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デメリットは確かにある

先日アラノンとの関係について雑記を書いたところ、いくつかメールをいただきました。
(最近掲示板はすっかり寂れてしまって、レスポンスをいただくのはメールが多い)
個別に返事をしてないメールもあって、ごめんなさい。

今回わざわざメールを送って下さる人たちは、AAとアラノンの関係を憂う人たちです。

共通してうかがえるのは、多くのAAメンバーにとって、アラノンが特別な存在ではなく、他の多くの団体(例えばNAやGA、ナラノンやギャマノン)と同じになってしまっている現実です。極論すれば、アラノンがあってもなくても同じだ、とAAで解釈されてしまっているのが現実です。

AAとアラノンの協力関係が絶え、AAの現場にアラノンメンバーの姿がない状態が10年も続いたのですから、それもやむを得ない事だと思います。

現在、アラノンが存在するメリットを感じているAAメンバーは少ないでしょう。逆に言えば、「アラノン不在のデメリット」を感じるAAメンバーも少ないということです。だから、多くのAAメンバーが、アラノンとの関係改善にまったく無関心になってしまっているのです。

しかし、デメリットは存在しています。すでにAAにしっかり結びついている人たちは、そのデメリットを感じないかもしれません。デメリットを被るのは、これからAAやアラノンにつながるべき人たちです。

この10年間は、いわゆる「まだ苦しんでいる」人たちがそのしわ寄せを受けてきました。放置すればこの先もそれが続くでしょう。

「私たちは、他者との真の協力関係を築き上げる能力が自分にまったくないという重大な事実に気づかなかった」(12&12 p.72, step 4)

そのことに気づかずに、デメリットを感じない等と言っている人の気が知れません。
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テーマ : メンタルヘルス・心理学
ジャンル : 心と身体

井蛙不可以語於海者(井の中のかわず大海を知らず)

全体像を捉えることは難しい、というお話し。

関東地方のある援助職の人にうかがった話ですが、彼の地では、「AAは福祉の必要な人たちが行くところ」というのが行政の人の認識なのだそうです。この場合の「福祉」という言葉は必ずしも生活保護を指しているわけではなく、何らかの福祉施策の対象となるという意味です。

生活保護の実施要領のなかに、アルコール症の人(もしくはその同一世帯員)が断酒を目的とした団体を継続的に利用する場合に必要最低限の交通費その他(「移送費」という)を支給できる、という決まりがあります。アル中やその家族が断酒会やAAに通うための電車代バス代が支給されるということです。

何らかの精神障害、知的障害、未診断の発達障害などを抱えた人は、断酒継続してもなかなか就労に結びつかない苦労があるため、生活保護の受給歴が長くなりがちです。福祉事務所の窓口の側から見れば、移送費を受給しつつ何年もAAに通い続ける人が目立つでしょう。そういう人たちは手帳や障害者加算を受けている割合が高いため、「AAは障害を抱えた人の行くところ」という印象を持ったとしても無理からぬことです。

最新2010年のAAメンバーシップサーヴェイによれば、生活保護受給のAAメンバーの割合は1/4に過ぎません。生活保護の被保護者数が200万人ほどで、これは国民の2%弱ですから、それに比べれば多いのですが、AAの中ではあくまで少数派です。しかし、それは市役所の窓口からAAを眺めているだけでは、分かりようのないことです。

別の話ですが、アルコホーリクと向精神薬の話をしていると、「この人は、断酒した人の多くが向精神薬の服用が不要になることを知らないのではないか」と思うことがあります。

酒をやめた結果、不眠や抑うつ症状が出る人は珍しくありません。精神科の医者から睡眠薬や抗うつ剤やトランキライザーを処方される人もいます。しかし、ほとんどの人は断酒が続いていけば、向精神薬は不要になります。もちろん中には何年もの時間が必要な人もいます。

数は少ないものの、ずっと薬が必要な人もいます。依存症以外の問題を抱え、そちらが難治性なら服薬治療も長引くでしょう。

薬の不要な人が薬を飲み続け、やがてそれが過量服薬につながるリスク。薬が必要な人が無理に薬をやめて病気が悪くなるリスク。二つのリスクがあるわけです。(だから、AAのパンフレットにも両論併記になる)。どちらのリスクが大きいかと言えば、前者のほうが量的に深刻です。

AAで「薬は飲まない方がよい」という雰囲気が支配的なのは、そうした背景によるものです。何らかの自助グループに属して、何年も酒をやめ続けている人と付き合っていれば、「ほとんどの人はやがて薬が不要になる」ということが分かるようになるはずです。

ところが、病院やクリニックで知り合ったアルコホーリクで、しかも時々スリップを繰り返す人とばかり付き合っていると、まるでアルコホーリクは皆がずっと向精神薬を飲み続けなければならないかのように、勘違いしてしまうことになります。

