医学の価値+宗教の価値=AAの価値?

英語のAAの文章を読んでいると、時々 coincidence という言葉に出会います。インシデンスは発生という意味です。co というのは「一緒に」という意味ですから、コインシデンスは「同時発生」あるいは「偶然の一致」という訳になります。

この言葉がAAの歴史に対して使われる場合には、12ステップの成立に先んじて起きたさまざまな出来事に対して使われます。もしその出来事が起きなかったら、AAが成立しなかった、もし成立していたとしても今とは全く違った姿をしていただろう、という出来事を指して使われます。

ローランド・ハザードが会いに行ったのがカール・ユングだったこと。これも coincidence のひとつです。

当時のヨーロッパには他にもジークムント・フロイトやアルフレッド・アドラーがという精神医学の権威がいたにもかかわらず、なぜかハザードはユングを選びました。僕は精神医学に詳しいわけではありませんが、フロイト、ユング、アドラーの3人の中で、唯一ユングだけがスピリチュアル(霊的)なことの価値を認めていたと言います。ハザードがユングを選ぶ偶然がなかったら、AAは成立しなかったわけです。

ビル・Wが、1930~40年代のアメリカの状況について、こう書いています。

> 精神医学のいくつかの学派を代表する探究者たちの問には、この新しい発見の真の意味をめぐって、当然、かなりの意見の相違があった。一方でカール・ユングの弟子たちは宗教的信仰に価値と意味と現実性とを認めていたが、当時の精神医学者の大多数はたいてい、ジークムント・フロイトの説を固守していた。その説とは、宗教は人間の未熟さゆえの苦しみを和らげる空想であり、人が近代学問の光の中で成長したときには、もはやそのような支えは必要としないであろう、というものだった。(『AA成年に達する』 p.4)

ビル・Wは、彼自身がAAの原理を創造したのではなく、医学と宗教から考えを借りて作り上げたに過ぎないと言っています。結果としてAAは医学でもなければ、宗教でもない存在になりましたが、AAの源流が医学と宗教の両方にあることは強調しておきたいところです。

AAは、医学という点ではカール・ユング、ウィリアム・シルクワース、ハリー・ティーボウらの、宗教という点ではリチャード・ブックマン、エドワード・ダウリング、サミュエル・シュメイカーらの影響を受けています。

AAの価値を理解するためには、医学の価値と宗教の価値の両方が分かっていなければなりません。多くの人は医学の価値を認めています。なぜなら、幼い頃から医者にかかったことがない人はまずいませんから、誰もが医学の世話になって、何らかのかたちで自分が救われたという経験を経ているからです。医学の価値は経験的真実として皆の身に沁みています。

ところが、宗教によって何らかのかたちで自分が救われた経験を持つ人は、(少なくとも現代の日本においては)かなり少ないのです。なぜなら困ったときに宗教の世話になろうという人が少ないからです。

戦前の日本について当時の外国人が書いた文章を読むと、日本人はたいそう信心深い民族として描かれています。現在でも街のそちこちに神社仏閣という宗教施設がたくさんあり、人々は誕生・結婚・出産・死亡という節目に、さらに年始にまで宗教施設を訪れて熱心に祈りを捧げています。そのように極めて信心深い民族であるにもかかわらず、今の日本人は宗教を頼ろうという意識は薄く、むしろそれは危険であるとすら感じる人が目立ちます。

戦前は内面でも行動面でも信心深かった日本人が、戦後になると行動面では信心深いものの、内面では宗教を忌避するようになったのはなぜか。それは敗戦後の日本を占領したGHQの方針によるそうです。

GHQは占領政策として、対米戦争を支えたさまざまな仕組みを解体したり、統制の対象としました。その中には宗教も含まれていました。なぜならば宗教も戦争遂行に協力したからです。その点は、神道だけでなくキリスト教その他も同じでしたが、やはり目立ったのは国教とされていた国歌神道でした。神道指令によって政教分離が図られ、同時に国民に信教の自由も与えられましたが、日本人にとって敗戦は新しい宗教への移行の機会ではなく、むしろ宗教を信じることの失敗体験として世代の記憶に刻まれることになりました。

そんなわけで、戦後生まれの僕らは、宗教によって自分が救われたという経験を持ちません。医者を頼って何らかの困難から救われた人は(例えその困難がインフルエンザ程度のものだったとしても)、医学の価値を認めます。その人にとってその救済は経験的真実であって、他者が何と言おうと否定できないものだからです。

