翻訳企画:AAの回復率(その10)

翻訳企画:AAの回復率(その10)

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g) AAメンバーの構成と成長の動向

1937年10月、オハイオ州アクロンで、AAの共同創始者であるビル・Wとドクター・ボブが会った。『AA成年に達する』によれば、この時二人はその時点でのメンバー数についてのお互いの「メモを見比べた」。40人以上のアルコホーリクが酒をやめていた(そのうち20人は1年以上経過していた)。その全員が以前は絶望的だと診断された人たちだった」。この会合での話題はさまざまだったが、やがてアクロンからもニューヨーク周辺からも離れたところにいる人たちのために、経験を述べた本を作る提案へと導かれた。この経験を書いた本がAAの『ビッグブック』である 31。そして後にビル・Wが書いた『12のステップと12の伝統』の中で彼はこう述べている。32

31. 『アルコホーリクス・アノニマス成年に達する』p.219-223 (C) AAWS, inc
32. 『12のステップと12の伝統』ステップ1 p.31

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私たちの仲間がまだ少なかったときに発刊された『アルコホーリクス・アノニマス』の初版本が、どん底のケースばかりを取り扱っていたわけはここにある。それほどひどくないと思っていたアルコホーリクもAAに来たが、自分がどうしようもない状態だと認めることができなかったために、うまくいかなかった。

ところが驚くべきことに、それから数年で、事情がすっかり変わった。まだ元気で、家族もいて、仕事も失わず、そのうえガレージには車が二台もある、といったアルコホーリクたちも、自分のアルコホリズムを認めはじめた。この傾向が広がって、まだほとんど潜在的アルコホーリクと言ってもよいような若い人たちも加わった。この人たちは、私たちが通った、文字通り地獄の十年ないし十五年を経験しないですむように・・・。
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次に掲げる表は「AAメンバーシップの発展の傾向」と「AAグループとメンバーの推定数」である。1954年以降の数字はゼネラル・サービス評議会の最終報告書から得た。1954年以前のデータは、Grapevine誌1953年5月号に掲載された「How Many AAs?(AAメンバーは何人いるのか?)」という記事から取った。その記事にはこう述べられている。

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最初の100万人が最も困難であるとするなら、アルコホーリクス・アノニマスはすでにその仕事の8分の1を成し遂げている・・・世界のメンバー数はすでに100万人の8分の1を超えた。正確に言うと、1953年の世界グループ一覧によると、メンバー数は128,361人となっている。

ではあるものの、AAメンバー数の正確な統計は決して得られないものだ(強調追加)。一人ひとりのメンバーの無名性を守るためには、メンバー全員の名簿などは作れない。最新のメンバー数の数字は、世界の58ヶ国の5,243グループと127人の「ローンナー」からの報告に基づいている。観察眼の鋭いメンバーならば誰でも知っているが、グループの活発なメンバーの数は常に変動しているし、「いつメンバーになるのか(“when is a member?” [sic])」の解釈によっても数が違ってくる。さらに加えて、多くのグループがメンバー数の毎年の報告を送り損ねている。

他にも予測できないパターンを持った変動要因がある。それはさまざまなグループで使われている「人数の数え方」である。あるグループは、定期的にミーティングに参加し、自らそのグループのメンバーだと表明する人を数えるべきだと提案する。およそ3ヶ月の間、ほぼ定期的にしらふで姿を見せている人全員を数える、とするグループもある。集まった献金の平均額を適当な額で割って人数を求めているグループもある。悪天候の日に参加する人だけ数え、12ステップコールへの参加を拒む人を外し、いつでも掃除や皿洗いを引き受ける意欲のある人だけ数えるという提案もある。また、権威のある提案ではないが、ミーティングの後で残されたタバコの吸い殻を数える方法もある。

ゼネラル・サービス本部は「政府」の役をするような指示やルールや規則などを発行することはない。だから、AAの年次調査は、それぞれのグループが安定した中心的メンバーの数としてセクレタリから報告される数を、それが多かろうと少なかろうと、忠実にそれらをすべて集計したものである。ニューヨークでは4人のスタッフが新しいグループ一覧表を作成するために、3ヶ月にわたって、数千枚の情報カードと、必要な情報を提供しようと望むグループから送られてきた数え切れないほどの手紙を処理している。
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現在に至っても、AAの持つ自治性と無名性という性質が、精密な調査結果を導き出すことを極めて難しくしていることに変わりはなく、本質的に不正確なものである。

以下の表4と表5内のデータは比喩的なものであり、文字通りに解釈すべきものではない。数字は実態より低く見積もられている。グループのメンバー数は、AAWS/GSOのリストに掲載されるように要求したグループのものだけを数えている(非常に多くのグループがリストへの掲載を望まない)。メンバー数の推計を送らないグループもあり、時間が経っても以前に送った推計を更新しないグループもある。メンバーが複数のグループでカウントされることもありえるし、数の表現も「報告」であったり「推計」であったり何度も変更された。これらのデータは注意深く、懐疑的に、かつ正しい文脈で解釈されなければならない。