世の中は多数派にあわせて動いており、注釈付きで扱われてしまうのが少数派の悲哀です。それをひがんでみても仕方ありません。「向精神薬を飲んでいるのはソーバーとは言えない」という言葉は、多数派のアルコホーリクに向けてあえて刺激的に発せられた言葉であって、少数派たる自分には当てはめることができない・・という理解のしかたも必要です。きっと。

いずれにせよ、視野が広がれば、自分のとらえ方、理解の仕方も変わってくる、というお話です。

日本のAAではあまり使われないスローガン more will be revealed というのがあります。無理矢理日本語に訳せば、神はより多くを明らかにされる、でしょうか。

いま自分が知っていることがすべてではない。分からないことも、やがて分かるようになるときも来る。経験を積んだ仲間は、多くの見聞、多くの気づきを得ています。だからこそ経験の長さが尊重されるのでしょう。僕なんか雑記で分かったようなことを書いていても、例えば30年の人から見ればヒヨッコにすぎません。

続けていけば、「今まで知らなかったけれど、そういうことだったのか」という経験がたくさんあるはずです。

テーマ : メンタルヘルス・心理学
ジャンル : 心と身体

アラノンの連絡先掲載問題

J&Cで有名なジョー・マキューとチャーリー・Pが出会ったのは1973年のこと。(AAのではなく)アラノンのコンベンションでした。チャーリーはAAメンバーとしてステップの話をしました。ジョーは最初に彼の名前だけを知り、有名なカントリー歌手のチャーリー・プライド(黒人)が出てくるのではないかと期待したのですが、それは勘違いでチャーリーは白人でした。

ジョーはたいそうがっかりして、「あいつは肌の色からして間違っている」と嘆いたそうです。

しかし二人はビッグブックに関する共通の関心を持っていることにお互いが気がつき、その後の交流がジョー・アンド・チャーリーのビッグブック・スタディに発展します。

この例で分かるとおり、アラノンの大会にAAメンバーがスピーカー(話し手)として招かれたり、AAメンバーがアラノンのイベントに参加するのは、アメリカでは普通のことだそうです(当然逆も)。そんなふうに、アルコール本人の団体であるAAと、その家族・友人の団体であるアラノンは、協力関係にあります。

しかし、日本ではそうなっていません。会話のない夫婦のように、冷え切った関係になっています。それについては、以前に雑記に書きました。
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20100525

ビッグブックへのアラノンの連絡先掲載については、その後動きがあったようです。

毎年2月にAAの全国評議会が開かれます。その報告書が5月頃に全グループに届きます。もちろん(?)全然目を通していなかったのですが、7月に地元で内容の報告会があって中身を知りました。

アラノンジャパンは昨年設立30周年を迎え、その記念の大会が横浜のホテルで開かれました。AAの常任理事会あてに招待状が届き、理事会議長が出席したところ、来賓の序列では一番の扱いだったそうです。20周年の時には招かれすらしなかった(それだけ関係が悪化していた)わけで、これは20年ぶりの処遇です。

それを受けて、二週間後にAAとアラノンのあいだで話し合いが行われ、その内容も報告書に載っています。

まず、ビッグブックへの連絡先掲載については、アラノンが薬物依存の家族も公式に受け入れていることがAA側の最大の障害になっていたのですが、これはアラノンがアルコールの問題に限定するように方針が変更され、すでにホームページからも薬物の文言が削除されている説明がありました。AAの常任理事会では、ビッグブックへの掲載を決め、次の増刷から反映されることが決まっています。

こうして一つの問題が克服されたことは、大変よろこばしいことです。しかし、まだまだ両者の間には問題が山積しています。

AAのイベントでは、会場の隅でAAの本を並べて売っています。僕がAAにつながった頃は、アラノンの人たちがやってきてアラノンの本を並べて売っていました。しかし最近とんとそういう風景に出会いません。それについては、AAとアラノンで12ステップの文章が違ってしまった結果、並べて売っていると「どうしてステップの文章が違っているのか」という話が出て無用の混乱を招くので、それを避けるため、というのがアラノン側の説明だそうです。

AAとアラノンでのイベントの共催については、そもそもアラノンはグループ毎の外部向けサービスはしていないので、イベント共催など考えられないし、アラノンメンバーがAAの手伝いをすることは(おそらく共依存的な理由で)アラノンメンバーの回復に役に立たないと考えられていること。

アラノンメンバーがAAのイベントで話をすることは、アラノンは12の伝統で「AAメンバーのアノニミティを尊重する」としているので、実現は難しいこと。

そんな具合に、AA側の希望するような協力関係は難しいのですが、「AAの行事でアラノンの部屋をひとつ確保し、困っている家族がAAイベントに参加したときにアラノンメンバーと接触する機会を提供する」というアラノン側からの提案も報告されています。

AAメンバーの立場からすれば、現在のアラノンジャパンの運営方針には違和感を持つことが多いのも事実です。

AAの全体サービスでは輪番制の原則が徹底していて、同じ人が長く役割を背負うことは「大変いけないこと」と認識されています。ニューヨークのGSOでは所長の立場さえ輪番制です。日本のオフィスは小さいのでそんな仕組みにはまだできませんが、長年オフィスの所長をやることには批判も出ます。それに慣れた身からすれば「生涯理事」として立場がずっと保証されるアラノンの仕組みに疑問を感じます。

