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嗜癖・依存・中毒(用語の整理)

さらにデパゲンは誤りで、正しくはデパケンでした。重ねてのご指摘ありがとうございます(とほほ)。

まず中毒という言葉から始めましょう。

毒に中(あた)ると書いて「中毒」です。中毒とは、何らかの物質摂取により健康が損なわれた状態を示します。ここでの健康には身体と精神の両方が含まれます。

フグ毒にあたればフグ中毒、ガス自殺未遂はガス中毒、大量のアルコール摂取による意識障害は急性アルコール中毒、慢性的なアルコール摂取で健康が損なわれれば慢性アルコール中毒です。僕は慢性アルコール中毒者、略してアル中です。

次に依存という言葉を取り上げます。

アルコホーリク(アルコール中毒者)やアディクト(薬物中毒者)を観察すると、突然断酒・断薬をすることで様々に不快な症状が現れ、それを避けようと摂取を続けています。これを禁断症状と呼びます。さらに、急に止めるだけでなく、徐々に血中のアルコール濃度や薬物濃度が下がってきた場合にも同じような症状が現れることを離脱(退薬)症状と呼びました。

そしてこの離脱症状が現れる状態を「依存」と呼ぶことにしました。ここでは身体依存にのみ注目しています。その後依存概念は精神依存にまで拡大されますが、依存という言葉が単独で使われる場合はあくまでも身体依存(離脱症状が起きる状態)を示しています。

1956年、WHO(世界保険機構)は、身体依存を伴った慢性的な中毒状態を嗜癖(addiction)、伴わないものを習慣(behavior)と呼ぶことを決めました。つまりアディクションとは中毒と依存の組み合わせです。

しかし、この定義だといろいろと不都合が出てきました。まずコカインや覚醒剤は離脱症状がはっきりしません。にもかかわらずコカインを使いたいという強い欲求がある。それには何らかの生理的変容が伴っているはずで、それを精神依存と呼ぶことにしました。

さらには、アディクト(薬物中毒者)という言葉は蔑視的な意味合いが強かったために嫌われました。

そこで1973年、WHOは嗜癖という言葉を廃し、その後はもっぱら依存(dependence)という言葉を使うことにしました。DSMやIDCという診断基準も変えられていき、それに合わせて日本でも若干蔑視的雰囲気を帯びた(慢性)アルコール中毒というそれまで使われていた病名が嫌われ、アルコール依存症という言葉に徐々に切り替えられていきました。こうしてアディクションという言葉は医学からいったん消え去ることになります。

ところがこの依存という言葉にも不都合が出てきてしまいました。

依存という用語は離脱症状という生理学的・身体的な現象に着目していたわけです。研究が進むに連れて、嗜癖的な薬物に限らず、その他の薬も離脱症状を引き起こすことが分かってきました。例えばSSRIという種類の抗うつ剤では離脱症状がしばしば起こりますが、それをアディクションとするのは不適切です。

そもそもWHOの定義では、依存を病気であるともないとも言っていません。アディクションに対して依存症という名前は与えたけれど、依存と依存症(嗜癖)とは別の概念です。

前述のように身体依存のハッキリしないコカインのような依存症もあります。一方で末期ガンの疼痛にモルヒネを投与すれば身体依存は形成されますが、精神依存にはならず依存症には発展しません。

さらには、依存概念が広がるに連れて、インスリン依存性糖尿病や依存性人格障害のようなアディクションとは関係のない使われ方もされるようになってきました。

そこで2013年から使われるDSM-5では依存症という病名が消え、アディクションで統一されることになりました。いままでのアルコール依存症に相当するのは Alcohol Use Disorder(アルコール使用障害)という名前になります。
http://www.dsm5.org/ProposedRevisions/Pages/proposedrevision.aspx?rid=452

今後、おそらくはDSM-5の変更が国際疾病分類に反映され、日本にも影響してくるでしょう。40年前に、英語で addiction という言葉が捨てられ、日本語では中毒という言葉が捨てられ、依存症という言葉に置き換えられていったように、今度は依存症(dependence)という言葉が廃れ、嗜癖(addiction)という言葉が復活することになると思われます。

ついでに言えば、DSM-5では行動嗜癖が新設されます。とりあえず正式に採用されているのはギャンブルのみですが、インターネット嗜癖やセックス嗜癖も appendix に追加されています。

ここまで書いてきて強調しておきたいことは、依存と依存症(嗜癖)は別である、ということです。

(ただし、依存症でない依存は問題なし、というわけでもありません、それは以降)
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テーマ : メンタルヘルス・心理学
ジャンル : 心と身体

ソーバーの非数値的な評価

まず最初に、昨日の雑記で抗てんかん薬の例としてルボックスを挙げましたが、デパケンに訂正しておきます。ルボックスは抗うつ剤(SSRI)であり、抗てんかん薬ではありません。(えんぴつとFC2は修正済み)。ご指摘いただいて、ありがとうございます。

・・・

さて、AAではソーバー(断酒)が10年続いたとしても、再飲酒してしまえばそのカウントはリセットされ、ワンデイ(最初の一日)からやりなおしです。

その時点で、10年飲まなかったことは評価されず、なかったことになる・・・その事に疑問を感じるという話を聞きました。他でも同じ主旨の話は聞くことがあります。

僕は、飲んでしまうとカウントがリセットされる仕組みの正当性を説明しようとは思わず、なぜその人が疑問を感じるのか、と考えてみるのです。

実際、10年以上飲まなかったのに、再飲酒してしまったAAメンバーを何人か知っています。もちろん皆がワンデイから数え直しです。しかし、それ以前の10年間への評価が失われる、というわけではありません。ただその評価が、ソブラエティの年数という数字に反映されていないだけです。

10年以上過ぎての再飲酒からのカムバックは「ぜひ耳を傾けるべき貴重な体験」であり、経験と力と希望の分かち合いという価値観の中で、とても高く評価されています。

また、AAメンバーは年数だけで評価されるわけではありません。人を評価するには様々なモノサシが使われます。その点は一般社会と変わりありません。まめにミーティングに出席しているかどうか。日の当たらないサービス活動を引き受けているか。ステップをやっているか。新しい人の世話をしているか。話は上手かどうか。献金をしているか。人には様々な能力があり、得意不得意があるのですから当然です。