AAは約150ヶ国にある(海外には50のGSOがある)。AAWS/GSOは彼らのリストへの掲載を要求してくる他のGSOやグループからデータを得る。現在のデータが得られない場合には、以前の数字が用いられる。報告を送ってこないグループのメンバー数の推定には、報告を送ってきたグループの平均値が使われる。そもそも、こうした数字はせいぜい良く言って「曖昧」であり、間違った結論を避けるためにも解釈には用心が必要である。このデータからは特定の年の増加あるいは減少を正確に測ることはできない。ではあるものの(不正確ながら)、AAグループがより多くの場所に広がり、より多くのAAメンバーが回復していることを10年単位の傾向で示すことはできる。

表4: AAメンバー数 増加の傾向

33. AA最初のグループ「アクロン#1」は1935年7月4日に始まった。これは3番目のAAメンバーであるビル・Dがアクロンシティ病院を退院した日である。
34. %の数字があまりに大きく、前後関係からして並はずれているので n/a を表示した。

1979年には海外の数値が見直され、1978年の倍になった。1993年と1994年には、アメリカ/カナダGSOの計数方法と記録システムに大きな変更が加えられた。「ミーティング」と表現され「グループ」と見なされないグループの数は、それ以後は含まれなくなった。こうした「ミーティング」(典型的なのは「アルコールと処方薬」や「家族向け」など特別な目的のためのもの)は、前年までのデータには含まれており、数値を膨らませていた。1993年と1994年の改訂は、AAメンバー数の前年よりの急激な減少としてしばしば誤って引用されるが、実際にはGSOの計数方法と分類の管理上の変更を反映しているに過ぎない。

長年のあいだ、GSOでは彼らが正確な総数と信じる「推定数」を発表してきた。この「推定数」は報告を集計したデータより大幅に多い(時には3倍)。また、各年の基準月に一貫性がないことも指摘しておくべきだろう。1960年から1982年までのデータは、その年の4月1日までに送られてきた報告を集計していた。1983年以降現在までのデータはその年の1月1日から12月31日の間に送られてきた報告を集計している。現在の評議会報告書に掲載されているデータは、前年のものである(例:2006年の評議会報告書には暦年2005年を集計したデータが掲載されている)。

AA全体のメンバー数の推定数は、それを大まかな指標として捉えれば、AAが過去相当に長い期間にわたって正しいことを成し遂げてきたことを示してくれる。70年以上の間にAAメンバーシップは、1935年にはアメリカに二人のメンバーと二つのグループしかなかったものが、現在ではおよそ200万人のメンバーと10万のグループによる国際的な共同体に成長したと推定される。

これは何かが良くないことを示すデータではない。

Table 5: Estimated Counts of AA Groups and Members (1/3)

Table 5: Estimated Counts of AA Groups and Members (2/3)

Table 5: Estimated Counts of AA Groups and Members (3/3)

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(この項おしまい)

翻訳企画:AAの回復率(その9)

セクションf)は、なぜ初期のAAが良好な成績を残せたのか・・という疑問に答えます。

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f) 初期AAにおける予備選択(プレスクリーニング)

初回で50%、最終的に75%にもおよぶ成功率(初期のAA におけるものとしてしばしば引用されるもの)を達成するためには、対象者をあらかじめ選択しておくか、もしくは比較的少ない回数しかミーティングに来ない本当の内面的モチベーション(動機)を欠いた人々を除外する、あるいはその両方を行う必要がある。

(AAは)その始まりから、断酒してしらふになりたいと望んでいる人たちと一緒にやることを望んでいた。ビッグブックの英語版182ページ(和訳は『アルコホーリクス・アノニマス 回復の物語』Vol.1 p.17)には、やがて「アルコホーリクス・アノニマス第三の男」となる男が、AAの共同創始者ビル・Wとドクター・ボブが入院中の彼の元を最初に訪れた時のことを書いている。

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そして私に向かってこう言った。「あなたは酒をやめたいですか? あなたの飲酒のことをとやかく言いに来たのではありませんし、あなたの飲む権利とかそういうものを取り上げに来たわけでもありません。私たちにはプログラムがあるんです。このプログラムを実行することによってしらふでいることができます。このプログラムを必要とし、求め、望んでいる人に伝えるのも、このプログラムの実行です。ですから、もしあなたがそんなプログラムは必要ないということでしたら、あなたの時間をつぶすのはやめて、よそへ行って別の人を探すことにします」
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初期のAAにてこのような事前選択が普通に行われていたのは、ひとつは候補者が(典型的な慢性の、あるいは「どん底の」)アルコホーリクであることを確かめるためであり、また候補者をグループに連れて行く前に(あるいは彼らのスポンサーになる前に)、彼らに「降伏」の経験をさせるためである。

初期のアクロンにおいては、AAの共同創始者ドクター・ボブは候補者と一緒に取り組み始める前に、彼らに対して精力的な事前選択を行っていた。こうした事前選択の手法により、良い選択眼を持てば、成功率を上昇させることができた。