また、do not govern(統治はしない:伝統2)というのがAAのサービスの大原則で、各グループが勝手に広報活動でもなんでもやるAAのやり方に慣れていると、グループごとの活動をせず、GSOが広報や方針決定を一手に引き受けている日本のアラノンの仕組みは共依存的な統治と支配に感じられます。

AAの考え方に馴染んだ人間としては、そう考えざるを得ません。

であるものの・・・、そう「ではあるものの」、それらはアラノンの内部の事情であって、AAが口を出すことではありません。

それよりも、AAとアラノンの接点に関心を向けるべきでしょう。報告書でも、「現状でき得る協力については積極的に探っていく」としています。できることから始めていくことが大切でしょう。

アラノン側がステップの共通化をAAに求めても、AAがアラノンにサービス体制の変更を求めても、どちらもすぐには変えようのない話でしょう。

アルコホーリク(に限らず精神的に具合の悪い人)は、こういう場合に「全面的に協力するか」か「一切協力しない」かの、どちらかになってしまいがちです。まさに白黒思考です。部分的にできる協力はする、できない部分は仕方ないと諦める、そういうグレイな対応がいるんじゃないでしょうか。

全国レベルのAAイベントで「アラノンの部屋」を用意する事から始めて、将来それを地域・地区レベルに広げて行ければ良いと思うんですけどね。40周年の大会に招待するとか。

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自分に正直になる

ビッグブックの第5章に「自分に正直になる能力さえあれば〜回復する」とあります。この部分はミーティングハンドブックにも掲載されているので、AAミーティングに出たことのある人なら一度は接したことがあるでしょう。

「自分に正直になるって、どういうことですか?」という質問を受けてしまいました。ここまでストレートな質問はなかなかあるものではありません。ど真ん中高めのストレートを唖然として見送る気分になりました。

この人は熱心にAAのミーティングに通っているのですが、AA仲間から「正直に話をしていない」と指摘されたというのです(さもありなん)。自分が飲んでいないだけで回復できない原因は、正直になれていないからではないのか。だとすれば、

「どうやったら、私は正直になれるでしょう?」

というのが質問の主旨ということになります。どうやったら正直になれるか、それを言葉で説明しなければならない日がやってくるとは。「話したくないと思っていることを話せば良いんです」ぐらいでお茶を濁したい気持ちを抑え、なんとか説明を試みました。

なぜそんなことが必要かと言えば、その人がアスペルガーだからです。正直という言葉は辞書に載っています。しかしこの場合、言葉の定義を持ち出しても意味がありません。前後の文脈から「正直」という言葉がどんな意味で使われているか、AAの中でどのような正直さが美徳として認められているか、それは辞書の言葉の定義とはあまり関係がないからです。アスペルガー症候群を含むASD(自閉症スペクトラム障害)の人たちは、決まり事(例えば言葉の定義)に引きずられてしまい、脈絡からの推理にしばしば失敗します(想像力の障害ゆえ)。

僕が誰かと待ち合わせをしていたとします。しかし、道路が渋滞したせいで、その待ち合わせに遅れてしまいました。待たされた相手はご立腹で、僕は謝罪しなければならない・・というシチュエーションを考えます。僕が「謝罪」するためには、何を言えば良いでしょうか? 単純に、

「遅刻してごめんなさい」

と言えば必要十分です。渋滞という事情を説明しないのか? という疑問がでるかもしれませんが、謝罪にはそれは必要ありません。相手が「なぜ?」と理由を問うたときに説明すれば良いだけです。

相手は僕が遅刻した事実に対して怒っているわけであって、怒りの対象は僕です。そこへ「渋滞のせいで遅刻しました」と説明するのは、悪いのは僕じゃなくて渋滞なので、怒りを僕じゃなく渋滞に向けて下さい、と相手に言っているのと同じです。それは申し開き(もっと悪い言葉を使えば開き直り)であって、謝罪になっていないのです。

謝罪には三つの要素が必要だとされます。一つは自分の落ち度を認めること、二つめは賠償(原状回復)、三つ目は再発防止の約束だそうです。待ち合わせに遅刻したぐらいで賠償を要求される人間関係は考え物ですが、「今度から10分早く出るね」という約束は必要かも知れません。しかし、何よりも必要なのは、一つめの落ち度を認めることであり、自己弁護ばかりでは人間関係うまくいかないのです。自己弁護が上手になったことで人間関係のスキルが身に付いたと勘違いしている人がいますが、逆です。