宗教を信じている人は、信じることによって困難から救済された経験を持っています。その人にとってその救済は真実ですから、当然宗教の価値を認めます。しかし、はなから宗教を試してみようとしない現在の平均的日本人は、困難から救われた経験を持たないわけですから、その価値を認めることがなかなか難しいのです。

(つまり、人間は自分が経験していないことの価値を認めることは難しく、それをするためには意識的な努力が必要なのでしょう)。

AAは医学でも宗教でもありません。しかし、その両方から考えを借りています。だから、AAの価値を理解するためには、医学の価値も、宗教の価値も分かっていないとなりませんが、後者の条件はちょっと難しいのかもしれません。

ビッグブックの第4章にこうあります。

「自分を超えた偉大な力への信仰と、その力によって人生に現れる奇跡は、人類が始まってからずっとあったのだ」(AA, p.80)

医学や精神医学や心理学は、多くの人を困難から救ってきました。しかし、近代にそうしたものが登場する以前から、信仰は多くの人を困難から救ってきました。そして、現在でも信仰は多くの人を救い続けています。医学や心理学だけが人を救いうるわけではない、当たり前の話ですが。

AAは常任理事会という執行機関を持っている、という話を前の雑記で書きました。常任理事会にはA類(Class A)と呼ばれる「アルコホーリクでない人たち」が混じります。多くの場合、アルコール医療に関わる専門職の人にお願いしています。それだけでなく、海外では宗教家にA類をお願いしている例が多いのです。このことはAAが医学と宗教の両方に立脚している事実からすれば自然なことです。

しかし、日本のAAでは(僕の知る限り)過去から現在まで宗教家にA類常任理事を依頼したことはありません。これも日本の社会が日本のAAに与えている影響のひとつでしょう。AAも社会の中に存在する以上、社会の影響を受けるのは当然ですが、あまり医学の側に偏りすぎるのも心配です。

AAは宗教ではありませんが、人間(やその集まり)を越えた偉大な力を信じることが含まれています。12ステップの再興運動が何年も続いた結果、最近では「私は12ステップをやった」と言う人もずいぶん増えてきました。しかし中には本当に12ステップに取り組んだかどうか怪しい人もいますね。もしその人が、12ステップを通じて「神によって自分の人生が救われた」という経験を持つなら、12ステップがその人に効果を現したと言えるでしょう。

宗教や信仰によって救われた経験を持たない人が、宗教・信仰の価値を認めるためには、知性の働きが必要です。けれど、わざわざ難しく考えなくても、実際に経験してみればよいのです。普通の人は、経験をするために宗教に入ってみようとは思わないでしょうし、そんな深刻な困難も抱えていないことでしょう。だが、アルコホーリクであれば、アルコホリズムという深刻な困難を抱えているわけですから、12ステップに取り組んで経験してみる、というのもひとつの手だと思います。

信州の山村には「医者どろぼう」という言葉があったと聞きます。医療が現在ほど進歩も普及もしていない頃、山村で病人が出ると里まで医者を呼びに行かねばなりませんでした。そうやって大金をかけて医者を呼んでも結局は助からない病人が多かったので、医者を金だけ取る「どろぼう」と呼んだのでした。医者によって困難から救われなかった村人達は、医学の価値を認めることはありませんでした。やがて誰でも良質の医療によって救われうる時代が訪れましたが、村の老人達は命に関わることであっても医者にかかることを拒否し、説得に耳を貸さなかったそうです。価値を認めないとはそういうことです。

霊的なことについて、あるいは信仰について、その価値を認めない人はたくさんいます。医療を拒む山の老人達とかぶります。宗教の立場からその価値を発信する人はたくさんいますが、非宗教の立場から価値を発信する人がいてもいいかな、と思うのです。

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AAを統治するもの

AAには統治機構はありません。他のメンバーやグループに命令を発することができる人は誰もいません。

AAも、国や自治体のように、三権分立になっています。まず評議会という決議機関があります。これは国や自治体で言えば議会のようなもので、選挙で選ばれた代表が集まって方針を決めます。日本のAAの場合にも20人の地域選出評議員がいます。

内閣に当たるのが常任理事会です。そして内閣が政府を設置するように、理事会もJSOというオフィスを構えてサービス活動をやっています。

評議会も理事会も、メンバーやグループに命令を発することはできないのです。そこがよく誤解されるところです。ビッグブックやミーティング・ハンドブックには「12の概念」が載っています。普段あまり注目されることはありませんが、その12番目に書かれていることは「6つの遵守事項」と呼ばれて、とても大事なことだとされています。