AAはお互い助け合うことを目的とした団体ですから、自分を回復させ人を手助けするステップを軸とした評価が主になりがちではあります。ですが、「俺はステップとか難しいことは興味ないが、ともかくミーティングの始まる30分前には来て会場を開けておくぜ」という人が感謝されて当然なのは言うまでもありません。

10年のソーバーをふいにしたとしても、別の評価が消えてなくなるわけではありません。数字にこだわってしまえば、他の評価基準を軽んじることにもなります。ただ、年数以外の評価は数値化されていないで、あいまいで捉えにくいものではあります。いずれにせよ、AAメンバーはソーバーの長さだけで尊敬を得るわけではないし、再飲酒してもすべてが失われるわけではないということです。

という説明をしても納得してもらえるとは限りません。その背景には「数字へのこだわり」があるのでしょう。

発達障害に親しんだ人は「数字への関心」「こだわり」と聞いただけで、それが何を意味するかピンと来るのではないかと思います。

ちなみに、直近この疑問を僕に投げかけたのは、発達障害を自認している人でした。その話を聞いて、少数派というのは、こんなところにも悩ましいものなのかと思い至った次第です。

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ADHDとASD(PDD)の重複

ブログのコメントで、発達障害の診断の国際問題の指摘をいただきました。
http://www.ieji.org/dilemma/2011/10/post-359.html#comments

・ADHD(注意欠陥・多動症)
・ASD(自閉症スペクトラム障害)/PDD(広汎性発達障害)

ADHDは「行動のコントロール」の障害、自閉症スペクトラム障害は「社会性」の障害です。ブログに掲載した概念図にあるとおり、この二つの障害は併存しうるものです。

二つの障害が重なっていると考えるよりは、一つの障害像を、行動のコントロールを軸に診断した場合にADHDと診断され、社会性を軸に診断した場合にアスペルガーやPDDNOSと診断される、と考えた方が分かりやすいです。

じゃあ重なっていた場合どう診断するのか。ルールは決まっていて、国際的な診断基準では自閉症スペクトラム障害が優先されます。つまりアスペルガー症候群やPDDNOSということになります。(実際に僕の知る人もそういう診断になっています)。これは、社会性の障害のほうがより深刻だからです。

しかしながら、アメリカにおいては話は違っていて、ADHDと診断されることが圧倒的に多いのだそうです。だから、同じ人がアメリカで診断を受ければADHD、日本で診断を受ければアスペルガー、となってしまうこともあるわけです。

この違いはどこから来るのか。ブログにコメントをいただいた方は、日米の文化の差を理由に挙げてらっしゃいました。

実は、杉山登志郎先生の「発達障害のいま」を読んでいるところです。この本はここ数年の新しい知見が紹介されているのですが、その中に診断の国際差のことも取り上げられていました。それによると、この違いは日米の健康保険制度の違いに起因するのだそうです。

ご存じのように日本は国民皆保険ですが、低負担低福祉の国アメリカはそうではありません。低所得者向けに最低限の医療を提供する保険制度はありますが、ふつうはおのおのが民間の保険に加入することになります。オバマ政権は国民皆保険を目指して制度を改革しようとしましたが、議会の反対で頓挫しました。

民間の保険会社は、長期にわたって保険金を払い続けることを嫌います(それが増加すると保険会社が潰れるから)。治療薬があるなら、それを使ってとっとと治療して欲しいわけですし、結果として治療薬がある病名が好まれることになります。

自閉症スペクトラム障害の薬物治療の研究も行われていますが、まだまだ良い薬は出てきていません。一方、ADHDは抗多動薬がよく効いてくれます。塩酸メチルフェニデート(リタリンやコンサータ)。またデパケンのような抗てんかん薬も使われています。

アメリカにおけるADHDの大発生(?)にはそのような背景があるというのです。

さて話は変わって、アメリカのアディクション治療施設では28日間や30日間のプログラムを組んでいるところがたくさんあります。これに対して日本の施設では入所期間が数ヶ月から、ときには数年にも及びます。これを比較してアメリカの施設は実力があり、日本はダメだ、と言う人もいます。しかし、この28日間というのも保険会社の支払いの都合でそうなっているだけで、施設側としては数ヶ月から数年やりたいという意向を持っているそうです。実際ドーン・ファームのような有名施設でも年単位でプログラムを組んでいるわけです。短けりゃ良いってもんじゃありません。

話を元に戻して、アメリカのようにADHDが優先診断になると社会性の障害が軽視されないか心配です(そのかわり服薬が促進されるメリットがあります)。一方、日本では服薬が忌避されているんじゃないかと心配になります。

参考リンク:
(10/24)新ADHDガイドライン、就学前児童と十代後半も診療対象に
http://health.nikkei.co.jp/hsn/index.aspx?id=MMHEb1000024102011

小児の現場ではADHDが目立つのですが、小学校高学年になると落ち着きが見られるようになり、成人後は目立たなくなります。(ただしADHD特性は残る)。成人の相談を受け付けている各都道府県の発達障害者支援センターの相談内容を見ると、ADHDは少なく、自閉圏ばかりが目立ちます。

これはADHDでは、情動をつかさどる扁桃体などの成長が先行し、大脳皮質の成長がやや遅れているものが、思春期あたりに大脳皮質の成長が追いついてくるからではないか、という説を聞いたことがあります。

ガイドラインでは薬物治療を勧めていないのは、就学前の小児だけです。述べてきたように、日本では多動を伴っていても、診断名はアスペルガー症候群やPDDNOSになります。重複の場合には、ADHDの部分には薬が効くので、服薬も検討されるべきです。

素人意見なので鵜呑みにしないでいただきたいのですが、成人にはサインバルタやトレドミンのようなノルアドレナリンの再取り込み阻害薬も良い感触です。表情がスッキリし、集中力がやや増す印象。コンサータはお値段が高いので(自立支援医療が使えなければ)本人負担が大きいのが難点。

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自立支援というニーズ

少し前のの雑記で、

「どこから手を付けるべきか(その3)」
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20111013