(もちろん謝罪のスキルがどこでも通用するわけじゃありません。例えば職場に遅刻する時に必要なのは謝罪ではなく「ほうれんそう」のスキルです)。

人は自分の落ち度がわかっていても、それを認めたくないものです。だから事情説明という自己弁護を展開します。僕も例外ではなく、遅刻しておいて「いやぁ、参った。道路が混んでいてさぁ」という言葉とともに現れるわけです。しかし言い訳ばかりでは信用を失います。

これだけ説明して、自分に正直になることの意味と、ではミーティングでどんな話をすればよいか分かってもらえれば良いのですが、ASDの困難は「遅刻における謝罪」と「ミーティングにおける正直さ」を結びつけて考えることができない困難です(一般化の困難)。

「自分に正直になる能力があれば回復する」という文章は、ステップ3・4・5の前フリの場所にあります。そこから先にはこんな文章があります。

「自分自身の誤りだけを断固として厳しく見つめる(p.98)」
「道路の自分の側の掃除をする(p.112)」

自分の落ち度を積極的に認める姿勢が要求されています。酒が悪い、親が悪い、会社が悪い、世間が悪いと、他者の落ち度ばかり追求して、自分の免責を求めていては回復はやってきません。他者がどうであろうと、自分が変われば回復は可能になるわけですから。

ミーティングで、自分が人に迷惑をかけたとか、悪いことをしてしまったと話せるのは良いことです。しかし、自分の落ち度を認めたくないという気持ちは誰にでもあるので、つい事情説明という自己弁護を展開してしまいがちです。しかし、それでは正直な話をしているとは受け取ってもらえません。自分の間違いをきちんと認める姿勢が求められています。

前述の人の場合、細かく事情を説明することが正直になることだという勘違いが判明しました。僕はその人のミーティングでの話を聞きながら、自己弁護の気持ちが強いと感じていたのですが、そうではなく、努力の方向が間違っていただけでした。正直になりたくないわけではなく、どうやったら正直になれるかスキルが不足していたのです(もちろん抵抗する気持ちもあるだろうけどさ)。

気持ちが不足しているのではなく、スキルが不足している。気持ち(例えば反省の気持ち)を求めるのではなく、スキルを求めたほうが有効なんでしょうね。

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社会資源としての当事者グループ

10年ほど前に「社会資源としてのAA」という言葉がしばしば使われたことがありました。
保健関係者向けのAAパンフレットが翻訳出版され、その中にそんな言葉があったのが発端でした。この言葉には、なんとなく立派そうな、人の役に立ちそうな響きがあり、「社会資源として」という言葉はAAを行政機関に広報する際のキャッチコピーとして使われました。

そもそも社会資源とは何を示すのでしょう。ググってみると、こんな定義が見つかりました。「社会資源とは、利用者の要求の充足や問題解決のために、効果的に利用する様々な有形、無形の人的、物的、制度的資源のすべてを指している」

どうやら社会福祉の分野の言葉のようです。社会資源を利用するのは問題を抱えた当事者だけではありません。福祉の分野の援助者も、問題を抱えた人に社会資源の存在を紹介することによって、社会資源を「利用」しているのです。

AAのような相互援助・自助グループが社会資源であるためには、利用のためのハードルはなるべく低くなくてはなりません。社会資源というキャッチコピーを使った結果、「AAは社会資源たりえていない」という批判も寄せられました。社会資源だと言うならば、AAがどこに存在し、それをどう使えばいいのか、援助者に十分な情報が提供されていなければなりません。

当時はアノニミティ(無名性)に関する誤解がメンバーの中にずいぶんありました。例えば公民館の部屋をミーティング会場用に借りるためには、利用者登録が必要になります。それには住所や氏名や電話番号が必要になりますが、匿名性を盾にとってその開示を嫌い、AAのニックネームを登録用紙に書いた上に、電話番号は公民館の担当者にしか教えない・・というまるで秘密結社のようなことが横行していたのです。(そのくせ行政の提供するサービスには依存しているのです)。地元の保健所や精神病院がAAの存在を知らないという事例も結構ありました。

秘密結社は社会資源ではありません。批判を受けたことは良いことでした。

僕はAAメンバーである以外にも、アディクション関係の他の団体にも所属して活動していますし、アディクションの施設とも関係を持っています。相互援助・自助グループの情報を集めて社会に伝える活動もしているのですが、様々ある自助グループの中には以前のAAのように連絡先がわからないところもあります。住所氏名はともかくとして、せめて電話番号やメールアドレスぐらいは広く社会に開示して欲しいものです。

話は変わって、先日地元のAAの地区委員会に参加していたときのことです。病院メッセージのやり方の改善が話題になっていました。AAの委員会は「AAメッセージを運ぶためのもの」ですから、ふさわしい議題でした。AAでメッセージを運ぶ対象と言えば病院などの医療機関、刑務所などの矯正施設が挙げられます。この時も、まだ未開拓の病院があるという話がありました。