その中には、評議会は「他のメンバーに対して絶対的な権威の地位に着く」ことがないとか、個人を罰したり、「政府の役割」をしないという項目があります。同じことは理事会にも当てはまります。

理事会というのは、AAメンバーやAAグループを統制をする側ではなく、(評議会機構を通じて)AAグループから統制を受ける側なのです。

だから、理事会といえども、AAメンバーやAAグループに対して命令を発することはできませんし、従わない人を罰することもできません。ただ穏やかな「お願い」をして自発的な協力を求めることができるだけなのです。

オフィスには数人の職員がいるだけですし、それに理事会のメンバーを加えても全部で十数人にしかなりません。そんな少人数ではAAのゼネラルサービス活動を全部まかなうことはできませんから、そこで「お願い」をして、様々なAAメンバーの自発的協力を求めます。命令して人を動かすことをしなくても、協力のお願いだけで、多くの人が自ら進んで時間や労力を割いてくれ、これまでなんとかやってこられたわけです。

理事会はそうした「お願い」が無視されたとしても憤ることはありません。例えば、2015年に横浜で40周年集会を開くために、メンバーやグループに追加の献金の「お願い」がありました。お願いをしても、追加献金に協力してくれるのは一部のグループだけです。応じてくれないグループやメンバーに命令を下したり、罰したりすることはできません。お金の集まりが悪く、これでは足りないと思ったら、追加で「お願い」をするだけです。

ところで、AAのミーティングでAA以外の本を使うことについてはどうでしょう。各グループがミーティングでどんな本を使うかについて、評議会や理事会が何らかの見解を発表したことはありません。ただ一つ、数年前に、病院メッセージなどAA外部にて行うものについては、AAの本を使うように、という「お願い」が出されたのみです。これはAAのことを外部に知らせる場合に、個人の見解ではなく、AA全体の共通した見解を伝えて欲しいからです。

これもまた、その「お願い」に応じてくれないグループやメンバーがいたとしても、それを問題として取り上げることはありません。もし事態が深刻化すれば、なんらかの「お願い」を追加することはあるかもしれませんが、今のところそんな心配は要らないでしょう。

12の伝統の4番は、各AAグループの主体性が尊重されるべきだ、としています。ここで主体性と訳されていますが、autonomous は「自治権を持っている」という意味です。各AAグループは自治権を持っているので、自分たちのことは自分たちで決められます。

理事会(や他の委員会)の求めに応じて追加の献金をするかどうか、ミーティングや病院メッセージでAAの本を使うか、あるいは他の何かの本を使うか、そのほかのもろもろも、そのグループが決めることです。

こうして見ると、AAはメンバーもグループも「やりたい放題」できるのではないか、とお思いになるかもしれません。だって、評議会という決議機関も、理事会やオフィスという執行機関もあるのに、三権分立の一つ柱である司法機関がないですから。

しかしAAメンバーにも、AAグループにも「見えない強制力」が働いています。その強制力とは「ボトルの中に隠れてやってくるもの」(『ビルはこう思う』134)です。AAメンバーは、12のステップに象徴されるAAの回復の原理から極端に外れればやがて飲んでしまうでしょう。同じように、AAグループはAAを一つの共同体に保っている一体性の原理(12の伝統に象徴される)におおむね従っていかなければ、存続していくことができません。もし、グループがばらばらに分解して存在をやめてしまったら、その支えを失った多くのメンバーは再び酒に戻ってしまうでしょう。AAにいる誰でも、極端に自分勝手なことをすれば、アルコールによる報いを得る可能性があります。

このような強制力があるので、AAには個人を罰する仕組みは必要ない、というのがAAを作った人たちの考えでした。(だからこそ、そうした強制力が働かないアルコホーリクでない人がメンバーがAAに加わっては困るとも言えます)。

12の伝統の1番目では「全体が優先される」とあります。伝統1の「全体を優先する」ことと、伝統4の「グループの自治権」は時に相反します。12の伝統は何番が何番に優先する決まりはありません。だから、相反した場合には、どちらが優先されるべきか「個別のケースごとに」よく考えて判断しなければなりません。

個別のケースごとに判断が必要なるのであれば、それをルール化することはできません(ルールというのは個別判断が要らないように作るものですから、個別判断が必要ならルールは作れません)。追加の献金が必要だからと各グループに献金額を割り当てることもできません。この本は使ってもオーケーで、この本はダメとかも決められません。そうしたルールを決めて、盲目的にそのルールに従うのではなく、一件一件のことについて、頭を使って考えることをAAプログラムは一人ひとりに要求するのです。