ドクター・ボブの死後、シスター・イグナチアがセント・トーマス病院で高い成功率を維持できたのは、AAメンバーに対して事前選択をするよう彼女が仕向けたからである。彼女はアクロンのAAの社会的地位の高いメンバーに、新人たちの「スポンサー(保証人)」となることを要求した。それは入院中にAAメンバーが面会に来るというだけでなく、新人が勝手に退院してしまったり、入院費用を支払わない場合に代わって支払うことに同意することを意味した。これによって事前選択が厳格なものになったことは疑いない。シスター・イグナチアはこの病院で治療を受けるチャンスを通常一回しか与えなかった。まれに彼女は二回目の入院を許したが、その患者を他の入院中のアルコホーリクたちとは完全に隔離させたのは、士気の低下を防ぐためだった。さらに、三回目のチャンスは誰にも与えられなかった。これも「成功」率を上昇させるのに役立った。ニューヨークやクリーブランドでも同様の試みが行われていたと思われる。

アルコホリズムの治療センターが連続して何回でも治療に戻って来ることを許すと、見かけの成功率は明らかに低下する。このことについての言及は、Mary Darrahによる伝記『シスター・イグナチア』にも見られる。ビル・Wも後に取り上げる論文 “On the Military Firing Line in the Alcoholism Treatment Program”(陸軍におけるアルコホリズム治療プログラムの発火点)という論文の中で記述している。ビルはセント・トーマス病院にシスター・イグナチアを訪ね、彼女のやり方を見た様子を詳しく述べている。

クリーブランドのメンバーたち(およびオハイオ州アクロンのメンバーたち)がオックスフォード・グループから独立したとき、彼らは候補者に対するたいへん厳格な事前選択を採用していた。現在では、これは、その精神においても、また字句的にもAAの伝統3の正反対であったと見なすAAメンバーがおそらくいるだろう。また、ビギナー向けの厳格なミーティングのシリーズを、通常のミーティングとは別に行えば良いと解釈する人たちもいるだろう。アクロンやクリーブランドのメンバーたちは、候補者とたいへん熱心に取り組んだ。初期のAAメンバーの多数は、絶望的でどんな手助けも役に立たないと見なされたアルコホーリクたちだったことは考慮されるべきである。

『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』にクリーブランドでの成功例が記述されている。

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ウォーレンは、つぎのように続けている。25 「わが家で、クラレンスがまず私に話をしたあと、他の人たちがやってきて私に語りかけました。いまのように、一人の人と話しただけでは、ミーティングには参加させてくれなかったのですよ。ミーティングで、どのようなことを聞くことになるのか。またプログラムの目的はなにか。それを、ある程度までわかっていなければならない、と彼らは考えていたのです。つぎに、クラレンスから三ヶ月間にわたり毎晩、比較的新しいメンバーたちの家に通うようにと言われたので、26 私は九~十人のメンバーたちの話を聞きました。ミーティングに初めて参加する前には、さらに、ビッグブックを読まねばなりませんでした。その結果、彼らが何をやろうとしていたのか、私はかなり理解できるようになっていたと思います」

25. 『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』 p.247
26. 今日では、これは「90イン90」あるいは「90日間で90回のミーティング」と呼ばれるものだ。

下記は『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』から、オハイオ州のクリーブランド・グループが93%の成功率を達成した条件について抜粋してある。27 クリーブランドで93%の成功率が達成できたのは、これまでに論証してきたように、事前選択済みの候補者についてであろう。

27. 『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』 p.383-384, p.385-386

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クリーブランドでのミーティングは、アクロンとは、いくらか違ったかたちで発展していった。「ミーティングは声に出してのお祈りから始まりました」とクラレンス・Sが語っている。「スピーカーは、四週問まえに選ばれ、スピーチの時間は四十五分、最後は『主の祈り』でしめくくりました」
「そのあと、ミーティングが再開され、説明や質問など、ざっくばらんな話し合いがおこなわれていたのです。ミーティング全体は、一時間半から二時間でしたね。前半は禁煙で、後半の懇談のときには喫煙がゆるされていました」
「たばこは良くないですよね」とクラレンスがつぶやいた。「皆さん、気楽に考えすぎですよ。私は、すこしはマナーというものが必要だと思っているのです。当時のAAは、いまより、もっと効果的でした。クリーブランドの記録では、AAにつながった人の九十三パーセントの人が、再飲酒はしなかったのですよ。ですから、AAにいる人がスリップしたことを知ったときは、それはもう本当にショックでした。それにしても、いまのAAは、厳しさが欠けているように思います。だれかが紛れ込んでいても平気なのですからね」
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『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』には、クリーブランドでの候補者に対する厳しい事前選択についてさらに記述がある。こうした慣行は消極的あるいは残酷な理由で行われていたのではなく、実際的な理由があったことがわかる。それは極めて困難で挑戦的と言えるほど慢性アルコホーリクの数は多く、それに対してAAのプログラムの効果を示す生きた見本として奉仕できるような信頼できるメンバーは初期においてはあまりに少なかったことが、こうした事前選択の背景にあったことだろう。