しかし、見落としていることがあります。アルコール依存症の人で医療機関にかかっているのは、ほんの一部に過ぎません。矯正施設ともなればもっとわずかです。

平成20年(2008年)の厚生労働省の患者調査によれば、「アルコール使用<飲酒>による精神及び行動の障害」で医療機関を受診している患者は5万人です。社会にどれだけのアルコール依存症者がいるか、という調査はさまざまありますが、厚生労働省が2004年に行った調査では約82万人とされています。他には200万人以上とか、500万人以上という調査結果もありました。数が違うのはどこまでを依存症と見なすか基準の違いによるものです。

仮に最も少ない82万人という数値を採用するにしても、ここから総患者数5万人を引くと、77万人が残ります。この77万人は医療機関にかかっていないので、AAがどんなに熱心にメッセージを病院に運んでも、この人たちには届きません。AAはボリュームゾーンをあえて避け、ニッチにメッセージを運ぼうとしているわけです。AAのメッセージを運ぼうとするならば、この77万人にどうやってメッセージを運ぶかを考えねばなりません。

アディクションセミナーもリカバリー・パレードも、この77万人にリーチアウトするための手段です。アメリカでは様々な回復擁護運動に対し、AAが団体として協力参加しているそうです。「協力すれども従属せず」の方針を貫く限り、こうした参加は12の伝統の範囲内です。しかし日本AAではそうした動きは極めて鈍いと言わざるを得ません。

前述の地区委員会でこの77万人のことが話題になることはありませんでした。メッセージのことを熱心に話し合うAAメンバーでさえ、世の中に多くのアルコホーリクが苦しんでいることにまるで思いが及んでいません。慣れ親しんできた考え方ややり方を変えるのは簡単なことではないかもしれませんが、そこを変えていかなければAAは秘密結社にとどまるでしょう。

おそらくAAは変わることができます。この10年間を見れば、アノニミティに関する考え方も、ステップへの取り組みにも、何らかの変化がありました。その変化は急激ではなくゆっくりしたものですが、着実に変化していきました。まだ十分ではありませんが、この先も変化を続けていくでしょう。だから、メッセージの運び方についても、良い方に変われると信じています。

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ステップ4の moral は?

たまにはステップの話をしましょうか。

ステップ4では棚卸し表を作るという作業をします。原文ではステップ4は moral inventory of ourselves を作るとなっています。日本語の旧訳では「生き方の棚卸表を作った」、新訳では「自分自身の棚卸しを行ない、それを表に作った」となっています。

原文の moral はどこに行った? と聞きたくなる気持ちも分からなくはありません。

モラル(道徳)とはなんでしょうか。社会や文化が個人に対して「このように行動すべし」という規範を与えてくれますが、それだけでモラルが成立するわけではありません。個人は社会の要請に反して「自分はこのように行動すべきだ」という別の考えを持つこともできます。しかしその自由は社会全体からの規制を受けます。つまりは社会の要請と個人の良心が一致したところにモラルが成立します。

モラル(道徳)は社会を構成する全員にある程度共通したものです。しかし、社会と個人との関係の中で成り立つ以上、それは一人ひとり違ったものでもあります。(一人ひとり違ったモラルを持っている)。

ビッグブックにはこんな一節があります。

「よい道徳や人生哲学があれば飲酒の問題が克服できるというのであれば、私たちはずっと昔に回復していたはずである」(p.66)

道徳や哲学は私たちを救ってはくれませんでした。それはなぜでしょうか?

「私たちの多くは道徳的な、あるいは哲学的な信念を持っていた。しかし、それに恥じない生き方をすることはできなかった」(p.90)

どんなに立派な道徳観念や信念を持っていたとしても、それに従って生きていなければ意味がありません。人はそれぞれ思想信条を持っています。その信条はその人にとっての理想であって、現実の行動は理想通りではありません。多くの健康な人は、自分の信条通りに行動できていないことに自覚的です。

しかし霊的に病んだ人は、自分の理想が自分自身だという勘違いをしてしまいます(自分は自分の信念に従って生きることができている、という勘違いをする)。それは欺瞞ですが、この欺瞞はしばしば家族間で伝染します。

AAの12のステップは特定の思想信条を押しつけようとはしません。人それぞれ自分の良心に従った道徳観念を持つ自由が与えられています。問題は、自分の選んだモラル通りに生きていないということです。例を挙げると、性的な振る舞いの棚卸しがあります。いまの日本社会では同性愛はまだまだ不道徳なものだと見なされています。もしその社会通念に従って棚卸しをすれば、同性愛の人は自分の性嗜好をすべて悪いものと見なさなければいけなくなってしまいます。もちろんAAはそんなことを要求しません。同性愛であっても、その人は恋人に対して自分はこういう態度であるべきだという理想があるはずです。その理想(モラル)に従えていないということをチェックするのです。

棚卸しという言葉は、商売の棚卸しから転用されたものです。万引きにあったり、腐って破棄されたりして、在庫は帳簿とは一致していません。棚卸しは、在庫と帳簿を比べる作業です。ステップ4・5も在庫(現実の自分自身の行動)を調べて、帳簿(自分なりのモラルに従って生きていると思っている自分)とのつきあわせ作業をし、その違いをハッキリさせる作業です。

p.105には「思っていた」という言葉が何度も太字で協調されています。こうだと思っていた自分と、現実の自分は全然違っていたわけです。RDでもステップ4の moral を、自分に関する「真実」と説明しています。帳簿ではなく現実の在庫を見ることです。