AAは人によって統治されているのではなく、ルールによって統治されているのでもなく、原理によって統治されているのです。

人によって統治されているのなら、自分の頭で考えなくても、その統治者の判断に従えば良い。ルールによって統治されているのなら、自分の頭で考えなくても、そのルールにただ従うだけで良い。けれど、原理によって統治されているのであれば、毎回自分の頭で考え、自分で判断しなければなりません。自分で判断することなのですから、もし結果が悪かったとしても、誰を責めるわけにもいきません。

ルールではなく、原理を求めて下さい。

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信じることについて追加(長いよ)

前回「信じる」ということについて雑記を書きました。そうしたら、結構反響が大きく、質問や相談を投げかけられました。それらにひとつひとつ答えるのではなく、まとめて雑記に書くことで答えたいと思います。

「信じる」ということは、12のステップではステップ2にあたります。ステップ2の話をする前に,簡単にステップ1の話を済ませておきましょう。

ステップ1は「無力を認める」ステップです。具体的には、私たちにはアルコホリズムという問題があり、その問題を「自分では解決できない」と認めることです。

例えば、あなたが自動車を所有していたとします。ある日、あなたが車に乗ろうと乗り込んでイグニッションキーを回しても、エンジンがかかりません。車が故障しているのです。それがガス欠とかバッテリー切れのような単純な問題ならいいのですが、最近の自動車は高度なエレクトロニクスが使われていて、そのあたりが壊れると素人ではどうしようもありません。

あなたは自動車の修理を「諦め」ます。つまり自分の力では解決できないと認めるステップ1です。

同じことはパソコンにも言えます。パソコンを使おうと電源スイッチを入れたのに画面が真っ暗で起動してくれない。そうなったら修理に出すしかないではありませんか。スマートホンでも同じです。自分の力で解決できなければ、車ならディーラーへ、パソコンやスマートホンならショップに修理を依頼するでしょう。

同じことはアルコホリズムにも言えます。この場合の問題は「自分の力では酒をやめられない」ということです。自分では問題を解決できない=自分の力では再飲酒を防げない、ということを認めることです。自動車やパソコンが壊れた時みたいに簡単に認めることができればいいのですが、アルコールのこととなると簡単ではありません。なぜなら人間にはコントロール欲求があり、自分の力で何とかしたいと思うからです。

僕は技術者なので、自動車やパソコンが故障しても、まず自分の力で解決したいと考えます。ボンネットを開けたり、パソコンの裏蓋を開けて、ごそごそやります。時にはうまく直るときもあります。「どうだい、見てくれ、俺ってすごいだろう!」

ところが、一見直ったように見えても、また同じところが具合悪くなったり、たまたま動いただけだったりします。するとまた故障がぶり返します。その度に僕は時間を使って修理し、何度も繰り返した挙げ句に、うんざりして妻にこう言います。

「諦めたよ。やっぱり修理に出そうと思うんだ。しばらく自動車(あるいはパソコン)なしの不便をかけるけれど我慢して欲しい」

そうすると妻はこう返事をするでしょう。

「最初からそうして下されば良かったのに。そうしていれば、もう今頃修理から上がってきたはずじゃない」

いやいや面目ない。最初から意地を張らなければ良かったのですが。

アルコールでも同じことが言えます。自分の力で断酒をしようとします。時にはそれが何ヶ月、何年と続くこともあります。もしその人が自力断酒で一生を飲まずに過ごせるなら、こんなに素晴らしいことはありません。だが大半の人が再飲酒をします。何年か断酒した後に再飲酒する人も少なくありません。

その人は飲んでしまった原因を自分なりに探して、その対処をし、また自力で酒をやめていこうとします。そしてまた飲む。そんなことを繰り返していきます。それを何日、何週間と短く繰り返す人もいれば、何年、十何年という長い周期で繰り返す人もいます。何が問題なのか?

