醒剤に近いものです。コンサータを服用することによって、扁桃体の活動が賦活され、脳の過剰な興奮が収まってADHDの人が落ち着くと教えられました。覚醒剤にも似た効果があると考えられており、普通は覚醒効果を味わうために覚醒剤を常用することになるのですが、素因としてADHDを抱えていて、落ち着きたいがために覚醒剤に手を出す人もかなりいるのではないかと考えられます。

アルコール依存になる人は、落ち着いた安らいだ気分になるためにアルコールを薬として常用してしまうわけですが、(すべてとは言わないが)ギャンブル依存や覚醒剤依存になる人のなかにも同じ動機によって依存を形成させる人がいるのでしょう。きっとたぶん。

依存と脳の話題を始めればキリがありません。僕みたいな素人の話よりも、専門家の話を聞いた方が面白いかも。ワンデーポートでは、京都大学の脳科学者、村井俊哉先生を講師に招いて「ギャンブルに依存する人の脳で何が起きているのか」というセミナーを行うそうです。今度の日曜日です。
http://www5f.biglobe.ne.jp/‾onedayport/page12-1.htm

残念なことに当日は別件があって行けません。行ける人がいたら感想をお聞かせ願いたいと思っております。

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プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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