日本語で「道徳」という言葉を使うと、それが社会一般の倫理規範を示すと誤解を受けがちです。カタカナで「モラル」という言葉を使っても同じです。しかし、12ステップは特定の倫理観を押しつけようとするものではありません。それを考慮すれば、なぜ日本語のステップ4に moral が含まれていないか理解していただけるでしょう。

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12ステップが優れている点

治癒はないが回復はある。では回復とは?
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20110728

という雑記で、回復の手段として12ステップがなぜ良いのか、また回を改めて書くことにしていました。

ウィリアム・L・ホワイト先生の「米国アディクション列伝」という本には、アメリカのアディクション治療の歴史を綴られています。その中に、こんな文章があります。

「1915年にエイブラハム・フレクスナー(Abraham Flexner)が専門的分野の本質的要素を定義した。その要素のひとつは「教育的に伝達可能な技術」である」

これはミネソタ・モデルについて書かれた一節にあります。

フロイトやユングの作り出した精神分析という分野は、医師や心理士という資格を持たない素人療法家の登場を可能にしました(精神分析は素人療法家によって広められたとも言えます)。素人が素人を治療し、それによって回復した人が次の人を治療していく、という構図です。自分がその療法で回復した経験が最も大きな財産となるわけです。

それに遅れること数十年、AAは素人が素人の回復の手助けをする「スポンサーシップ」という仕組みを定着させました。スポンサーになるための資格は、その人自身が12ステップによって回復していることです。スポンサーはプロになることはできません。12の伝統の8番目で、AAメンバーはノン・プロフェッショナルであれとして職業化を戒めています。AAスポンサーは専門家(expertやspecialist)にはなっても、それを職業(profession)としてはならないのです。

この方針はAAが始まって20年ほどは堅持されましたが、1950年代に一部のメンバーが12ステップを職業に使い始めます。それはあくまでのAAの外部でということです。

ミネアポリス市の社会福祉局が、生活保護支給が不要になった家庭の事情を調べたところ、父親であるアルコホーリクがAAで酒をやめて働きだしたおかげであったことが分かりました。ならばアルコホーリクを回復させる専門の施設を作れば、もっと税金が節約できると考えられ、そのスタッフとしてAAメンバーが雇われました。これがその後のミネソタ州の各種施設(ヘイゼルデンなど)の源流となり、12ステップを伝えるプロフェッショナル(職業家)としてのアディクション・カウンセラーの誕生となったわけです。ミネソタ・モデルの始まりでした。

12ステップが専門的分野と言えるのは、それがビッグブックというテキストブック(教科書)を使って、教育的に次の人へとメッセージを渡していけるからです。もちろん伝え手(教師役)の巧拙によって、うまく伝わったり伝わらなかったりするでしょうが、その内容はビッグブックというリファレンスによって、時代や場所を問わず一定の品質が保たれています。現在の日本のAAの停滞は、ビッグブックという標準からの大きな逸脱と、スポンサーシップの衰退がもたらしたものでしょう。

さて、回復の手段は12ステップに限ったものではなく、様々な手段があります。どの手段が良い回復をもたらすのか、比較することは難しいことです。なぜなら、個人個人の回復の成果を定量的に比較する手段がないからです。AAは12ステップによる回復は素晴らしいと言いますが、他の手段より優れているとは主張していません。

にもかかわらず、僕が12ステップが優れていると考えているのは、上に書いたように12ステップは教育的に伝達可能だからです。日本ではまだ十分な成果は出ていませんが、本来の力が発揮できれば「ソブラエティの大量生産」が可能なポテンシャルを秘めていることは他国での実績が証明しています。

例えば二郎さんは山に登ることで酒をやめ続けています。山登りによる回復と、他の人の12ステップによる回復の成果を比較しろと言われても無理です。

二郎さんともそれなりに長いおつきあいになってきたので、様々な試行錯誤の結果山登りにたどり着いたということは僕も知っています(掲示板とか本を書くとか絵を描くとか、いろいろありましたね)。他の人が二郎さんと同じ経過をたどったとしても、同種の回復を手にできるとは限りません。まして、最近酒をやめた人が二郎さんと一緒に山に登ったところで、感じることは二郎さんとはまったく別でしょう。だからといって、二郎さんの回復の価値が損なわれるわけではありません。

様々な人が、様々なところで、様々な手段でアルコホリズムからの回復を手にしています。しかし、その手段はたいていその人自身にしか使えず、他の人にやり方を教育的に伝えることができていません(伝達の困難性)。また、いったん再発が起こると、再度同じ手段では回復できないこともしばしばです(再現の困難性)。