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クリーブランドの初期のミーティングでは、まだ飲んでいるアルコホーリク、あるいはやめたばかりのアルコホーリクは、出席を厳しく制限されていた。それについて、ビルにあてた一九四〇年九月のクラレンスの手紙には、「いくつかのグループでは、入院するか、AAメンバー十人の話を聞き終えたあと、初めてミーティングヘの出席がゆるされる」と書かれていた。当時のメンバーは、三ヵ所の病院と二ヵ所の療養所と「取り決め」を交わしており、それらの施設には、いつも十人から十五人のアルコホーリクが入院している、とも記されていた。
参加資格にかんする以上の条件は、1941年の一月には、やや緩和された。クラレンスによれば、新しい人がミーティングに出席するには、入院をすること、さもなければ五人のメンバーの話を聞くか、あるいは委員会による承認を得るかの、どれかひとつが必要であると「ほとんどのグループ」で定めていたという。
ヤングスタウンでは、新しいメンバー候補が初回のミーティングに出席をゆるされる前に、二組の夫婦による訪問を受けることが通例になっていた。まず、男のAAメンバーが、新しいメンバー候補にAAについての説明をしてから、こんどは、その妻のほうがメンバー候補の妻に話す。「このようにして、新しい人は、おおよその知識を持ってからAAに参加するようになっていたのです」とノーマン・Yが話している。
また、クラレンスは、「いろいろなグループがあり、それぞれが特徴を持っていました。しかし、一般的には、ある人がミーティングに来る前に、その人のやる気を確かめ、心の準備をさせてから、AAの目的と原理についての正しい知識を伝えておく。こうすることで、酒に浮かれている男たちにミーティングを妨害されることが少なくなったのです」と記している。
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候補者がミーティングへの参加が許されるためには、3ヶ月間断酒できたことを示す必要があった。このような事前選択によって、酒をやめ続けることができない人たちは、クリーブランドが報告した93%の成功率の計算には含められなかった。同様の参照が『米国アディクション列伝』にも見られる。28

28. 『米国アディクション列伝』page 132-133 c ウィリアム・L・ホワイト.

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AAがオックスフォード・グループから発展的に独立し、ビッグブック発行に向けて動き始めていた頃、それほど目立ったものではないが、もうひとつ画期的な出来事が生まれていた。将来のメンバーたち(当時は、「候補生」、「ベビー」、「ピジョン」、「フィッシュ」、「注意人物」などと、さまざまな呼び名があった)のミーティング参加資格を決定する規則作りがあちこちのグループで行われていたのだ(後にこのような規則は緩和される)。例えばクリーブランドのいくつかのグループの場合だが、病院で解毒が済んでいるか、10人のメンバーとの面接を済ませていなければ、ミーティング参加資格を与えなかった。デンバーのあるグループは、ステップを終了していなければミーティング参加を許さなかった 41。

Endnote (41): P., Wally (1995) "But, For the Grace of God...How Intergroups & Central Offices Carried the Message of Alcoholics Anonymous in the 1940s" Wheeling, WV: The Bishop of Books.
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クリーブランド地域のグループのやり方は、本質的にはすでに回復を成し遂げ、断酒を継続する能力を証明した候補者を「選り好み」している。彼らはクリーブランドのミーティングに参加を許される前の、見習いあるいは入門期間をおおよそ無事に過ごした。

このような状況を踏まえると、クリーブランドで「93%」の成功率が実現されていたという描写は、初めてミーティングに出席する前にすでに3ヶ月の断酒という十分な結果を得た候補者を事前に選び、それに対して93%の成功率をおさめたと主張しているに過ぎない。

有名になった「93%」の成功率は、実は「失敗に終った」ためにクリーブランドのミーティングに出席を許されず除外されたアルコホーリクの数を示さず、実績を示した好都合な部分集合を候補者にするよう偏らせることで作り出された、どうにも心許ない主張に過ぎなかったのである。

ビル・Wは、働きかけるアルコホーリクを選別することは、特に新しいグループを立ち上げるときには、十分な理由があると考えていた。それは「数字を良くする」ためではない。彼は選別がアルコホーリクス・アノニマスの成功に欠かせないことだと考えていた。1939年に、シカゴでAAグループを始めようとしていたEarl Tに宛てた手紙の中で、ビルはこう書いている。29

29. “Pass it On” page 225.

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このやり方だと、浮浪者や精神に障害を持った人たちをたくさん簡単に引き寄せます。確かに、神の目には彼らも他の私たちと同じように大切なのに違いありません。彼らは私たちより壊れ方が激しいだけであって、後に分かるように、グループが十分な大きさと力を蓄えたときに、ある程度の数の彼らを引き受けられるようになり、彼らも見捨てられることはなくなるでしょう。けれど、最初から彼らをあまりたくさん引き受けてしまうと、あなたの家はまるで飲酒同好会か、病院か、託児所のようになってしまうでしょう。
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(上でも引用した)“Survey Midmonthly”誌の1947年6月号の「問題飲酒者」と題された記事では、刑務所や保護観察の初期における事前選択の採用について述べている。