金銭管理がうまくできないために、所持金をあっという間に酒やギャンブルに費やしてしまう人の話をしました。(いやいや、酒やギャンブルに限らないよ、買い物への浪費もあるよ、というご指摘もいただきました)。その原因として知的障害が考えられるわけです。

家族がお金を管理してくれればいいのですが、一人暮らしだとそれもできません。その場合には、他者がお金の管理をする必要が生じます。

認知症のお年寄りにも金銭管理の問題が発生しがちです。以前は民生委員やホームヘルパーが善意で対応していたことも多かったのですが、法的な裏付けや契約を欠いていたために、法的なトラブル起きてニュースになったこともありました。

各地の社会福祉協議会(社協)では金銭管理を行うサービスも提供していますが、(成年後見制度でなければ)任意であり、本人が自分でお金を管理したいと言えば、そうせざるをえません。また、療育手帳や障害者手帳を持っていなければ利用できないのも難点です。

グレーゾーンの人には使えるサービスがないのが現状です。お金を稼ぐ能力と、そのお金を管理する能力(使う能力)にはバラツキがあるのでしょう。お金の管理を誰かにしてもらえれば、就業可能な人も少なくないのです。一方で、成年後見人による着服のニュースも流れています。金銭管理を代行してくれる何らかの公的機関が必要なのでしょう。

そういう意味で「継続的な自立支援」が必要な人は少なくありません。

自立支援といえば、障害者自立支援法というものがあります。日本にはアディクションの民間施設が100以上あります。その多くが自立支援法の指定施設となっています。この給付費の仕組みを利用すると、施設利用料の9割が公費で負担されるので、利用者の自己負担を軽くすることができます。(ナイトケアは共同生活援助事業・介護事業、デイケアは生活訓練など)。もちろん施設の経営が安定するメリットもあります。この障害者自立支援法は、あくまで「福祉」の枠組みのなかのものであり、行政からは福祉施設としての機能を期待されます。

日本のアディクションの民間施設が「治療施設」ではなく「福祉施設」になっている、という指摘は以前からありましたが、2006年の障害者自立支援法の施行以降、その傾向がさらに強まっています。

数年前、依存症が対象のある民間施設で、利用者に支給されている生活保護費を施設が管理していることが取り上げられ、貧困ビジネスとしてやり玉に挙げられていました。そのケースでは施設側の金銭管理がずさんで、出納帳すら存在しないなど、責任を追及されても仕方ない面はあったものの、金銭管理の必要性について掘り下げた議論が行われることはありませんでした。だからニュースとして騒がれただけに終わりました。「なぜそうしなければならないのか」に関心が向くチャンスだったのに残念なことです。

アディクションの民間施設が、福祉施設として、利用者の社会的自立に向けた訓練プログラムを組めていればいいのですが、それができているところは少数です。施設スタッフの多くはアディクションの当事者で、特に福祉の教育を受けているわけではありません。多くの施設では、福祉の枠組みの中で、なんとかアディクションとしての「治療」を実現しようと苦闘しているのが現状でしょう。行政の枠組み・利用者のニーズ・施設の方向性にずれが生じています。

しかしながら、あえて自立支援という分野に焦点を当てて活動している人たちも少ないながらも存在します。また、最近ではいただいた名刺に社会福祉士や精神保健福祉士という「福祉」の公的資格が書かれていることもあります。また、自立支援の指定を避けることで自主性を保とうとする施設もあります。それぞれに頭の下がる思いです。

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アラノンのメンバー調査

アラノンに関する話は人気があるので、もう一つ書いておきます。

AAと同じように(アメリカの)アラノンもメンバー調査を定期的にやっています。

直近2009年のものがこちら。
http://www.al-anon.alateen.org/survey.html
2006年のものもあります。
http://www.al-anon.alateen.org/pdf/AlAnonProfessionals.pdf

今回は、この二つを元に、アメリカのアラノンがどんな姿なのか、という話です。
僕の英語力は怪しいので、以下の話でヘンだなと思ったら、上の原文を当たってみて下さい。

まず調査の方法ですが、全アラノングループの3%である443グループを選んで、16部ずつ調査用紙を配っています。回収数が665だから、回収率は10%以下です。(2006年)。

性別は、84%が女性、16%が男性。
平均年齢は56歳。35歳以下のメンバーは5%未満。60%が54歳以上。
人種は93%が白人。
学歴は、99%のメンバーが高校を卒業し、56%がすくなくとも大学を卒業しています。

40%のメンバーが雇用されていない(引退、ホームメーカー、無職)。
一家の平均年収は$71,542。17%が3万ドル以下。

結婚状況は、未婚7%、既婚58%、別居3%、離婚17%、死別7%、ライフパートナーが7%。
平均結婚回数が1.5回、平均離婚回数は1.4回。

「現在」生活に影響を与えている飲酒者のトップは夫、次が息子です。
(以上2009年)

$71,542を今日のレート(77yen/$)で日本円に換算すると約550万円。
アメリカの世帯年収の中央値は5万ドル弱ですから、それより2万ドル以上多いことになります。(日本の平均世帯年収は550万円ぐらいですが、中央値は少し低くて500万円弱)。

アメリカのアラノンメンバーで、未成年の子供がいるのは14%にすぎません。これは平均年齢56歳ということから当然でしょう。一般に子供が成人すると支出が減るので、収入も減る傾向があります(日本では子供のいる世帯・いない世帯で150万円ぐらい違う)。

アメリカは大学進学率こそ日本より高いものの、学位取得率は日本より低くなっています。

これらを考え合わせると、アメリカのアラノンメンバーは「白人で、高収入で高学歴のおうちの奥さん」という平均像になります。さらに4割のメンバーは収入がなく、他の家族の稼ぎによっていることを考えると、高収入なのはおそらくダンナでしょうか。

続けます。

・平均では12.7年の連続したメンバーシップ(連続してアラノンメンバーでいること)。週に平均1.8回のミーティングに出席し、6%のメンバーはオンラインのミーティングを使ったことがある。
・73%のメンバーはアラノンの何らかのサービス活動に加わっており、過去も含めれば91%がその経験を持つ。
・3/4のメンバーはアラノンスポンサーを持ち、半分以上のメンバーがスポンサーをやっている。
・アラノンのメンバーになって5年未満の場合、飲酒者はまだ飲み続けているのが普通だが、5年を過ぎるとその率は2割下がる。
(以上2009年)