様々な手段で回復した人の回復の質は人それぞれ、バラバラです。12ステップによる回復の質だって、人それぞれ、バラバラです。だから、質を比較してみたって意味はないと思います。

12ステップの長所は、それが伝達可能であることです。日本のAAやNAがその停滞を打ち破るには、12ステップの長所を活用することが必要でしょう。いままでの日本のAAはその長所を否定することばかりやってきた気がします。

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セラピー(治療)と支援の違い

信州発達障害研究会での、小栗正幸先生の講演を録画したDVDを見ています。
小栗先生は、法務省の心理技官として少年医療刑務所で少年の更生にたずさわった人で、発達障害の専門家です(多くの触法少年に何らかの発達障害が見られるため)。

その講演のある部分が気になって、DVDのその部分を何度も見直してしまいました。

小栗先生は、まず「一対一の人間関係はあまり社会的なものではない」とおっしゃっています。「皆さんの中に、今まで一対一の関係の中で何かを成し遂げた経験を持つ人はいらっしゃいますか?」と先生は聴衆に問いかけます。

トム・ソーヤーとハックルベリー・フィンの冒険のように、一対一の関係の中で素晴らしい経験をすることもあり得ます。しかしそれは珍しいことで、たいていの人にとって一対一の関係の中で素晴らしい経験があったすれば、それは「恋愛」でしょう。恋愛というのはアブノーマルなものであり、だからこそ何才になっても恋愛することは素晴らしいと言われるのです。

先生は、子供たちに「恋愛の場面で起きる様な一対一の濃密な対人関係スキルを学習させようとしているわけではない」と続けます。むしろ、大勢がいる場面で要求されるようなスキルを学んでもらうことが目的となるわけです。その例の一つは挨拶です。仲間に入れて欲しいときに「俺も仲間に入れてくれ」と頼むことや、入れてもらえたら「ありがとう」と礼を言い、失敗したときは「ごめん」と謝ることです。

(某断酒系掲示板を見ていると、アル中さんたちの中にこの社会的スキルを持たない人が目立つことに気づかされます。それも掲示板の雰囲気が荒れる一つの原因でしょう)。

一対一の人間関係があまり社会的なものではないと指摘したのはフロイトなのだそうです。精神分析の自由連想法による治療では、患者は心に思い浮かんだことを何でも隠さずに話すように求められます。つまり、このセラピー(治療)では、被治療者が何を言っても、何をやっても許される雰囲気が作られねばなりません。

一方、支援の場合には、何を言っても何をやっても許されるだけではなく、「待て」と制止することが必要になります。何を言っても、何をやっても許される環境は、子供返り(退行)を起こさせます(それまでに手に入れた社会的スキルを使わなくてもすむため)。支援者と被支援者の間に信頼関係を作るためには、何を言っても受容される関係も必要になるものの、どうやって子供に社会性を身につけさせ、集団生活に戻していくかという戦略も必要になる・・。

というのが小栗先生のお話でした(講演はまだまだ先へ続きますが、とりあえずここまでにして)。

これを聞いて僕は考え込んでしまったわけです。AAのミーティングは「言いっぱなしの聞きっぱなし」で進行します。ディスカッション・ミーティングと言われながらも、debate は行われず、他の人の話に口を挟んだり、質問したり、反論したりということは禁じられています。

「言いっぱなしの聞きっぱなし」という仕組みが採用されているのには、いろいろな理由があるのでしょう。その一つがこの「何を言っても、何をやっても許される」必要があるということなのでしょう。支援において被支援者(子供)が支援者(大人)に隠さずに自由にものが言える環境を作ることで信頼関係を作るように、新しくAAにやってきたビギナーは、この「言いっぱなし、聞きっぱなし」のシステムによって受容され、「待て」と言われることなく、他のメンバーとの信頼関係を築くことができる仕組みなのでしょう。

「待て」と言われることは、つまり「お前の言っていること、やっていることは間違っているぞ」と指摘を受けることです。アル中の一番嫌いな言葉はNoです(自分の意見がYesと肯定されることばかり求めるものです)。AAミーティングに「待て」を導入したら、言われたビギナーはもう来なくなるでしょう。(古いメンバー同士だっていがみ合いが始まるでしょうし)。

「言いっぱなし、聞きっぱなし」のミーティングは、ビギナーを受容し、他の仲間の支えにつなげる効果があるわけです。それは社会性の薄いアルコホーリクが集団でうまくやっていくための手段ということになります。しかし同時に「言いっぱなし、聞きっぱなし」が子供返り(退行)を引き起こすこともあるでしょう。実際、何年もAAにいて酒は止まり続けているものの、仕事が長続きしないとか、AA以外の人間関係がうまく作れないとか、AAの中でも議論が発生するサービスの分野ではめげてしまうとか・・・そんな例はいくらでもあるわけです。