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刑務所および矯正施設内ですでに30以上のAA支部が設立されている。刑務当局と支部メンバーの監督の下で行われる週一回のミーティングには、30人から40人ほどの受刑者たちが参加し、訪問したAAメンバーたちの話を聞いた上で、質問や提案や、自ら話に加わるように促される。新しい参加者は酒をやめたいと心から思っているかどうか注意深く確かめられ事前に選択される(強調追加)。アルコホーリク候補者に対するAAの取り組みにおいては、受刑者はその監督を引き受けるAA「スポンサー」の観察下に置かれる(強調追加)。スポンサーは彼を地元のAAクラブハウスに紹介し、日頃のミーティングに一緒に参加する。これは、新しいメンバーに対して、グループに「属し」、「家族の一員となった」ように感じてもらうためである。
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ビル・S(Bill S.)軍曹は、『On the Military Firing Line in the Alcoholism Treatment Program(アルコホリズム治療プログラムの軍隊における最前線)』と題した彼の本の中で、彼が1950年代初頭にサン・アントニオのラックランド空軍基地で立ち上げた、極めてAAに類似したアルコホリズム治療プログラムにおいて、どのように同様の成功率を達成したかについて述べている。50%は初回から断酒し、その後も断酒を維持し続けた。その他の人たちも、いったんはこのプログラムから離れたものの、最終的にはチャンスを逃したことに気づいて、自らAAミーティングに戻り、酒をやめた。

ビル・S軍曹(彼は1948年にロングアイランドで酒をやめた人物)は、自分が関わる前に対象者の事前選択を行った。強い動機を持っている根拠があるかどうか(これはドクター・ボブが重視した基準である)、さらにビル軍曹は、重大な精神的問題を抱えた人を除外した。後者の基準とは、深刻な精神的問題を抱えた空軍職員は除隊になってしまうため、彼のプログラムに加えることを拒んだのだった。

ナンシー・O(Nancy O)の本、『With a Lot of Help from Our Friends(友人たちの支えがあればこそ)』には、1960年代の海軍でJoe Zuska医師が立ち上げた治療プログラムの成功について述べた章がある。このプログラムはチームによる取り組みであり、その中にはあるAAメンバー(退役した海軍中佐ディック・J)が常にアドバイスを提供していた。チームの中でJoe医師は(アルコホーリクではなかったが)ディック・Jの話を真剣に聞いた。

引退した海軍中佐サブマリン・ビルは、元はZuska医師が立案した海軍での治療プログラム全体に関わった。彼らは候補者をたいへん注意深く事前選択し、プログラムに取り組むことを拒否する者は、治療プログラムだけでなく、海軍からも追い出した。こうしたことで、彼らもたいへん印象的な成功率を示したのである。

初期のAAメンバーたちは「リハビリ」センターや「デトックス(解毒)」センターのようなところでの治療プログラムの開発の多くに直接関与したのであるが、現在ではそれらは「協力すれども従属せず」の精神で運営されている。それらの施設はAAから完全に分離された。施設の重要性は、今日のAAメンバーのおよそ1/3が、彼らが最初にAAにつながった重要な要因の二つのうちのひとつが「治療施設」であると述べていることからも分かる。30

30. 「2004年AAメンバー調査(2004 AA Membership Survey)」c AAWS, Inc. によると、31%のメンバーが治療施設を挙げ、別の8%は相談機関を挙げている。

では現在のAAも同様の成功率を上げられるだろうか?

サブマリン・ビルともう一人のAAメンバーは、インディアナ州オセオラ(Osceola)において、優れたAAミーティングでの研究を行った。そこでは、古い時代のAAのやり方と手続きに従っていた。過去12年以上にわたって、毎週木曜日の晩のミーティングにまる1年間(ほぼ)欠かさず出席していた新人の90%は、その年に飲酒をしなかった。さらに、その年に飲酒しなかった者の90%は、その後に他の地に移って他のAAミーティングに行くようになった人も含めて、現在も断酒を続けている。このやり方で、約80%の成功率が達成できたことになる。

調査を行った二人の人物は、ミーティングに比較的少ない回数しか出席せず、その後に脱落してしまった人たちをまず初めに除外したが、それは彼らが真の動機を持っていなかったからだと説明している。彼らを除けば、最初の1年の内にミーティングに行かなくなった人は少数である、としている。

ひとつの課題は、多くのアルコホーリクの候補者が当然に示す「否認」や抵抗を、AAの回復のメッセージがどう乗り越えていくか、を示すことだ。候補者たちが十分長く留まれば、彼らは最終的には「納得する」のである。上に引用した成功例は、候補者達がAAの回復のプログラムに「真剣に取り組めば」何を成し遂げられるかを明らかにしている。

ビル軍曹は彼の本の中で、初期の頃、アクロンの周囲地域には、良好なAAグループも、下手(poor)なAAグループも存在していたことを説明している。彼は1940年代にアクロン市近くにあったあるグループが、新しい人を手助けすることにひどく失敗していたことや、助けられたはずの人たちのほとんどに失敗していた理由を明らかにした。

事前選択を行って、AAミーティングからある種の人々を排除することは道徳上のジレンマを引き起こす。

・基準をあまりに高くしすぎると、ときにメンバーたちは、プログラムに取り組める候補者の一部についても、一緒に取り組むことを拒むようになってしまう。それは、その人たちに悲惨な運命を、時には死刑を宣告するのに等しい。