そもそも「自分の力で問題を解決できる」と考えたのが間違いであり、それが再飲酒の原因なのですが、人はなかなかそれに気がつきません。でも、最後の最後にはそれに気がついて、奥さんにこう言うでしょう。

「諦めたよ。自分の力では無理だ。やっぱりAAとかハイヤーパワーに自分をまともにしてもらおうと思う」

おそらく奥さんは、こう返事をするでしょうね。

「最初からそうして下されば良かったのに」

まだ奥さんがいれば、の話ですが。意地を張らなければ奥さんに余計な苦労をかけることもなかったのに。最後まで自力解決を諦められずに、酒で死んでしまう人も多いのです。そういう人に比べれば、生きているうちに「諦め」ることができた人は良かったと言えます。

僕は自動車やパソコンを修理しようとしているときは、それに没頭します。なにしろ、動いてくれないと困るからです。修理に取り組んでいる間は、その時間にする予定だった仕事や趣味には取り組めません。本来やるべきことや、やりたいことがほったらかしになってしまいます。

アルコールでも同じです。自分の力で酒をやめようとしても、やがて飲むことに時間を費やす状態に戻り、入院したり、施設に入ったりしてまた時間を使います。その人が本来生きるべき人生が生きられなくなります。それだったらまだAAに時間を使うほうが、本来生きるべき人生が生きられます。

要するにステップ1というのは、壊れてしまった自分を自分では修理できないと認めることです。どこが壊れたかといえばアルコールに関する部分です。自分で修理できないと諦めたら、自動車やパソコンを修理業者にまかせることができます。アルコールも同じです。壊れてしまった自分を修理できる存在(自分より偉大な力)に委ねるのです。(ただその委ねる手順=ステップ3~12が少々面倒なんだけどさ)。

あなた自身は最後まで自分の力で自分を修理したいと思うかも知れません。でもハイヤー・パワーがあなたを直してくれても、誰も困りはしませんよ。

 ・ ・ ・

さてステップ2の「信じる」に戻ります。ステップ2の「信じる」は、100%信じていることではなく、疑いが含まれています。

あなたが自動車やパソコンを修理に出すとき、実は100%修理できるとは思っていないはずです。時には電話がかかってきて「お預かりした品は修理不能です」と告げられることもあります。修理に出すときには、「直ると良いな」と期待しながらも、「ひょっとしたら修理できないかも知れない」という疑いも含まれているのです。100%信じていなくてもあなたは修理に出すでしょう。

「信じる」とはそのように疑いを含んだことなのです。人は時にはほとんどが疑いで占められていても、ほんの小さな可能性を信じて行動を起こすことがありあす。前にも例を挙げましたが、宝くじに当たる確率は極小ですが、人は宝くじを買うでしょう。行動を起こすのに、100%(あるいは100%近く)信じる必要はないのです。

(お陰様でAAは宝くじほど確率は悪くありません。いずれ翻訳して紹介しようと思いますが、AAの長期的な成功率はゆうに5割を越えているという論文があります)

さて、ステップ2では「自分を超えた大きな力」だとかハイヤー・パワーと呼ばれるものが、自分を修理してくれると信じるわけですが、当然そこには疑いが含まれています。自分は修理不能で回復できないかも知れない。それでも、修理してもらえる可能性を信じてみるしかありません。信じて行動を起こさなければ、壊れたままの自動車、壊れたままのパソコン、壊れたままの自分を目の前にして途方に暮れるしかないのですから。自動車やパソコン無しでも暮らしていけるかも知れませんが、自分無しでは人生が終わってしまいます。

さて、ステップ2では「自分を超えた大きな力」と言っています。「自分のを越えた大きな力」は実は二つあります。

一つはAA共同体です。AA共同体にはたくさんのAAグループがあり、たくさんのAAメンバーがいます。日本のAAではそれをよく「仲間の力」と呼んでいます。人の集まり(共同体)には力があるのです。

「私はAAのミーティング以外ではAAの本は読まない」という人がいます。その人が一人の時にAAの本を読まないのは本当でしょう。でも、AAのミーティングでは本を輪読することが多いので、その人もミーティングでは本を読むでしょう。これも一人ではできないことを、共同体が可能にする一例です。その人にとって、AA共同体は「自分を超えた大きな力」に間違いありません。

集団の力は様々な面でAAメンバーに及んでいます。僕が遠くの街へ出張に行き、そこでAAミーティングに出ると、今までまったく知らなかった人たちとの間に共感を得ることができます。これも共同体が私たちのソブラエティを支えてくれる一面です。決して一人ではできないことを可能にする「自分を越えた力」です。

ビギナーは、とりあえずこの共同体を「ハイヤーパワー」にして良いと言われます。

> あなたが望むなら、AAそのものをあなたの『偉大な力』にすることもできます(12&12 p.38)。

この集団の力というのは実に分かりやすいものです。AAの外から見ても、おそらく分かりやすいのでしょう。なので、

「共同体の支え(仲間の力)がAAのすべてだ」

という誤解が生まれやすいのです。特にAAの共同体の力は強力です。日本には5,000人しかいない、と言っても全都道府県にいるし、イベントをやれば50人・100人はすぐに集まります。2015年に横浜で行われる40周年集会には2,000人集めようなんて言っているみたいですが、あながち無理とも言い切れません。