これからすると、奥さんがアラノンに通い出しても、ダンナ(や他の家族)はすぐには酒をやめず、数年は飲み続けていることがわかります。その一方で、レポートの後半には、アラノンに通い続けることでメンバーの状況がどんなに改善していったか(おもにメンタル・コンディション)が熱心に描き出されています。

つまり、アラノンというのは「アル中の酒をやめさせる目的で奥さんや母親が通うところ」ではない、ということなのでしょう。(むろんインタベーションを学ぶ場所でもないはず)。むしろ、家族が酒を飲み続けていても、アラノンメンバーは心の平安と健康を取り戻せる、そんなプログラムだというわけです。

最近日本国内の家族プログラムにちょっぴり関心を持っているのですが、国内の家族プログラムっていうのは、「依存症者に酒や薬やギャンブルを止めてもらうために、家族が勉強する」教室になっています。そしてそこに家族が行くと、本人がやめてくれないのは、家族が共依存だからであり、イネイブリングをしているからであり、手放せないからであると責められてしまいます。それが公的機関や病院のやっている家族教室の実態です。

本人に止めさせるためという観点を離れ、やめてくれようがくれまいが、家族そのもののケアをする、という家族プログラムが日本にどれだけあるのでしょう。

最後に、2006年のサーヴェイによれば、4割のメンバーはいったんはアラノンを離れた経験を持ちますが、平均4.2年後に戻ってきています。相互援助(自助)グループとして、いったんやめてしまったメンバーが戻ってきやすい環境が必要なのでしょう。

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どこから手を付けるべきか(その4)

発達障害のことに首をつっこむようになって1年半が過ぎました。まだまだこの分野では駆け出しです。というかそもそも素人だし。(でも、素人だという言い訳はいつまでも通用するものじゃありません)。

発達障害の種類・重複概念

発達障害の種類・重複概念
http://www.ieji.org/dilemma/2011/10/post-359.html

AAのミーティングは、話をしてくれる他者の体験と、話を聞いている自分の体験を重ね合わせることが、ひとつの技法になっています。
単純な例を挙げれば、誰かが酒で家族に迷惑をかけた話をするのを聞けば、自分も以前家族に酒で迷惑をかけた経験が思い出され、その話をすると、次の人も似たような話をする・・、そうやって「どんなに家族に迷惑をかけても、酒を断てなかった自分」という共感がミーティング会場を覆っていきます。自分とまったく同じ体験をした人はいませんが、似たような体験を持った人は必ずいるものです。

AAに限らず、ピア・サポート・グループと呼ばれるピア(同じ立場の人)が集まるところでは同じ事でしょう。だから、禁酒セラピーの本の話などしちゃいかんわけです。

ところがこの共感を持って体験を重ね合わせることが苦手な人がいます。みんながどんな話をしていようが、お構いなしに自分のしたい話をしてしまいます。もしミーティングがこういう人ばかりになってしまったら、順番にてんでんばらばらの話をするだけで終わってしまい、経験と力と希望の「分かち合い」になりません。

こういう人はAAでどんな評価を受けるでしょう。「正直になれない」「自分が振り返られない」「自省ができない」。専門の医療機関にかかってもらえば、おそらく広汎性発達障害(PDD)のどれかの診断が出てくるでしょう。PDDの人は、人の気持ちを察するのが苦手なので、人の話を聞くことで過去を再体験することもやっぱり苦手です。

彼らは「圧倒的に現在に生きて」いるために、過去における感情を思い起こすことも苦手です。その割には被害体験はばっちり記憶していて、恨みの感情もきちんと存在します。ところが受けた恩義は忘れてしまっているために、恩知らずと見なされてしまったりします。

これはひとつの例に過ぎず、広汎性というだけあって、現れ方はおそらく様々です。

定型発達者であれば様々なAAミーティングに多数出席することが有効ですが、広汎性の人はそうとは限りません。むしろ、地元のミーティングに定期的に出席を続けるルーティンを守ったほうが確実です。12ステップは長年積み重ねた被害的認知を取り除くには有効でしょうが、器質の問題を解決できるわけではありません。感じられないものを「感じるようになれ」と言っても無理なことなので、グランディンの言う、テレビの外国語講座の場面を丸憶えするように、対人関係のこの場面ではこう受け答えする、という社会的スキルを学習する手助けをすることが有効でしょう。(その上で、受け答えに心がこもっていないとか非難するのは定型者のわがままだと思う)。

発達障害とアディクションの関係については、まだよく分からないこともたくさんあります。もとより、成人の発達障害が社会的に取り上げられるようになったのは、ここ数年のことに過ぎません。もちろん見えてきたこともあります。

広汎性発達障害(自閉圏)の人は「こだわり」を持ちます。ある一つの物事に興味や関心が集中してしまうことです。その「こだわり」が飲酒に向いて酒ばかり飲んでいたら、それは依存症と見なされてしまうかも知れません。AAの中でも、どうもこの人の飲酒体験はアディクションの渇望じゃなくて、自閉のこだわりなのじゃないか、と思わせる話を聞くこともがあります。その場合は、ミーティングやステップという枠組み自体がその人の問題と合致していないことになります。

実は自閉圏の人の「こだわり」は、長期に一つのことを対象にするとは限らず、関心の対象が別のことに移ろっていきます。すると、ある時期には飲酒にこだわって飲んだくれていた人が、関心が酒以外に移ろうと、もう酒には見向きもせず、飲みたい欲求すら持たなくなります(そして、また関心が酒に戻る)。こういう人は、時期が来れば簡単に酒をやめますが、再飲酒を防ぐ力は弱いものです。

どうやらアルコール依存症と診断された人の中に、広汎性発達障害の人が混じっているのは間違いなさそうです。その比率がどれくらいなのかは分かりません。また、依存症は(発達障害とはまた別の)器質的問題ですから、飲み始めたのが「こだわり」ゆえだったにせよ、二次障害の自己治療だったにせよ、大量に飲酒を続ければ、やがては依存症を併発する人も少なくないでしょう。その場合、アディクションと発達障害の重複ということになります。