・基準をあまりに低くしすぎると、(シスター・イグナチアが強調したように)モラール(士気)が低下してしまう可能性がある。そのことは、プログラムに取り組めるアルコホーリクたちを、結局は失敗に導き、同様に(死刑)宣告をするのに等しくなってしまう。

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(続きます)

翻訳企画:AAの回復率(その8)

セクションe)の後半です。

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AAの失敗についての主張を検証する:

世界的な規模で、アルコール乱用と依存による結果は厳しい状況にある。2003年にはアメリカ国内で1,700万人の候補者がアルコール問題の手助けを必要としていた。状況を説明すると、「助けを必要とする人たち」はAAミーティング会場のドアをくぐるか、AAメンバーの訪問を受ければ良いわけであるが、断酒と回復を達成するためにはその人が「助けを求める」必要があることを意識しなければならない。
AAはその始まりの頃から、AAミーティングにやってきた人の60~80%は真剣にAAに取り組んでみようとはしなかった。彼らは調査の対象とはなったが、(AAに)加わることをしなかった。彼らは興味を持たなかったか、AAで手助けが得られることに気がつかなかったのだ。また、AAの中に解決を求めない人たちの中には、人生が手に負えなくなったという彼ら自身の状態を認めることができないか、あるいはそれを認めることを嫌い、それについて何とかしようという意欲を持てない、という特有の特性を備えた人たちもいる。

こうした特性や潜在的な(対象)人数を考慮すれば、AAミーティングにやってきた人やAAメンバーが接触した人の一部しかAAで成功しないのは意外ではない。問題を抱えた対象者の中でも、助けを拒む、あるいは助けに抵抗するという特性を持ったセグメントを手助けしようという、うんざりするような挑戦をAAは行っているのである。

この対象人数の多さによって、(過去においても現在においても)AAの有効性を否定できるものでもないし、(現在の)AAの失敗を証明するものでもない。この数字は、アルコール問題の苛烈な結果に直面してもなお解決を求める意欲を持たずかつ非協力的な候補者たちを手助けする、というAAの使命の困難さを示しているのである。

時に「否認」とか「挑戦的姿勢」と呼ばれる不健全な特性によって、アルコホリズムはよりいっそう破壊的なものになっている。これにより、候補者自身がアルコホールの問題を抱えていることを認め、十分実績のある解決を受け入れることが、AAの最初のステップの中核的な原理であるとされている(「私たちは自分がアルコホーリクであることを心の底から認めなくてはならないことを知った」)。23

23. ビッグブック第3章「さらにアルコホリズムについて」45ページ

ある人々は他の人たち(例えば家族、友人、医師、看護師、聖職者、法律家)あるいは制度(例えば職場、治療施設、法制度)からの圧力を受けてAAにやって来る。とはいえ、AAへの出席を強いられた人たちもともかく酒をやめる。

断酒とはまったく関係のないことを解決したがる人たちもいる。そうした人たちの多くは、AAミーティングに何回か顔を見せた後には、もうミーティングに出るのをやめてしまい、AAを試してみようとはしない。さらに加えて、飲酒の経験を持たないドラッグ・アディクトの増加、裁判所の命令や職場の命令によって非自発的にやって来るたくさんの人たちがAAミーティングに出席し、こうした数字をもたらすのである。

・AAにやってきた人の20~40%は酒をやめたいと願っている。彼らは、それ以前に何百万人が試してうまくいったやり方を試してみるだろう。彼らはAAのビッグブックが「回復に必要な核心」だとし、さらに、「これらなしに、回復はありえない」と強調しているもの、すなわち意欲、正直さ、開かれた心を、最初から備えてきたか、あるいは後になって培う。24

24. ビッグブック 付録Ⅱ「霊的体験」p.268(ポケット版)

・ビル・Wその他が主張している50%+25%の回復率は、この「真剣に努力して取り組んだ」20~40%の人たちだけに当てはめられうるものだった。ビル・Wはこの限定条件を強調するよう務めていたが、それはしばしば曖昧にされ、また無視された。

・努力して取り組むことのなかった60~80%はAAの失敗ではない。AAに費やした努力がゼロならば、AAから得られる結果もゼロであるのは単純な常識である。これはAAの有効性の問題ではなく、候補者がAAを信頼して、AAの回復プログラムに対して努力できるかどうかの問題である。

主張の根拠と引用について検証する:

AAでの回復率が5%あるいはそれ以下という失敗の神話を広めようとしている人たちは、AAの悲惨な(そして歪められた)回復率を主張し、それは特定のタイプのビギナーズ・ミーティングやステップのコレオグラフィー(振り付け)、あるいは口述や筆記による棚卸しのやり方、特定の祈りや黙想の方法や、また聖書を使うこと・・・などなどで、元の水準に戻せると断言している。

このような主張をする復古運動は希望的な想像と推測の産物であり、歴史についての信頼できる調査、情報、実証とは対照をなすものである。データの収拾手法や原因と結果の推定に欠陥があり、それらがどのように引用され、どんな主張を組み立てているかについても無頓着である。