そういった問題を解決するのは、スポンサーシップ、そして12ステップの役割なのでしょう。社会性の薄いアルコホーリクを受容して支えてくれるのがミーティングならば、その人が社会集団の中でやっていけるように戻してくれるのがスポンサーシップと12ステップ、という分担なのではないか。ミーティングで癒しを求めるのは結構なことなのですが、そればっかりだと、その人が社会でやっていくスキルが身に付かないわけで、アルコホーリクにはそのどちらも必要なものに違いありません。

小栗先生の話を聞きながら、そんなことを考えたのです。

テーマ : メンタルヘルス・心理学
ジャンル : 心と身体

アディクションからの回復とは何かを定義する

Faces and Voices of Recovery(回復の顔と声)のニューズレターを読んだところ、こんな記事が載っていました。

What is Recovery? 回復とは何か
http://www.facesandvoicesofrecovery.org/publications/enews/2011-08-17/recovery_definition.php

SAMHSAというアメリカの政府機関があります。「薬物乱用精神衛生管理局」とでも訳せばよいのでしょうか。そこが「アディクションからの回復の定義」に関するパブリック・コメントを募集しています。・・いや、8月26日までだったからもう過ぎちゃったのか。

「依存症からの回復」とは何を意味するのか、それに興味をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。

きちんとした翻訳は提供できませんが、内容をざっくりと紹介します。
SAMHSAのスタッフ Alexandre Laudet が、なぜ回復を定義する必要があるのかブログで語っています。

Recovery Defined - Give Us Your Feedback
http://blog.samhsa.gov/2011/08/12/recovery-defined-%E2%80%93-give-us-your-feedback/

回復中の人たちは、「回復とは何かを定義する必要はない、なぜなら私たちはそれが何か(経験上)知っているからだ」と言います。それは100%正しい。回復中の人たちは、自分のことを回復中だと言うことができるし、他の人についても、また家族でもそれは同じです。

さてアディクションに対して様々なサービスが提供されるようになってきたのは良いことです(ここでいうサービスとは回復施設やカウンセリングなどを言うのでしょう)。ということは、回復を提供するサービスに対して、納税者の支払った税金が使われるようになるということです(助成金という形で税金が分配されたり、行政がサービス提供業者に業務委託することを指しているのでしょう。日本の施設でも助成金や自立支援の仕組みを利用して税金が投入されています)。

そうした業者は、政府や社会に対して「販売」しているサービスの質に責任を持つ必要があります。私たちがガンや心臓病について病院や医師の治療実績を比較したいと思うのと同じように、アディクションからの回復を提供する業者AのサービスBを評価するためには、まず回復とは何かを定義する必要があります。

良いサービスを提供するためにはそうした評価基準がどうしても欠かせません。多くの業者(施設)が回復サービスを提供するために公的資金を獲得しようと「競争」しており、私たち(政府)が最善の業者を選ぶためには、彼らの治療実績を調べ、どの施設が良い仕事をしているか知らなければなりません。

「回復とは何か」を定義するのは、より良いサービスが提供されるようにするためです。そのためには、回復に必須の要素が明らかにされねばなりません。どうやってそれを得るか(12ステップ、瞑想、治療など)ではなく、回復に含まれなくてはならない ingredients (成分)のことです。症状がおさまることだけでなく、それに何を加えましょう? 社会への貢献? 人間関係や家族関係の改善?

ここまでが、Faces and Voicesの記事です。紹介されているブログの記事に飛んでみると、SAMHSAではすでに以前の調査で、回復に欠かせない要素のジャンルわけをしているようです。

・健康 - 身体的、精神的に健康に暮らせるように、疾病を克服あるいは管理できていること。
 (ときどきスリップしています、というのは回復とは言えないわけだ)

・住居 - 安定し、安全な生活の場所。
 (酒を飲んでなくてもホームレス状態では回復とは確かに言いづらいですね)

・目的 - 日々の意味のある生活、例えば仕事、学校、ボランティア、家族の世話、創造的な努力。そして自立、収入、社会参加するための財力。
 (酒は飲んでなくても、引きこもってゲームばっかりでは意味のある生活とは言いづらいかも)

・コミュニティ - サポート、友情、愛情と希望を提供してくれる人間関係や社会的関係。
 (かならずしもそれが自助グループでなくても良いのでしょうけど)

この4ジャンルについて基準が決められていくのでしょう。
アメリカの回復に関する議論を読んでいると、必ず登場するのが「住居」の話です。向こうではホームレスになりやすいのかもしれませんし、シェルターの必要性の議論にもつながります。

個人的にコメントを加えると、このジャンルわけには「スピリチャリティ(霊性)」は入っていません。スピリチャリティはそれ単独で計れるものではなく、より実際的なこと(例えば上の四つのジャンル)に反映されるべきものだからです。

そのうち雑記で紹介しようと思いながら、忙しがっているうちにパブコメの期限も過ぎていました。アディクションの世界では、アメリカで形作られた概念は5年後、10年後に日本に入ってきています。おそらくその頃日本でも「回復ってこういう定義だとアメリカでは決められている」という話が広がっていくのでしょうね。

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プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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