ギャンブル問題の支援をしている人によれば、ギャンブル依存とみなされている人たちに発達障害を持った人が多いのだそうです。広汎性の人は視覚的な刺激を好みます。子供の頃はゲーム機を、大人になってからは液晶画面のついたパチンコやパチスロに「こだわり」を発揮します。アル中はアルコールが入ってさえいれば飲む酒の種類は選びません。同様にギャンブル依存もギャンブルの種類を問いません。しかし、広汎性の人は自分の選んだジャンルにこだわります。こういう人がギャンブル依存症とされてしまうのは、いわば誤診であり、GAや12ステップに導かれてしまうのは悲劇でもあります。むしろ、社会的スキルの習得や、就労支援を必要としているのですから。

広汎性(自閉圏)の事ばかり述べてきましたが、ADHDやLDはどうか。

実のところ、僕は純粋にアダルトADHDという人にお会いしたことがありません。ADHDを自認する人もいますが、広汎性との重複であり、その場合広汎性の問題が優越します。(アディクションそのものがややADHD的であり、ADHDオンリーの人はその中に埋没してしまうのかも知れません)。

LDについても気がつくことがあります。特にAAではミーティングで本を読むことが多いのでディスレクシア(識字障害)は目立ちます。輪読で、単語や行を読み飛ばしてしまったり、同じ行を二度・三度読んだりする人がいます。おそらくご本人は、自分は勉強が苦手だったので頭が悪いと感じてらっしゃるんでしょうが、知的レベルとは関係ないはずです。もちろんすでに社会に適応している人に「あなたLDでは?」とお節介をやくことはしません。

これまで4回に渡って「アディクションとして扱うよりは別のアプローチを」という話をしてきました。統合失調・知的障害・発達障害と続けると、次に人格障害を挙げる人もいます。アメリカの文献を見ると、境界性人格障害(いわゆるボーダー)は大量飲酒を引き起こしやすいとあり、実際そういう事例を相手に大変な思いをしている人の話も聞きます。でも残念なことに(いや残念ではないが)僕の周りにはいないみたいのなので省略させていただきます。(統合失調・知的障害・発達障害とふるいにかけていくと、最後の人格障害にはいくらも残らないのじゃないかという気がします)。

以前に比べてアディクションに対する社会の認知は広がってきました。それはうれしいことですが、その分、大酒を飲んでいれば何でもアルコール依存症、ギャンブルに没頭していればなんでもギャンブル依存症、という安易な診断や決めつけが増えてしまったのも事実です。そうして、自助グループや12ステップの押しつけが行われています。

その人がどんな問題を抱えていて、どんな苦手があって、どんな手助けを必要としているか。その手助けは12ステップやミーティングとは限りません。「見分ける賢さ」を身につけることが求められています。

最近、生活保護を受給しながら酒やギャンブルに耽る人たちを取り上げたニュースが流れていました。これまでの4回を読んでいただいた方ならば、その人たちの問題がアディクションとは限らないことに思い至っていただけることと思います。

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どこから手を付けるべきか(その3)

例外の話を続けます。

たいていどこの自治体でも、生活保護費の支給は月初めの5日あたりです。もらった保護費の全額をわずか2〜3日で酒に費やしてしまうアル中も珍しくないと聞きます。

僕は最初にこの話を聞いたときに、「それだけ酒が飲みたくてたまらんのだろう。同じ病気の人とはいえ、そこまで病気が進行すると大変だね」と、のほほんと考えていたのです。つまり、それはアルコール依存症という病気の現れ、と捉えたのです。

金が尽きたアル中さんは、福祉事務所に現れて金を無心します。そう言われたって福祉事務所の人も困るよね。そこで、現金を一括支給するのは止め、現物支給をします。お風呂券・お米券やタバコなどなど、これを一度にではなく小分けにして支給し、現金は必要最低限しか持たせないようにするわけです。仕事とはいえ、役所の人も大変です。

しかし多少なりともアディクションのことを学んでくると、この話は奇妙だと思うようになりました。

アクティブなアル中にとって、最も恐ろしいこと、最も嫌なことは何か。それは「酒が飲めなくなること」です。だから「飲む酒がなくならないように、次の酒をどうやって確保するか」を常に意識しています。次の酒が手に入らなくなるポピュラーな理由は、金がなくなることです。だから、手持ちの金でなるべく長い期間飲み続けようと、アル中は様々なことを考えます。

例えば今までは飲み屋で飲んでいたのを、酒屋で買って帰って家で飲むようになります(その方が安上がりだから)。やがて今まで飲んだことがなかったような、安酒に手を出し始めます。ホワイトリカーを水で薄めて飲むとか。

依存症も重度になってくると、渇望が強まり、我慢でそれにあらがうことが難しくなります。だから酒を手に入れるために、いい大人がコンビニで酒を万引きしたり、隣の家に侵入してその家の酒を飲んでつぶれたり、墓場の供え物のワンカップを飲んだ、という話がでてきます。

そんな事態は避けたいと思うからこそ、知恵を使い、少ない金で長く飲もうと工夫するわけです。

ところが、少なくとも数万円はある保護費を一気に使い切ってしまうからには、その人は安い酒を飲んでいるとは考えられません。飲む酒すら無くなるという決定的な戦略ミスを犯す原因は、おそらくは知的な障害です。アル中でないとは言いませんが、そういう生活に陥ってしまう原因はアルコール依存症だけではありません。なにかしら別の原因が潜んでいるものです。

知的障害というと、子供の頃に養護学校に通い、療育手帳を持っている人たちを想像するでしょう。実を言うとそういう人たちは「それなりに」恵まれています。なぜなら、国や自治体の様々な福祉施策の恩恵を受けることができるからです。

取り上げねばならないのは、障害を持っているのに知的障害と判定されなかった人たちや、それよりやや知的に高いために福祉施策の対象とされない人たちです。こういう人たちが、生活上の困難を抱えて、それを自力で解決できないなかで、アルコールを飲み続けた挙げ句に依存症になってしまうケースは少なくないと考えられます。