歴史についての分析は、ある程度学術的な体裁を保っているが、綿密な調査が行われる一方で、(資料を)検証する努力は少なく、観察されたデータの精度には疑問が残る。

誰かが悪意を持って人を欺こうとしたとほのめかしたいわけではない。この問題の複雑さを分かりやすく描くとするならば、まず、今日のほどほどの規模のAAグループを対象にして、過去6ヶ月あるいは1年の成功・失敗率を導き出そうとしてみて欲しい。AAの備える構造、(グループの持つ)自律性、またアノニミティ(無名性)が強調されるおかげで、成果の精密なデータを求めることは事実上不可能である。

AAの回復率が惨憺たるものであるという主張に関連して、不正確な言明や「研究が示すところによれば・・・」という引用を行うことで研究による裏付けがあると表現する主張が、ますます頻繁に行われ、広がりつつある。その多くのケースで、おざなりなレベルの議論や、実質を伴わない論文が引用されているに過ぎない。それらの学術論文その他の文献が、題や著者や日付から特定できることはない。

多くの場合、特定の研究への参照を示すこともなく、ただそれが存在するとのみ主張し、実際には存在していない、そんな疑わしい引用を、再引用(孫引き)しているだけである。その結果、AAの失敗率についての間違った主張が、あたかも妥当性を帯びているかのように示され、立証されることなく繰り返されてきた。

また、失敗の主張あるいは推論を実証するわけではない特定の文書が引用されていることもあった。

本論における成功の主張の検証する:

AAの成功あるいは失敗の評価は、それが肯定的な主張であれ、否定的な主張であれ、それに対して決定的に正しさを立証する、あるいは間違いとして論破するために必要なAA内で一貫した記録が保持されていない事情により、困難なものとなっている。AAの(グループの)自律性と無名性を持った構造が、AAグループやメンバー数の履歴の推定すら得ることを難しくしている以上、過去70年を越えるAAの歴史の中での成功あるいは失敗の計測はいずれも精度の低いものとなっている。

ではあるものの、本論でも取り上げた1968年以来のAAメンバー調査は、取得できた信頼性の高い統計情報を元に得られた特徴によって(AAの)平均像を提供してくれるもので、そのサンプル抽出は無作為に行われ、正しい文脈で解釈され、そして最も重要なことは倫理的にかつ正確に解説されていることである。

本論のa), b), c)の各章では、過去3年おきに行われたAAのメンバー調査について、グラフや表やその解析を掲載した。これらによって、調査のデータをどのように解釈すべきが明白に説明できていることを望むばかりである。

要約すると、これらのデータは以下のことを示している:

・AAミーティングに出席して1ヶ月目の人たちは、その26%が1年経過した後にも出席を続けている。

・4ヶ月目にもAAミーティングへの出席を続けている人たち(つまり90日間を越えて留まっている人たち)は、その56%が1年経過した後にも出席を続けている。

・その他の調査においては、最初の年についてやや良い保持率の結果が得られたものもある。

・2004年の調査では、2001年の調査よりも断酒期間が伸びている(この傾向は1983年以降一貫している)。

・2004年の調査では、それまでの調査における「5年以上」の範囲が分割され、「5~10年(14%)」、「10年以上(36%)」、つまり5年以上が50%と、AAにおける長期断酒者の存在が目立つものとなっている。

・AAにおける断酒期間の伸びをみると、1983年の調査では5年以上の断酒期間を持つ者の比率は25%であったが、2004年の調査では5年以上が50%となっている。

・AAにおける断酒期間の平均を見ると、1983年の調査では平均で4年であったが、2004年の調査では平均8年以上となっている。

これらは失敗を示す数字とは言えない。

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(続きます)

翻訳企画:AAの回復率(その7)

セクションe)も2回に分けます。

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e) AAの成功率・失敗率とその根拠についての評価

AAが形成された時期(1935~1939年)に、どれだけのAAメンバーが断酒し、あるいは飲酒に戻っていたか、その数を正確に明らかにできる者はいない。ではあるが、達成された成果について程良い象徴的な推測を行おうとする努力が(過去においても、また現在も)払われてきた。AAが手助けしようとしている問題の対象となる人数については、他にもいくつか見積もりがある。

National Institute on Alcohol Abuse and Alcoholism (NIAAA) の2008-2013戦略プラン 20 には「アルコール問題とその影響の趨勢」という資料が掲載されている。それによると、US Centers for Disease Control and Prevention (CDC)と世界保健機構(WHO)は、アメリカ国内および世界におけるアルコールの過剰使用の犠牲者と影響を受ける人々の人口について、ほぼ同一の結論に達したとある。

20. NIAAA戦略プランの詳細については、http://pubs.niaaa.nih.gov/publications/StrategicPlan/NIAAASTRATEGICPLAN.htm

・2003年のアメリカ国内において、アルコールは死因の第3位となっている(推定死亡数85,000人)。

・NIAAAのアルコール関連状況疫学調査(NESRAC)21 によれば、アルコールを乱用するかアルコール依存となっているアメリカ人成人は1991~1992年には1,380万人であったものが、2001~2002年には1,760万人へと増加している(つまり、18才以上の人口の8.5%、大人12人に1人)。