アルコホーリク(AAのメンバー)は、他の12ステップ共同体のメンバーに比べて12ステップへの取り組みが甘いと言われていると聞きました。確かに、AAは日本の12ステップグループの中では最大のメンバー数を誇っていますが、AAメンバーの12ステップへの取り組みは、他のいくつかの小さな共同体に比べれば甘いと言えます。それは、AAはサイズが大きいだけに共同体から得られる力が強く、それがAAメンバーがもうひとつの「力」である12ステップに頼ろうとしない原因にもなっているのだろうと思います。

メンバー数が少ない共同体では、得られる「仲間の力」も小さいので、一人ひとりが懸命に12ステップに取り組まなければ個人もグループも生き残っていけません。それが小さい共同体のほうが12ステップに真剣になり得る理由でしょう。AAも最初は小さな共同体であり、ビル・Wやドクター・ボブや他の仲間たちは、「おぼれる者が救命具にすがりつこうとする真剣さ(12&12, p.31)」で12ステップに取り組みました。ところが、アメリカでAA共同体が大きくなっていくと、やはりプログラムが薄められてしまったと言います。

日本のAAでも、ロングタイマーから「俺たちの頃は真面目だったのに」の類のグチを聞かされることがあります。そりゃまあ、厳しい環境が人を勤勉にさせていたのでしょう。そう言うロングタイマーたちが今の恵まれた(?)環境のAAにつながっとしても、同じように真剣に12ステップをやったでしょうか。

ただ、共同体の力(仲間の力)には明らかに限界があります。最近AAメンバー数の伸びが鈍化しているのは、共同体の力だけに頼った限界が来ているのではないでしょうか。より一層AAが広がっていくためには、もう一度12ステップの力をAA全体に取り戻さなければならない、と考えています。

仲間のおかげで幸せなソブラエティを過ごしている、と言っている人の口に12ステップを押し込みたいとは思いません。けれど、あなたがAAにつながっていても、何かしら不全感が拭い去れないようなら、おそらく12ステップに取り組んだ方が良いでしょう。

AAでは「自分を超えた大きな力」をハイヤーパワーあるいは神と呼んでいます。人はハイヤーパワーではないし、人の集まりであるAA共同体もハイヤーパワーではありません。最初はそれでも良いと言われますが、12ステップを進めるうちに、その限界に気付かされるでしょう。

> 一部の新しい人たちや、まだAAグループを「ハイヤー・パワー」にしているかつての不可知論者たちにとっては、祈りに力を求めることなど、(略)、なお納得できないものであり、不愉快なものだろう。(12&12, p.126)

12ステップはどのステップも人の意志をくじく面があります。だから、ステップの途中で立ち止まってしまうのが普通です。そんな時に目の前のステップに取り組むには意欲が必要です。ところが、やる気というのは作り出すのが難しいものです。そういうときには「意欲を与えて下さいと」祈ることを提案しています。AA共同体をハイヤーパワーにしている人にとって、形だけでなく、真剣に祈って力を求めるのは難しいことであり、ステップが途中で止まってしまう原因です。

> おそらくどのような人間の力も、私たちのアルコホリズムを解決できないこと(AA, p.87)

これはAAのミーティングハンドブックにも掲載されている文章で、AAミーティングに出席すればしょっちゅう耳にする言葉です。「どのような人間の力も解決できない」問題を、「仲間の力」が解決できるわけがありません。壊れたあなたを仲間は修理できません。

そうなると、ハイヤーパワーとか神様って何だろう? という疑問にぶち当たることになります。その疑問にはちゃんと答えが用意されているのですが、だがそれにはまず、「自分の力」による解決を諦め、また「仲間の力」による解決も諦めねばなりません。それはそれほど難しいことではありません。車やパソコンが壊れたときにやっているのと同じことなのですから。

俺とポンコツ車とメカニックの12のステップ

あるNAメンバーが12ステップについて語るビデオを拝見しました。彼は「NAはself helpではなく、Higher Power helpなんだ」と言ってました。仲間の力を借りて自分で問題を解決しようとする人にとってはself helpなのでしょう。でも12ステップグループは自分で問題を解決するところではないのですよ。

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プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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