こういう人たちに生活保護費を与え、アルコール依存症の診断をし、二次障害としてのうつなどの服薬をさせ、AAに通わせている「だけ」では、なかなか断酒継続や社会復帰に結びついていきません。飲んではダメだと分かっていても、精神的に追いつめられると飲んでしまうのは、どのアル中にも共通のことですが、知的な問題を抱えた人たちは、生活上の障害からすぐに「精神的に追いつめられ」てしまいがちで、再飲酒を防ぐ力が弱いのです。だから、単なるアルコール依存症の援助だけでなく、生活の障害に焦点を当てた援助が必要になってきます。

彼らは知的に問題ない、と捉える人たちもいます。確かに養護学校ではなく普通学校に通った人であれば、新聞程度は(ところどころ漢字でつっかえても)読んでしまうし、まして毎日使っているAAのミーティングハンドブックはすらすら読めたりします。運転免許を持っているのも普通だし、過去にはきちんと就労していた実績を持ちます。

しかし、別種の障害があります。例えばお金の管理ができない。食料品や服の買い物ができない。ゴミの片づけができない。人に騙されやすい。困ったときに誰かに相談することができない・・などなど、「生活障害」に焦点をあてた支援がなければ、こういう人たちが社会的に自立して生活していくのは困難です。

障害者手帳や療育手帳を取って障害者枠での就労を目指すのが必ずしも正解とは限らないのでしょうが、そうでもしなければ受けられる福祉がないのが実情です。国は福祉予算を削減することばかり考えず、こうした人たちに適切な援助を提供して、就労自立に結びつけ、タックスペイヤーとしていくことも考えて欲しいものです。

(先日リカバリーパレードにも登場した)森川すいめい医師が調査したところ、ホームレスの3割に知的障害が認められたというレポートがありました。障害を抱えた人が社会の底辺に沈むのも「自己責任」なら、そこからはい上がるのも「自己責任」と社会が捉えていることがうかがえます。

先日、関東の某ドヤ街で訪問看護をやっている人たちのお話しをうかがいました。その人たちのやっていることは、前述の福祉事務所の話と同じです。お金を持たせておくと全部酒を飲んでしまう人たちからお金を預かり、毎日少しずつ渡したり、タバコを買って一箱ずつ渡したり。その話には「私たちのやっていることは、これでいいのか」という悩みも含まれていました。相手の人権を侵害している気持ちになってしまうのでしょう。

だから僕は、現実的にはそれしかないし、支持するというお話しをしました。もちろん、やっていることは問題の発生を防いでいるだけで、解決には至っていないし、それが訪問看護という枠組みの中でやるべきことだとは思えません。そこを問題として取り上げるよりも、仕事の枠組みの中で、できることをやっている姿勢に共感を表したかったのです。

気になったのは、アディクションを専門としているという人たちが、一緒に話を聞きながらも、知的障害という観点を持っていなさそうだったことです。

障害、とくに知能の問題はデリケートなものです。誰だって(これを読んでいるあなただって)知能検査を受けさせられて、挙げ句に「あなたは知能が低いですね」などと言われたくないでしょう。しかしながら、社会と個人の関係が変化するに連れて、どこまでを障害とするかの線引きも一緒に変動します。障害者というのは一種のレッテルであり、それを相手に張るのは「可哀想」と感じてしまうのは無理もありません。しかし、障害者という立場を手に入れることで、安定した就労に結びつき、その人らしく生きていけるようになった事例も紹介されています。

ことはアルコールに限りません。薬物依存でも、ギャンブル依存でも、はたまたアダルト・チルドレンの問題でも同じ事です。

アディクションに関わる人は、なかなかうまくいかない人が何らかの障害を抱えているのかも知れない、という観点を忘れずに持つようにしてほしいものです。その人の生活上の障害になっているのは何か。それがアディクションそのものなのか、別の問題が引き金となっているのか。そこを見極めることも大切です。

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どこから手を付けるべきか(その2)

アディクション(依存症)をケアするにあたって、「何が依存症を引き起こしたか」という原因は重要ではありません。「親が」とか、「社会が」という主語で語っても、依存症は良くなりません。酒を飲みながらACうんぬんの話をしても意味はないし、社会システム論はアル中本人を救ってはくれません。アディクションは原疾患であって、そのものを治療対象にしなくてはならず、「依存症を引き起こす原因」を探して取り除こうとするアプローチではうまくいきません。それが、addiction is primary disease という言葉の意味でしょう。

(もちろん、依存症の予防という観点からは意味のあるアプローチですが、予防と治療は別の話です)

しかし、何にでも例外はあるものです。

その筆頭に挙がるのは、統合失調症でしょう。

統合失調症の罹患率は約1%と、決して珍しい病気ではありません。しかし、統合失調症がときにアルコールの乱用や、ギャンブルの乱用を招くことは、あまり知られていません。

精神科医の中には、こんなことを考える人がいるようです。
十分退院可能な統合失調の患者がいるとします。しかし、今までの経過から見て、この人を退院させると大酒を飲んでしまい、そのせいで服薬や通院が不十分になって、統合失調の症状が悪化し、再び入院となってしまう可能性が高い。禁酒さえ続けば退院可能なのに、アルコールによるトラブルがあるせいで入院生活が続いている。そこで、断酒会やAAに通ってもらえば、十分退院可能であろうと。

この医者は、統合失調の症状としての大量飲酒と、アルコール依存症との違いを理解していないか、あるいは分かっていてもあえて違いを無視しているか、どちらかでしょう。

AAではニュカマーが本当に依存症かどうか確かめようがありません(きっと断酒会もそうでしょう)。飲酒の問題があれば受け入れています。しかし、飲酒を呼び起こす機序が違うために、AAは統合失調の人の再飲酒防止にはあまり役に立っていないようです。症状が悪化すれば、大量飲酒が始まってしまうことを防ぐすべはAAにありません。

大量飲酒する統合失調の人は、病気の具合が良いときは飲酒のことを思いつきもしないそうです。つまり、「禁酒維持されるなら退院可能」というのは、まだまだ入院治療が必要な状態だというわけです。