21. NESARCの詳細については http://niaaa.census.gov/

・2004年6月10日発表のNational Institutes for Health (NIH)のニュースリリースではNESARCの調査結果をこのように要約している。
 1991-1992年:アルコール乱用560万人、アルコール依存820万人、合計1,380万人。
 2001-2002年:アルコール乱用970万人、アルコール依存790万人、合計1,760万人。

・NIAAAでは「アルコール乱用」を、仕事、学校、または家庭における主な責務を果たすことに失敗すること、対人関係あるいは法的な問題、および/または危険な状態での飲酒によって特徴づけられる状態と定義している。これには不注意によるアルコール関連の不運な一回限りの出来事も含まれていることだろう。このカテゴリに含まれる人はアルコホーリクかもしれないし、そうでないかもしれない。しかしながら、アルコホリズム(問題飲酒)の下方スパイラルの始まり段階の人々もある程度含んでいることだろう。より明確な判別が成されなかったのは残念なことである。

・NIAAAは「アルコール依存」(これはアルコホリズムとも呼ばれる)を、飲酒のコントロールの減弱、強迫的な飲酒、飲酒への没頭、アルコールへの耐性の増加および/もしくは離脱症状、によって特徴づけられる状態と定義している。このカテゴリに含まれると推定される790万人は、AAが「本物の」あるいは「アクティブな」アルコホーリクなどと呼び、主要な対象としているものに近い。

・NIAAAは「アルコール使用障害」の人数を、2002年の時点で、970万人のアルコール乱用に790万人のアルコール依存を加えた1,760万人としている。

2002年には世界のAAメンバー数は約210万人 22。このメンバー数の数字は、AAの実質的な成功を示す数的指標だと見なされている。

22. 本論の末尾にあるAAメンバー数の表を参照のこと

・AAは7人のアクティブなアルコール依存の成人について1人を助けている。仮にアルコール乱用者を潜在的なメンバー候補だとすれば、15人の問題飲酒者に対して1人を助けている。

・これに相当する調査として、1991~1992年にNIAAAが行った"National Longitudinal Alcohol Epidemiologic Survey” (NLAES)が同様の数値を示した。アルコール依存症者7人に対してAAメンバー1人、12人のアルコール依存あるいは乱用者に対して1人のAAメンバーである。

本論でこれまでに引用したように、1960年のゼネラル・サービス評議会でビル・Wはこのように言及している。「けれど冷静に考えれば、私たちのソサエティが成し遂げたことは、アルコホリズムという問題全体に小さなひっかき傷をつけたに過ぎません。そのことを無視するわけにはいかないのです」。とはいうものの、AAは表面に小さなひっかき傷をつけただけでなく、その候補者の多くを助けている。

AAの成功についての主張を検証する:

AAの成功率を「50%+25%」とする主張は、1940年を最初に、その後おびただしい回数引用されてきた。そこから生まれてくる疑問は、他にも統計があったにも関わらず、なぜこの3つのカテゴリ(つまり、50%がすぐに酒をやめ、25%は飲んだが戻ってきて、25%が失敗)の値が70年以上にもわたって固定され変化を受けずに残ってきたのか、である。

この数字は事例的なものに基づいたもの(訳注:統計的でないという意味)だが、繰り返し引用されるうちに、決定的に正確だというイメージが与えられた。ではあるものの、推定に含める候補者の範囲と条件を考慮に入れれば、このAAの成功率の推定はまず妥当と言えよう。

AAの成功率(あるいは失敗率)を議論する上で、あまりにしばしば欠落しているのは、AAミーティングにやってきた、あるいはAAメンバーと接触した候補者のうち、ほんの一部だけがその先に進むことである。その人数は、世界に手を伸ばそうとするAAに難題を投げかけている。

AAの共同創始者であるビル・Wは、AAにやってきた人のうちAAに真剣に取り組むのは20%~40%だと推定されると過去に述べている。ビル・Wによる「50%+25%」の成功率は、このセグメント(部分集団)に限って適用したものである(その後もそうであった)。ビル・Wはこの重大な限定条件を、American Journal of Psychiatry(1949年11月)、ビッグブック第2版の序文(1955年)、そしてニューヨーク市アルコール医学会(1958年)で報告している。

AAに顔を出したけれどAAに取り組まなかったという60%から80%を含めて結果を計算することは非合理的である。それは何らかの医学的方法の有効性を測る際に、その医学的問題を抱えながらも医学的な手助けを求めない人たちまで含めてしまうのに等しいからだ。AAの回復プログラムについても同じことが言える。

AAのビッグブックの副題には「何千もの男女がアルコホリズムから回復した物語」とあるが、量に関して言えば、過去70年あまりの間に「何千人」の成功は、「何百万人」の成功へと手渡されていった。

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(続きます)
プロフィール

ひいらぎ

Author:ひいらぎ
飲まないアルコール中毒者の、ドライドランクな日常。
AAメンバーとして、ネット上でアディクション関係の情報をすこし発信。

本サイトは「心の家路」。

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