僕がAAにつながった十数年前は、幻覚幻聴(幻視と幻聴)の経験を話すアル中もたくさんいました。(アルコール依存症の5割が幻覚を経験するとされた時代は遠い昔になりました)。どちらも被害的な体験であるという共通点もありますが、やっぱり統合失調の人の妄想体験はアル中の幻覚体験とは違っています。特に作為体験(誰かに操作され、何かをさせられる)は統合失調ならではのものです。

病気のコントロールがうまくできれば、統合失調の人の飲酒問題は消失することが期待できます。グループホームへの入居や、家族による服薬管理など、環境調整を優先した方がベターです。

アルコールや薬物のグループには「向精神薬は一切飲まない方がよい」とする風潮があります。これは依存症という病気の性質を考えてみれば当然のことで、その風潮を非難してみても始まりません。しかし、依存症以外の精神疾患を抱えた人には、不幸を招くこともあります。この風潮に乗って、必要な抗精神病薬の服薬を中止してしまうと、いくらも経たないうちに病状が悪化します。

アルコールの例ばかり取り上げてきましたが、ギャンブルにも同じ事が言えます。

だから、アルコール乱用やギャンブルへの没頭があるからと、外形的な症状ばかり見て依存症と決めつけ、アディクションのグループに通わせても解決に至らない場合も多いのです。その人にとって一番必要な援助はどんなものか、を見極める必要があります。

もちろん、依存症になりやすい体質を持っていれば、統合失調の人が大酒を飲んでアルコール依存症を併発することもあり得ます。しかし、断酒例会やAAミーティングで耳を傾け、自分の話をするという治療構造にマッチするためには、統合失調の症状がうまくコントロールされている必要があり、併発の場合でも治療は統合失調優先にならざるを得ないでしょう。そうやって、病気をうまくコントロールしながらAAに通っている人も結構沢山います。

相互援助(自助)グループは薬ではありませんが、やはり薬と同様に「用法・用量を守って、正しくお使い下さい」なのです。

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どこから手を付けるべきか(その1)

病気を原疾患と合併症に分ける分類があります。

糖尿病の合併症は、腎障害・網膜障害・神経障害です。糖尿病が原因で網膜症や勃起不全になった場合、その対症療法も必要ですが、まずは糖尿病がきちんと治療されなければなりません。
原疾患→合併症という構図の場合、ともあれ原疾患の治療が大事です。

ウィリアム・L・ホワイト先生の来日公演の時も、ラリー・ゲインズ氏の講演でも、「アルコホリズム(あるいはアディクション)は primary disease である」ことが強調されていました。依存症は原疾患です。

アルコールや薬物を大量摂取すると、肝臓病や腎臓病、神経障害やうつ症状など、いろいろな合併症を呼ぶ・・・という経験的に当たり前のことを強調したいのではありません。

「依存症は(別の病気や障害の)合併症ではない」ので、依存症そのものが病気として治療されなければならない、というわけです。

ACAのビッグレッドブックはまだ全部読めてないのですが、その中に回復の段階についての話があります。それによれば、ACの回復は三つの段階に分けられます。アディクションを抱えている人は、まず最初にアディクションのケアが必要で、これには数ヶ月から数年必要です。アディクションの再発はACとしての回復の障害になるので、まずアディクションの安定化がなにより大切です。これはつまり、ACの問題に取り組む前に、AAやNAに行ってそこの12ステップをやり、きちんと酒や薬をやめてこい、ということです。二番目・三番目の段階が、ACとしての12ステップによる回復です。

アディクションとACの問題の両方を抱えている人は、ACとしての苦しさが自分に酒(や薬やギャンブル)を乱用させていると捉えがちです。だから、ACとして回復すればアディクションの問題も収まるはずだ、という誤解に基づいて、ACや共依存の問題を先に扱おうとします。そして酒がやめられない結果となります。

アディクションは原疾患であり、それがまず治療されなければならない。これが大原則です。

アディクションになりやすい体質は遺伝することが知られており、親が依存症で自分も依存症、あるいは自分の子供も依存症というケースもあります。アディクション問題が深刻なアメリカでは、夫婦揃って依存症とうことも珍しくありません。この場合、依存症の「本人」という立場と、「家族」という立場を併せ持つことになります。

両方の立場を持っている人は、(例えば)AAとアラノン家族グループの両方に通うべきなのでしょうか? アメリカのアラノンでは、回復していない本人の参加を歓迎していないと聞いています。まずAAに通って12ステップをやり、自分のアルコホリズムの問題に取り組んだ後に、家族としての回復を得るためにアラノンに来なさい、という仕組みです。「アディクションは原疾患」とすれば、これは当然のことです。また、まだ回復していない本人に来られたのでは、家族グループの意味がありません。お互いのためになりませんから。

(ちなみに、アメリカのアラノンメンバーの20人に一人はAAメンバーでもあるそうです)

日本でも物質系のアディクションのグループでは、未回復の本人が家族のグループに参加するという混乱はあまり聞きません。しかし、どうもギャンブルについては話は別です。

こんな話があります。家族の誰かがギャンブル依存症になったので、それを止めさせようと、市内のパチンコ屋を何軒も探し回っているうちに、いつの間にか自分もパチンコをやるようになって、しまいにはギャンブル資金で借金をこさえてしまった・・・。そんな状況なのに、まだ自分はギャンブル依存症の「家族」であると自認して、ギャマノンに通っていると言うのです。そんな話をいくつも聞きます。

これはもはや「家族」ではなく、ギャンブル依存症の「本人」です。ギャマノンの人たちは、こういう人たちに対して「まずGAで本人として回復してから来なさい」と導いてあげる必要があるのではないでしょうか。(中にはGAに行くとギャンブルを止めされられちゃうのが嫌でギャマノンに通っている、という人もいるのだとか、やれやれです)。

また、家族の立場でありながらも、例えば買い物依存があるのならば、「本人」としてそちらのケア(DAに通うとか)が要るものでしょう。「本人」としての部分を抱えているなら、その部分の回復をきちんとやらないと、本人としても、家族としても、どちらの回復も成し遂げられなくなってしまいます。それが最大の問題です。

アディクションは原疾患であり、まずそれに取り組む、というのが大原則です。これは、その人自身にも、グループにもメリットがあります。

だがしかし、アディクションでないならば、この原則は通用しません。例外について話をする前に、原則についての話を済ませておきたかったので、次からが本題です。これはいわば前フリ。

(ちゃんと続くか心配)

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処方薬への依存について(その2)常用量依存

依存と中毒を説明した雑記にも書きましたが、依存と依存症(アディクション)は別の概念です。依存とは身体依存のみを示す概念です。離脱症状があるからといって依存症とは限らないし、離脱症状のない依存症もあります。

常用量依存(臨床用量依存)には「症」がついていませんから、アディクションではありません。

それを説明する前に、また言葉の説明をしなくてはなりません。

午後11時に寝て朝6時に起きる、という理想的な睡眠を必要としている人がいるとします。この人が午後11時に布団に入ってもまんじりともせず、2時間ほど経って午前1時ぐらいになってようやく眠れるとしましょう。2時間も眠れずにいるのは辛いことです。するとこの人は「眠れなくなった」と考えるでしょう。

この人が医者にかかって不眠を訴え、医者がベンゾジアゼピン系の薬(例えばハルシオン)を睡眠薬として処方したとします。そして言いつけ通り10時半頃に薬を飲んで布団に入っていると、11時頃には眠れるようになりました。1週間ほど服薬を続けて、毎晩よく眠れるようになったので、薬を飲まなくなっても、やはり11時に眠れる状態に戻っている・・・これが理想的な経過です。

ところが薬を止めてみたら、夜1時にならないと眠れない元の状態に戻ってしまった・・これを「再燃」と呼びます。薬の効果が切れたら元に戻っちゃったのでまだ治療が必要だ、という分かりやすい状態です。

薬を止めてみたら、午前1時どころか、3時4時まで眠れなくなったとすれば、これは薬を飲み始める前と同じ不眠の症状ですが、それがさらに酷くなっています。これを「反跳(現象)」と呼びます。英語では rebound。ダイエットをやめたとたんに元の体重より増えてしまうことをリバウンドと呼ぶのをご存じでしょう。あれと同じです。
薬の反跳現象は一過性のものです。ベンゾジアゼピン系の場合には1〜2週間程度。その期間が過ぎれば、不眠が治っていれば11時に眠れるようになるし、再燃するにしても元の午前1時には眠れるように戻るわけです。

元と同じ症状(この場合は不眠)が出る場合は再燃あるいは反跳です。しかし、元とは違う症状が出る場合もあります。不安感が強まったり、頭痛、筋肉痛、食欲不振、知覚過敏、知覚異常などなど。てんかんの素質を持っている場合はそれが出たりします。これを「離脱症状」と呼びます。

再燃・反跳現象・離脱症状、この3つがあります。

で、アルコール依存症の人が断酒をすると、離脱症状として不眠傾向になるのは珍しくありません。そこで睡眠薬としてベンゾジアゼピン系が処方されます。それが1〜2週間で済めばいいのですが、その後もずっと飲み続けることになる場合があります(いやむしろそれが普通?)。

だからと言って処方薬依存「症」というわけではありません。それがアディクションではないのに、なぜ飲み続けているのか? それは薬をやめるとまた眠れなくなるからです。(抗不安剤として処方されている場合は、薬を止めると不安がぶり返すから)。つまり反跳現象や離脱症状を避けようとしているだけです。それを乗り越えれば、不眠や不安は解消して寛解状態、つまり治っている場合でも、長期間薬を飲み続けている場合が珍しくありません。

これを常用量依存(臨床用量依存)と呼びます(症がついていません)。

アルコール依存症の人は、元々不眠や不安を解消しようとしたのが酒の量が増えた原因だったりします。だから、睡眠薬を減量中止することで起こる反跳現象を嫌い、時には不眠への恐怖感すら持っています。このため減量による反跳不眠に強い不安を抱えます。これは離脱症状とは違うため、偽性離脱症状と呼ばれます。

常用量依存がODや依存症に発展しないのなら、何が問題なのか?

ひとつは認知機能が障害を受けることです。ベンゾジアゼピン系の中止前と後で、記憶機能の検査を行うと、断薬後のほうが記憶機能が改善します。

少し話がそれるのですが、WISC-IIIという知能検査があります。このIQの数値は、言語性(VIQ)と動作性(PIQ)に分けられますが、それぞれにさらに下位項目があります。人によってIQは高い・低いの違いがあるのは当然ですが、VIQ・PIQも下位項目もそれなりにバランスが取れているのが普通です。グラフを描くとほぼフラットになります。ところが発達障害の人の場合、このバランスが崩れしばしば凸凹が出現します。認知機能や処理能力にバラツキがあることがわかるわけです。

ところで、定型発達の人でもベンゾジアゼピン系の薬を飲んでいると、この凸凹が出現することが知られています。おかげで薬を飲んでいると、凸凹が薬のせいなのか発達障害のせいか、これだけでは判断できなくなってしまいます。このことは、薬が認知機能や処理能力に影響を与えることを示しています。

睡眠薬や抗不安剤を飲んでしばらくは、昼間もふらつきやめまいを感じた人は多いと思います。これは反射的な運動機能に影響しているわけです。しばらくするとめまいを感じなくなるのは、耐性が形成されたためです。前述の認知機能についても、耐性の形成により影響がなくなるのじゃないか、と期待されたわけですが、影響は長期的に残ります。

ベンゾジアゼピン系を飲んでいる人は、飲んだのが前夜ですでに作用がきれていても、昼間からどよよーん、ぼややーんとしたぼやけた印象を与えることが多いものです。これは認知機能や処理能力の低下が現れたものでしょう。だからわざわざ聞かなくても薬を飲んでいることは分かります。

もう一つは不安に対して不安剤として使っている場合です。長期服用者の場合、断薬することでむしろ不安が軽減することは珍しくありません。服薬のメリットよりデメリットのほうが大きくなっているわけです。また、注意力や集中力が断薬によって向上するという報告もあります。

すでに元の症状は寛解しているにもかかわらず、断薬による反跳や離脱症状を避けようと服薬を続け、それによって様々なデメリットを被っていることがわかります。これが常用量依存のデメリットです。

もちろん薬を飲み続けることが必要な人もいますから、飲むこと・やめること、それぞれのメリット・デメリットを考える必要があります。

(続く)

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プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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